このブログには
明るい話題だけ書こうと思いつつ、
読んで下さるみなさんに
信頼感も芽生えてきて
これまで書けなかった話を書こうかと思います。
この記事には命に関する重い内容を書きますので
苦手な方、読みたくない方はこの先はご遠慮ください。
************************************
去年の秋のこと
飲食店でのパートに心身ともに
疲れてしまったわたしは
事務職へ再就職したくて
パソコンの勉強をしようと決断し
パートをやめて
職業訓練に通い始めた。
数ヵ月後(在学中)、
生理がくるはずの日になっても来ず。
妊娠検査薬で陽性反応。
予想外の妊娠。
就職活動への弊害。
生活費の心配。
正直、喜べなかった自分がいた。
とてつもない悪阻(つわり)に襲われて
学校で休憩時間が来るたびに
トイレに駆け込んでいた。
そのうちに、
ベッドから起き上がることもできず、
やむなく職業訓練を退校。
お腹の子は3ヵ月目に突入。
心拍も確認できた。
心拍が確認できると、
生存率は90パーセントにあがるらしい。
病院で見た映像で、
元気に心臓を動かしている。
周囲の「喜び」の反応と比べて、
自分の心の中は荒んでいた。
ひどい悪阻。
起き上がれないし。
家事も育児もままならない。
人生設計も変更。
夢もあきらめた。
最悪の気分だった。
早く楽になりたいと願った。
「妊婦失格」だと自分を責めた。
そんな日々が続き、
数日後のある日。
下腹部に激痛。
ピンときた。
何かあったと感じた。
急いで病院にいって調べたところ
赤ちゃんの姿ははっきりしているのに
前回見た「心拍」が止まっていた。
先生が気まずそうに
「本来ならピコピコとこの心臓部分が動いているはずなのです・・・」
「残念ですが・・・今回は・・・・。」
腫れものを触るように、
一言一言を慎重に選んで説明してくれた。
言っている意味はわかっている。
初期の流産は珍しくないとか、
6回の妊娠で1回は流産する確率だとか。
でもなぜ、わたしの子が・・・?
勝手なもので
命が消えてから
「愛情」に気がついた。
失ってからやっと気がついた私。
最低で、
自分勝手で、
人間失格だと本気で思った。
看護師はあえて感情を出さず、
事務的に手術の日取りを決めてくれた。
手術が無事に終わり、
赤ちゃんの身体が病理検査に出された。
結果は、
「部分胞状奇体」という病気だった。
初めて聞く病名。
それは
「妊娠疾患」の一つで、
前癌状態だということを意味している。
つまり
妊娠が原因で
癌になるかもしれないという病気。
赤ちゃんになるはずの細胞が異常に分裂して
ほうっておくと、
子宮全体に広がって、
癌になってしまうことがあるという。
子供を失った悲しみの中で
今度は癌への恐怖が襲いかかってくる。
人生にどん底があるとしたら
このときだった。
「部分胞状奇体」の細胞を手術で掻きだし、
あとは広がらないことを、
ひたすら願うことしかできない。
毎月1回病院へ通い
採血して
数値が上がっていないか確認。
半年問題なければ
次の妊娠を計画しても
大丈夫になるらしい。
今日の時点で言うと、
あと数回、
基準値以下であれば・・・。
必ず!!!
必ず病気が治ると信じて、
じっと待っている。
この暗闇には
かならず
夜明けがくる。
あの子が来てくれたことは
偶然ではなくて
必然なんだと思うようになった。
命をもって、
私に色んなことを教えてくれた。
空の上の私の赤ちゃんに感謝。
顔を見ることがかなわなかったけど、
出逢えたことに「ありがとう」と言いたい。
*********************************
読みやすくない内容にもかかわらず、
ここまで読んで下さった方、
ありがとうございます。
日々のブログにあるように
私は元気です
前を向いて歩いていきます
今つらい思いをしている方や
悩んでいる方に
少しでもパワーを
お届けしたいという気持ちで書きました
生まれてきたことに
意味があるんだってことを
伝えたいです。
生まれてくれただけで
もう、充分親孝行。
いてくれるだけでいいんです。
明るい話題だけ書こうと思いつつ、
読んで下さるみなさんに
信頼感も芽生えてきて
これまで書けなかった話を書こうかと思います。
この記事には命に関する重い内容を書きますので
苦手な方、読みたくない方はこの先はご遠慮ください。

