人は、もはやこれまでと思えば石に蹴つまずいても死ぬ 浅田次郎著 勇気凛凛ルリの色 四十肩と恋愛 | 生きているだけで儲けもの

人は、もはやこれまでと思えば石に蹴つまずいても死ぬ 浅田次郎著 勇気凛凛ルリの色 四十肩と恋愛

浅田次郎著

勇気凛々ルリの色

四十肩と恋愛

 

 大好きな作家浅田次郎さん

 勇気凛凛ルリの色

このシリーズを再読してます。

まず、1巻

 


 1巻、大いに

 笑えます。

 泣けます。

 著者と同じように憤怒します。

 

 そして今回は2巻

勇気凛凛ルリの色

四十肩と恋愛【再読】



 笑いは、治療の手助けになる☘️

 でも、2巻は笑いより、怒り、憤怒のほうが多かった。

 

ネタバレあり

要注意

 

 タイトルからして、力ずくで何かをした!

と思うのはごもっとも。

 力ずくで女性を押し倒し.....

 力ずくで金品を奪う.....

 著者が述べているのは、当時の都知事青島知事が西新宿地下道路強制立ち退き問題についてです。

 そういえば昔そんな事があったよなーと私の記憶は遠い彼方に

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力ずくについて

 

 

力ずくで、ということになりましたのを、大変残念に思います。

(青島都知事談)


 徹底した平和主義者である知事が、あえて「力ずくで」という不穏な言葉を使った真意を、マスコミはなぜ汲むことができぬであろうか。


中略


「ホームレスの皆さんの生活を侵害するつもりは毛頭ない。差別も偏見もない。熟慮の末、公共の利益のために万巳むを得ず力ずくで.....」という意味なのである。


 住み慣れた地下道を追われること、それはホームレスたちにとって切実な問題であろう。だが、その切実さを彼らの存在理由として容認するならば、高い物価と家賃にあえぎ、リストラに日々兢々として彼らのかたわらを足早に歩み去るおやじどもは、みな等しく切実なのである。


 人は、もはやこれまでと思えば石に蹴つまずいても死ぬ。自分の力で踏みこたえていなければ、どこまでも堕ちて行く。死なぬように堕ちぬように懸命の努力をすることこそ、人たる所以なのである。他人の力のみで開ける人生など、何ひとつないのである。

 人間は健康でさえあれば、いついかなる環境からでも必ず立ち上がることができる。いかに公平さを欠いた世の中であろうと、少なくとも神は、人間にそれだけの勇気と力とを、等しく与えているはずなのである。

 

 今の私の病状は絶望の際にある。

 病気になる以前から著者の言葉「人は、もはやこれまでと思えば石に蹴つまずいても死ぬ。自分の力で踏みこたえていなければ、どこまでも堕ちて行く。

  なので、もはやこれまでとは絶対に思わないし、辛い治療中でも、もはやこれまでとは絶対に思わなかった。

 この先も思わないであろう。いや、思わない❗



 この言葉がそんなに意味深い言葉だとは知らなかった。ただ、かっこいい言葉だとは思っていた。

 

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上梓について

 

 

古来わが業界では、作品を書き上げることを「脱稿」と言い、出版されることを「上梓」と呼ぶ。いずれも言い得て妙な言葉であろうと思う。


 【梓(あずさ)】は、硬く弾性のある木で、弓の素材として用いられたことはよく知られているが(モネ父さんは知らなかった)、実は同じ特性からかつては版木に利用された。書き上がった原稿を、心をこめて梓の版木に刻み、世に上せる。いい言葉である。(モネ父さんもそう思う)


 ところで、今にして思えば私の脱稿宣言はやや早計であった。ふつう小説は脱稿の後、著者校正、出版社の校閲を経て、早ければ1ヶ月以内、遅くても2ヶ月程度で上梓に至る。したがって脱稿から7ヶ月も経つのに出版されないというのは、ちょっとした異常事態なのである。当然、日の経つうちに業界では「浅田次郎大原稿ボツ説」が流布された。


