序論
武内直子による『美少女戦士セーラームーン』(以下、『セーラームーン』と略記)は、1991年に『なかよし』誌で連載を開始し、90年代少女漫画を代表する作品のひとつとして位置づけられる。その成立の背景には、作者自身の環境的要因が指摘可能である。すなわち、武内は高校時代に天文部に所属していたこと(※¹)、また実家が宝石店を営んでいたこと(※²)が知られている。天空(天体)と大地(鉱物)の双方に接続する制作者的条件は、作中の象徴構造に直結していると考えられる。
同様の「天空と大地の対立」を物語的基盤とした作品に、飯森広一『60億のシラミ』(1979)がある。同作は、キリスト教的超越を思わせる「天空坊」と、人類文明の退廃を象徴する「大地」との対立を主題化している。飯森自身が作中に挿入した「おろかなり60億のシラミどもよ なんじらは今 その寄生体の死にかけたるを知らずや」(※³)という台詞は、天空から人類全体を見下ろす預言的な声と解釈し得る。
本稿では、『セーラームーン』と『60億のシラミ』を比較し、両者に共通する「天空/大地」二項対立の寓意的意味を考察する。
本論
1. 『セーラームーン』における天空と大地
セーラー戦士は、月や惑星に由来する存在であり(ムーン、マーキュリー、マーズ、ジュピター等)、天空的な象徴を担う。冥王星のセーラープルートについても、当時は惑星とされていた点に留意が必要である(※⁴)。一方、ダーク・キングダム四天王は、ジェダイト(Jadeite)、ネフライト(Nephrite)、ゾイサイト(Zoisite)、クンツァイト(Kunzite)といずれも鉱物名を冠しており、明確に「大地=鉱物資源」を象徴している。
また、地球は「地場衛(タキシード仮面/キング・エンディミオン)」によって代表され、天空と大地の交差点として位置づけられる。この構造は、天文部出身としての天空志向と、宝石店という環境に根差す鉱物志向との双方を反映していると解釈できる。
2. 『60億のシラミ』における天空と大地
『60億のシラミ』は、地球規模の終末的寓話として構想された。天空的存在である「天空坊(キリスト)」と、大地に生まれた赤子をめぐって現れる108の魔星に導かれた人々の物語が展開される。ここでの「108」という数は、仏教における煩悩の数と響き合い、人類的業の総体を象徴するものと解される(※⁵)。
第一部完結時点では、実際に登場したのは77人(チンパンジー1匹を含む)に留まり、残る31人は未登場のまま終わっている。しかしこの「不在」は、むしろ読者に妄想による補完を促し、開かれた物語構造として機能していると考えられる。
3. 天空と大地の寓意的対立
両作品の比較により明らかになるのは、天空(惑星・神・宗教的超越)と大地(鉱物・人間の欲望・物質世界)との対立である。
- 『セーラームーン』においては、美少女戦士=惑星と、鉱物名を冠した四天王との対立。
- 『60億のシラミ』においては、天空坊=救済的超越と、108の魔星に導かれる人類の欲望との対立。
両作品はいずれも、人類文明と宇宙的超越との間に横たわる裂け目を寓話化している。
4. 氷河期から温暖化へ
『60億のシラミ』には氷河期の到来が繰り返し言及され、人類存続の危機が強調される。これは1970年代における「氷期到来論」(※⁶)と呼応するものである。一方、21世紀以降は地球温暖化問題が前景化しており、危機言説の焦点は大きく転換した。ここには「氷河期/温暖化」という形で、天空と大地の対立が「冷却/加熱」の二項対立として再演される構造が見出せる。
結論
『セーラームーン』と『60億のシラミ』は、ともに「天空と大地の対立」という寓意的枠組みを持つ。武内直子の制作者的環境(天文部と宝石店)と、飯森広一の宗教的・文明批評的視座は、一見無関係に見えて、いずれも「人類と宇宙」「物質と超越」の緊張を物語化する方向に収斂している。
環境問題をめぐる言説が「氷河期」から「温暖化」へとシフトした現代においても、この二作品が示した天空/大地の構造は、人類文明の危機を考察する上で有効な比喩的枠組みを提供し続けている。
※)注
- Wikipedia「武内直子」項目。
- 同上。
- 飯森広一『60億のシラミ』第2巻、第10話(1979)。
- 冥王星は2006年の国際天文学連合(IAU)決定により惑星から準惑星に再分類。
- 阿部泰郎『仏教における煩悩と数の象徴性』岩波書店、1995年。
- Imbrie, J. and Imbrie, K. P. Ice Ages: Solving the Mystery (Harvard University Press, 1979).
参考文献
- 武内直子『美少女戦士セーラームーン』講談社、1991–1997。
- 飯森広一『60億のシラミ』秋田書店、1979。
- 阿部泰郎『仏教における煩悩と数の象徴性』岩波書店、1995。
- Imbrie, John & Imbrie, Katherine Palmer. Ice Ages: Solving the Mystery. Harvard University Press, 1979.
- Wikipedia「武内直子」https://ja.wikipedia.org/wiki/武内直子。

