1. 序論
1983年に放送された『高速電神アルベガス』は、東映動画が制作したスーパーロボットアニメであり、三体のロボットによる六変化合体を特徴とする。本作は『ゲッターロボ』に代表される「変形・合体」を中核とした熱血ロボットアニメの系譜に位置づけられつつ、商業的には成功を収められなかった「幻の作品」として記憶されている。他方、今川泰宏・川越淳・庵野秀明といった「ゲッター値の高い」監督たちにとって、『アルベガス』は熱血合体の正統例として隠れた評価を得ている。
では、同時代に『超時空要塞マクロス』(1982)で鮮烈なデビューを果たした変形メカデザインの第一人者、河森正治にとって、『アルベガス』はいかなる距離にあったのか。本稿では、①ゲッターロボ業界における評価との比較、②河森の変形哲学との接点と乖離、③玩具的実現可能性の観点、の三点から検討を試みる。
2. ゲッターロボ業界における『アルベガス』評価
ゲッターロボ業界に属する監督たちは、『アルベガス』を「純粋な熱血合体の系譜」として肯定的に捉えている。今川泰宏は直接の言及は少ないが、自作『機動武闘伝Gガンダム』における合体演出の原型的存在として同時代の東映ロボを参照した可能性がある。川越淳はゲッターOVAシリーズにおいて「馬鹿馬鹿しいまでの合体の快楽」を引き継ぎ、アルベガス的精神を文脈的に承継したと考えられる。庵野秀明にとっては、『アルベガス』の「夢はあるか?」的な直情的熱血は、自身が『エヴァンゲリオン』で選び取らなかった“正統”の対極として再評価されている。
総じて、ゲッターロボ業界では、『アルベガス』は商業的失敗にもかかわらず、「熱血合体の純粋形」として親しみを持って迎えられている。
3. 河森正治の変形哲学と『アルベガス』
河森正治の変形メカ哲学は、航空力学や機械工学的リアリティに基づき、「変形が機能的に必然であること」を強調する点にある。彼はデザイン段階でレゴによる試作を繰り返し、空力的・機構的整合性を追求してきた。
この観点からすると、『アルベガス』の六変化は「アイデアとしては魅力的だが、機構的にはファンタジー寄り」であり、河森にとっては一定の距離を感じさせる存在であったと推測される。とりわけ、「スカイディメンジョン」において飛行するにもかかわらず翼を持たない設計は、河森的リアリズムからすれば“未完成”と映ったであろう。
すなわち、河森にとって『アルベガス』は、合体・変形の「量的な遊び」としては共感し得るが、リアリティを伴った「質的な深化」には到達していない作品として認識されたと考えられる。
4. 玩具的実現可能性
玩具的観点から見れば、『アルベガス』はDX超合金によって商品化されたが、そのプロポーションや合体精度は高くなく、売上不振の一因ともなった。河森はこれまでに、タカラやバンダイと協力し、バルキリーをはじめとする高精度の変形玩具を設計してきた経歴を持つ。
もし河森が『アルベガス』を監修していたならば、①各形態のシルエット差別化、②余剰パーツの排除、③飛行形態の空力的説得力の付与、などを実現し、現代のバンダイ技術(LED・クリアパーツ・フル可動フレーム)と組み合わせることで、「失敗した80年代玩具」の雪辱を果たせた可能性が高い。
5. 結論
ゲッターロボ業界が『アルベガス』を「熱血合体の純粋形」として親しむのに対し、河森正治にとっては「アイデアとしては共感できるが、リアリティを欠いた未完成作」として遠い距離に置かれていたと考えられる。しかし、その「未完成さ」は同時に「リファインの余地」として、河森的再設計の余白を残す。
もし現代に「河森版アルベガス」が実現すれば、それはゲッター業界的な熱血馬鹿ロボと、河森的なリアル可変ロボの交点に位置する可能性を秘めている。『アルベガス』は、ゲッターとマクロスという二大変形思想をつなぐ「失敗作にして可能性の結節点」として再評価されるべきであろう。
