今夜も冷えますね。

思い込みクリアリングコーチの加塩雪江です。


今日は私の人生で大ピンチが実は大チャンス
だったという体験をお話したいと思います。

私の嫁いだ先は静岡のお茶農家で、当時は夫とその両親、そして私の四人で働き何とか生計を維持してきました。

ところが、夫が結婚後3年で大病をし、その後遺症で歩くことも、ままならなくなりました。

両親はもう70歳間近、これからどれだけ戦力になってくれるのか?

子供達3人は、まだ学生

その頃ペットボトルのお茶が流行り出したことで、一番の収入源である、春先に採れるお茶で作るリーフ茶の値段が急降下。

副収入として、始めた冬期のレタス栽培も指導者もなく低収入


そんな中でも、新築した家のローンは、まだ10年残っている

いったい、これから先どうやって暮らしていけばいいんだろう?


夫は大病後無気力になり、経済面もノータッチ


「いったい、どうすればいいの?」と聞いた私に、夫は「俺は知らん」と背を向けて寝てしまった。


頭はパニックになり、どうしていいかわからず、ワーンワーン泣きながら「こんなに辛いのなら、もう死んでしまおう。」と考えた。

どうやって死のう?


保険に入ってるから、そのお金でローンも返せるし。

でも、自殺すると地縛霊になって、そこに留まらなければならないと聞いたことがある

そんなのは、絶対に嫌だ!

泣きながら色々な事を考えた。


そして、夜が明ける頃には

「私は死ねば楽になるけど、残された夫は誰が面倒を見るの?両親は持って10年。その後はどうしても、子供達誰かの負担になってしまう。可能性のある子供達にそんな苦労はかけたくない‼ だとしたら、やっぱり自分が頑張るしかない。」

最後に決めたこと「今は食べるお米があるから、明日食べるお米がなくなったら、その時又死ぬことを考えよう」だった。




すると、いくつもの信じられないような奇跡
が起こったのだ


夫は重度障害者として、認められ国民年金を払っていたのが、逆に障害者年金を貰えるようになり、


住宅ローンも契約先の農協でかけてくれてあった個人保険で、ローンがチャラに


さらに二束三文の田んぼを業者が作業場として借りてくれることになり


農協の合併で、レタスの大産地と一緒になり
素晴らしい指導者に恵まれ、収入がお茶からレタスへとシフトチェンジ。


それらは、決して一年や二年の短期変化ではないものの


その後もラッキーな出来事は、続き

一年中働かなくても経済的に困ることは
なくなった。


それは、どうしてなのか?


その後「お金と幸せ」について学んでいきわかってきた。

続きは又😄


ここまで読んでいただきありがとうございます。


あなたに素敵なことが、雪崩のごとく降りかかりますように✨✨