しかし、謎の7ヶ月にはそれなりの意味があった。私とO氏は初稿ゲラを通読したとたん、わがことながら余りのデキの良さに腰を抜かしてしまい、卒然として昨今のハイテク出版事情に逆行しようと決意したのである。ひとけの絶えた真夜中の編集部で、7ヶ月にわたる作業を終了したとき、O氏が呆然と呟いた「おつかれさまでした。これで校了します。」の一言を、私は生涯忘れないだろうと思う。


人生にはチャンスが何度もある。毎日のように訪れる小さなチャンスは、摑むも摑まざるもその効果はたかが知れているが、結果の積み重ねがさらなるチャンスを招来することは確かだ。そしてやがて、一生に三度しかないと言われるビッグ・チャンスがめぐってくる。私はO氏は、ともに、初校ゲラを通し読みしたとき、これこそおたがいのビッグ・チャンスにちがいないと感じたのだった。


 毎日訪れる小さなチャンス。

  部下によく言ったものだ。「この仕事、君やってくれないか?」、「ちょっと忙しい他の部署を手伝ってもらえないか?」 

そんな時、考えることなく「やらせていただきます。」と言えと。考えさせてくださいとか、ちょっと〜なんて言うものなら、やりたい仕事であっても二度と話はこないと。私の話を忠実に実行した部下は、職場で一生に三度あるビッグ・チャンスを摑んだ者、摑みかけている者がいる。あと2,3年頑張れば頑張ったことが報われるポジションに到達する。

 私がビッグ・チャンスをものにしたこと。

 1つ目。妻と結婚できたことが。

 2つ目。大きな大会でで事実上の決勝戦といわれたゲームの主審を任されたこと。

 3つ目は、今頑張っていることが良き結果を生む(病気が根治する)ことが3つ目のビッグ・チャンスをものにしたことになる。


 さて、脱稿から7ヶ月経って上梓した本は、【蒼穹の昴】である。

 単行本は、1ページ上下2段。上下巻。買いました。結婚の引っ越しで売ってしまったことを未だに後悔している。

もう一度読みたい。文庫で4巻揃えて2度読みました。

 蒼穹の昴は、題名こそ違えどシリーズ化してます。

 蒼穹の昴

 珍妃の井戸

 中原の虹 


 マンチュリアン・リポート
  天子蒙塵
兵諌
 全て読んでます。
 兵諌でシリーズ終わったなんて思っていません。
 次はどんなストーリーかな、ニコニコ


 モネ父さんは今肩が痛い。両肩である。特に左肩。

藤圭子の歌。15、16、17と私の人生暗かった.....(圭子の夢は夜ひらく)因みに宇多田ヒカルの母は藤圭子である。

の歌のごとく、40、50、60代とモネ父さんの肩は痛かった〜


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四十肩について

 

 

 四十肩

 聞いた限りでは、激痛を伴う。「ちょっとした動作」には多少の個人差があるらしい。大別すると

①手を上方に上げる

②手を後ろに回す

③掌もしくは肘をつく


 著者の場合

①は案外平気

②はテキメンに悲鳴を上げる。

原稿を書きながらケツをボリッとカいたとたん、ああと悲鳴を上げて倒れる。

子供のころおふくろ言われた通り、シャツはパンツの中に入れ、パジャマの上衣はズボンの中に収める。こうすると腹が冷えない(モネ父さんも同じことを母に言われいまだに実行している)

パンツをはくたびにああっと声を上げて倒れ、しばらくのたうち回ったあとようよう痛みが治まったので、気を取り直してモモヒキをはいたとたんまたブッ倒れた(モネ父さんもパンツをはくときの痛さを学習して、前だけシャツを入れて、後ろはシャツを出したままの情けないはきかたをしている)

 ③の「掌もしくは肘をつく動作」

年とともに脚力が衰え、手の力に頼るから、起床の動作のほとんどは掌もしくは肘をついて行う。

 

 さてさてモネ父さん

①の「手を上方に上げる」。一定の高さなら問題ないが、病室のベッドの上、私の頭上にある読書灯のスイッチを切るときしばしば悲鳴を上げる。ベッドから起きて消せばいいと思われる方もいるかもしれませんが、このあと書きますが、モネ父さんベッドから起き上がるのもひと苦労なんです。

