浅田次郎著 流人道中記 (少しネタばれあり) | 生きているだけで儲けもの

浅田次郎著 流人道中記 (少しネタばれあり)

I

浅田次郎著

流人道中記(上巻下巻)





 今回の入院は、2・3週間との説明だったので、余り荷物にならないように、濃いめの小説3冊を病室に。

 山本一力さんのほかげ橋夕景を読んでから、この2冊、流人道中記(上下巻)を面白過ぎて一気に👍
読み終えるのが寂しく、続きは無いのか⤴️と思うほどでした。


    

この先ネタバレあり

注意願います


 自分より格下の旗本の罠に嵌められ
 そんな糞野郎と同じ土俵で申し開きなんかしたかねぇー
 のカッコ良い啖呵を切って
 やってない姦通の罪を受け入れて、切腹の沙汰も「痛いからイヤだ❗」。
 その結果、知行3250石の旗本(旗本でも最上位クラス)のお家は、闕所改易、采地屋敷は没収。本人は、蝦夷松前藩に永年御預け。妻子を含め、100人の使用人は路頭に迷うことに。
 旗本の名は、青山玄蕃35歳。
 流人である。
 この流人を弘前藩の三厩(みんまや)湊まで送り届けるのが、見習与力の石川乙次郎。若干19歳。
押送人(おうそうにん)である。
 途中まで年配の同心を含めた3人の道中であったが途中から2人の道中記。
 二人の共通点はただ一つ👍
 青山玄蕃は、7歳まで裏長屋で母と毎日残飯粥をすすって生きていた旗本の落とし胤。跡取り2名が急逝して、急遽7歳で旗本の御世継ぎに。
 石川乙次郎は、30俵2人扶持の鉄砲足軽の次男坊。良い婿養子先がなければ、ずーっと冷飯食い。頭脳明晰、おまけに腕がたつ。主が卒中で倒れ、知行200石の与力石川家に婿入り。
 二人とも、最初からその家の跡取りではなかった。
 二人のこの生い立ちをもって、青山玄蕃が自分の行動について最後に、のう、乙さんわかるだろ?と言います。

 それにしてもわからん😵🌀
 青山玄蕃が闕所改易、采地屋敷没収となっても冤罪を受け入れたこと。
 文字からは理解できるが、私が青山玄蕃ならどうなのか?決して青山玄蕃の考えには至らないし、今もっても至っていない。還暦の歳になっても。まだまだ未熟者であるか。

 今回、この小説を読んで、今まで思い悩んでいた2つの事の答えに少し前進しました。
この事だけでも読んで良かったと思う小説です。
 読むタイミングは、ガン治療を受けている今しかありませんでした。
 先でも後でもない。
 今です☀️

 小説の舞台は、明治維新の7年前。
松前藩に永年お預けとなった青山玄蕃は、武士なんて糞食らえ~と新政府側について、土方歳三と五稜郭で戦っていたとか。
 石川乙次郎は、帰りの道中でも色々あって、相変わらず町奉行所では片隅に追いやられ、江戸城無血開城から戊辰戦争では、青山玄蕃同様、武士なんて糞食らえで上野の戦闘に加わらず、物見遊山を決め込んでいたとか。
 続編があって欲しいと思われる終わり方である。