************************************
去年の秋のこと
飲食店でのパートに心身ともに
疲れてしまったわたしは
事務職へ再就職したくて
パソコンの勉強をしようと決断し
パートをやめて
職業訓練に通い始めた。
数ヵ月後(在学中)、
生理がくるはずの日になっても来ず。
妊娠検査薬で陽性反応。
予想外の妊娠。
就職活動への弊害。
生活費の心配。
正直、喜べなかった自分がいた。
とてつもない悪阻(つわり)に襲われて
学校で休憩時間が来るたびに
トイレに駆け込んでいた。
そのうちに、
ベッドから起き上がることもできず、
やむなく職業訓練を退校。
お腹の子は3ヵ月目に突入。
心拍も確認できた。
心拍が確認できると、
生存率は90パーセントにあがるらしい。
病院で見た映像で、
元気に心臓を動かしている。
周囲の「喜び」の反応と比べて、
自分の心の中は荒んでいた。
ひどい悪阻。
起き上がれないし。
家事も育児もままならない。
人生設計も変更。
夢もあきらめた。
最悪の気分だった。
早く楽になりたいと願った。
「妊婦失格」だと自分を責めた。
そんな日々が続き、
数日後のある日。
下腹部に激痛。
ピンときた。
何かあったと感じた。
急いで病院にいって調べたところ
赤ちゃんの姿ははっきりしているのに
前回見た「心拍」が止まっていた。
先生が気まずそうに
「本来ならピコピコとこの心臓部分が動いているはずなのです・・・」
「残念ですが・・・今回は・・・・。」
腫れものを触るように、
一言一言を慎重に選んで説明してくれた。
言っている意味はわかっている。
初期の流産は珍しくないとか、
6回の妊娠で1回は流産する確率だとか。
でもなぜ、わたしの子が・・・?
勝手なもので
命が消えてから
「愛情」に気がついた。
失ってからやっと気がついた私。
最低で、
自分勝手で、
人間失格だと本気で思った。
看護師はあえて感情を出さず、
事務的に手術の日取りを決めてくれた。
手術が無事に終わり、
赤ちゃんの身体が病理検査に出された。
結果は、
「部分胞状奇体」という病気だった。
初めて聞く病名。
それは
「妊娠疾患」の一つで、
前癌状態だということを意味している。
つまり
妊娠が原因で
癌になるかもしれないという病気。
赤ちゃんになるはずの細胞が異常に分裂して
ほうっておくと、
子宮全体に広がって、
癌になってしまうことがあるという。
子供を失った悲しみの中で
今度は癌への恐怖が襲いかかってくる。
人生にどん底があるとしたら
このときだった。
「部分胞状奇体」の細胞を手術で掻きだし、
あとは広がらないことを、
ひたすら願うことしかできない。
毎月1回病院へ通い
採血して
数値が上がっていないか確認。
半年問題なければ
次の妊娠を計画しても
大丈夫になるらしい。

今日の時点で言うと、
あと数回、
基準値以下であれば・・・。
必ず!!!
必ず病気が治ると信じて、
じっと待っている。

この暗闇には
かならず
夜明けがくる。
あの子が来てくれたことは
偶然ではなくて
必然なんだと思うようになった。

命をもって、
私に色んなことを教えてくれた。
空の上の私の赤ちゃんに感謝。
顔を見ることがかなわなかったけど、
出逢えたことに「ありがとう」と言いたい。
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読みやすくない内容にもかかわらず、
ここまで読んで下さった方、
ありがとうございます。
日々のブログにあるように
私は元気です

前を向いて歩いていきます

今つらい思いをしている方や
悩んでいる方に
少しでもパワーを
お届けしたいという気持ちで書きました

生まれてきたことに
意味があるんだってことを
伝えたいです。
生まれてくれただけで
もう、充分親孝行。
いてくれるだけでいいんです。