②の「手を後ろに回す」。パンツをはく行為については、著者と同じです。つけ加えるなら、上着の左袖に左手を通すとき悲鳴を上げる。最初に左手を通せばいいのですが、長年の習慣で最初に右袖に右手を通さないとうまく着れない。いかんとも情けないことである。

著者は大便のあとのケツを拭く行為に習慣であるから何も考えず痛い左肩を後ろに回して悲鳴を上げると書いています。幸いなことにモネ父さんはそれはない。だけど点滴針が刺さっている腕の手で拭いた暁には、多分イボ痔で苦しむ人と同じようなリアクションをしていると思う。

 ③の「掌もしくは肘をつく動作」。これが一番辛い。ベッドから起き上がるとき必ず掌または肘をつかなければならない。脚の反動を使って起き上がる方法もあるが、病気の副反応で骨がもろくなっている今、できるけど起き上がった結果、腰または背骨がボッキとなったらこれまた四十肩以上の激痛が伴う。痛い左肩の掌または肘をついて起き上がろうとすると激痛で30秒は声が出ない。看護師さんの前でそれをやってしまったときは、看護師さんが慌てて、看護師総動員のナースコールのボタンを押すところだった。では右で。これが右腕に点滴針が刺さっているときはもう絶望。右で起き上がろうものなら、刺した針が突き抜けてしまう。両手が使えないときは、仕方なく脚の反動で起き上がっている。

 60肩になったよ。40も50もなったのにと看護師さんに言ったらコンプリートですね!と言われた。

 この痛み昨年10月から。かれこれ半年続いている😭

 

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恋愛について

 

 

私はいっけん厚顔無恥の人でなしであるが、実はシャイである。したがって、小説を書きながらでも男女が愛を語らうシーンになると、心臓がバックンバックンと高鳴ってしまい、いざ接吻、さらにベッドインともなれば、ほとんど具体的描写を割愛して、翌朝みずいろの窓辺に小鳥が鳴いてしまうのである。

 毎月恒例の京都取材旅行。

 青蓮院の縁先に腰を下ろし、雨に濡れた青苔の庭を見ながら、美しい恋物語を書いてみようかな、と思った。そう、恋が遠い花火にならぬ、今のうちに。

 雨に心を洗われてホテルに戻ると、長い付き合いの女性編集者が私を待ち伏せていた。10日後に原稿を渡す約束をしている。が、当然私は約束を忘却しているのであった。


 京都からの帰途、新幹線の車中で女史と「恋愛論」を戦わすことができたのは、今回の旅における最大の収穫と言って良いであろう。


 女史は言う。

 「恋の終わりに際して、泣き、騒ぎ、じたばたとするのは決まって女性ですが、別れたあとでうじうじと考え続けるのは決まって男性なのです。女性は新たな恋愛を体験すれば、記憶を喪失しますが、男性は記憶を積み重ねます。」

 ううむ、と私は唸った。まさに恋愛小説の核心的テーマである。


 このあと著者と女史は「恋愛論」戦わせる。


女史

「大変失礼なことを申し上げますが、もしや浅田さんは、愛の言葉を口にしたことがないんじゃありません?」

 「え?.....いや、そんなことないけど」

 

 モネ父さんもシャイである。

 よく妻と結婚できたなと。まさに奇跡である。

 私の妻は山内一豊の妻であると上司に言ったところ、高知出身のその上司はえらく私を気に入ってくれました。

 女史のいう恋愛論。著者が唸った恋愛小説の核心的テーマ。

 「別れたあとでうじうじと考え続けるのは決まって男性です」。確かに、あの子との良い思い出をいつまでも後生大事に抱き続ける。

 妻は私と付き合うにあたってその時付き合っていた彼ときっぱり別れた。以後何度も元彼から電話がかかってきたけどキッパリとした対応。「女性は新たな恋愛を体験すれば、記憶を喪失します」。妻がこれにあてはまるかどうかは、わかりません。


 著者は自身を「厚顔無恥のひとでなしである」と言っています。さらにひとでなしであるが、ろくでなしではないとも、ある著書で書いている(どの著書か記憶にありません)。

 先日妻と、ひとでなしとろくでなしの違いはなんだろう?

 結論は出ませんでした。



 今回も長〜いブログを最後まで読んでくださってありがとうございました。

感謝です🙇