ロンドン発 しあわせの見つけ方
本当の意味での自由の場所では
自由を求めることすらいらないのかもで

それは
私たちが
空気はアタリマエにあると信じているから
わたしたちが生きて行くためには
お金があるとかないとか
年取ったとか身体の具合を心配する以前に
ゼッタイになくてはならないものなのに
信じていることすら思い出さないくらい
アンシン アタリマエの事だから
空気が欲しいとも思わないのと同じ原理
かな
言い換えると
空気が足りなくなるなんて言う不安や恐れは
抱いていないとも言える
自動供給
老若男女
正直者もそうでない人も
何の差別もなく受け取れる♪

DE,
ナニカを欲すると言うコトは
それがナイと感じてる
極端な言い方をしたら飢餓意識とも言えるかもで
自由を求めると言うコトは
今が不自由(だと思ってる)
と言うコトに
ノージャッジで
ただ気づいていくと言うか

でね。
ここからが他人事ではない話かもで
私たちが信じて来た自我さんベースの生き方って
気づけば気づくほどに
この飢餓ベース 恐れベースだったと言うコトに
驚愕してしまうかもで
ダレが悪い訳でも
ナニが間違っていた訳でもなく
そうやって教えられて来たからとも言えるし
すべてはただ起こっているだけとも言える
でね。何が言いたいかって言ったら
すべてはただ起こっているだけなんだけど
受け取り方によっては
じゃあ何もできないじゃんって
なっちゃったりもするんだけど
恐れベースで自動反応を続けて行くと言うコトは
ワンコが永遠に自分のしっぽを追いかけて
グルグル回ってる状態と言うか
ジブンについて来る影にブチ切れて
もぅついて来ないでよ!!!ってやってると言うか
そこからは何も生まれないと言うか
まぁ厳密に言ったら
努力によって何かが生まれたりもするんだけど
やればやるほど疲弊しちゃうかもで
だからひとは混乱するし
迷走するし
葛藤もするかもなんだけど

こういう話を聞くと自我さんは
いろんな反応をするかもで
それも全部マチガイではないんだけど
たとえば
自由を求めている自我さんがいたとして
本当の自由って
自由を求めることすらしないと言うフレーズを
どう受け取るかってとこかもだし
だからコトバで表現するのって難しいよねって
なっちゃう
このニュアンスがうまく伝わるといいんだけど

オマケ
私がまだコーチングを勉強し始めた頃
だったかな
あるコーチのセッションで
否定の存在しない会話って
こんなにも気持ちのいいものなのかと
すごく感激したことを
ふと思い出しました
別角度から見ると
自由をタイケン(枠越え)することで
不自由さに気づいたと言うか
それまでは
今思えばだけど
不自由さがふつうだと思ってた
とも言えるかも
ゆるめる
手放す
自分とつながる
あせらずいっぽいぽ
人生楽しまなきゃ損ソン♪
そして
じつは灯台下暗しなことも
けっこーあるのかもね

え?
わたしのやってるコトって
地味なんだーーーって
ふと
思いました
今更??w
でもヘンカが面白すぎて
やめられないw

でね。そんな今更な気づきがあって
改めて
表面的なものは
地味も派手も同じなんだなって言う
根源の部分って言うか
多くのひとは
見た目の華やかさとか
ケッカとか
成果 成功 パフォーマンス
気を引く 目を引く
そっちのほうに意識が向きがち
なんだけど
それがワルイ訳じゃないんだけど
今に至る
今日はそんなコトバが浮かんで来ました

どんな人でも
人生における カコのようなものがあって
今に至ってると思うんだけど
そのすべてに無駄がなかったと
そんな風に受け取れるようになれば
受け取れるようになれるほど
ジブンをまんま丸っと
受け容れられれば
受け容れられるほど
愛せれば愛せるほどに
今に至ると言うか
この時のいまって
現在地でもあるんだけど
自分の中心点である
いまここのIMAと言うか

そこは常に
安心と静寂の場所とも言えるだけど
そこからは
地味も派手も同じだし
イイもワルイもない
オソレのない場所
そんな言い方もできるかも
表面的なコトに大きな意味はないと言うか
そこでゲンソウと言う表現も使えるかもだし
そこでコトバだけを拾って そこに頼って
寄りかかってナニカから目を逸らしてしまえば
ジブンが逃げたいナニカから逃げるための口実に
都合よく使ってしまえば
本質に気づくことは
遠のいてしまうかもだけど
ゲンソウだからこそ
もっと力を抜いて
ジブンのベストを尽くしちゃってもいいんだよ
人生自分に正直に遊んでいいんだよ
そんな言い方もできるのかもだし
それは自分の緊張に気づいていく
そんな言い方もできるかな
ほんと私も何度も書いた気がするけど
迷走 逆走色々やって来ましたw
でもね。
それにもすべてに意味があったと
いまでは思うし
自分の感覚と言うものに耳を傾ければ傾けるほど
何となく違うな~って言うのも
わかって来たりするはず
このとき
ひとによって
場合によっては
社会的にヨシとされて来た
自分の中でヨシとして来たナニカと
逆行するような気がしたり
不安や葛藤が生じるときもあるかもだけど
そんな時こそ
自分の感覚に
しっかりと耳を傾けてあげることが
大切になってくるのかも
焦らずいっぽいっぽ

今日は(も?)ちょっと
チャレンジングな内容かも
シフトして行くって
だんだんと
安心とか静寂とかの中に居る
そんな表現もできるんだけど
それって
大人しくなる 穏やかになると言うか
ある意味合ってるんだけど
聖人君子のようになるわけではなくて

喜怒哀楽を否定することなく
同時に静寂の中に居られるようになる
と言うか
コトバで聴いても
なんじゃらほいかもだけど
それはもしかしたら
友達とワイワイ騒いでいても
どこかで冷静な自分が居るとか
表面的には怒っていても
怒っていないと言うか
同時にその奥深くに
穏やかな自分を感じるとか
そんな感覚
なんとなくでも
わかる~と言うひとも
もしかしたらいるかも知れません?

オマケ
ちょっと前に書いた
純米酒と純米吟醸のチガイ
カンタンに言ったら
今までの時代は
いかに素晴らしい純米酒になれるか
立派な外部評価を得るため
認められないジブン
使えないジブン
褒めてもらえないジブンを
不要なもの 足枷
知られてはいけないものと
隠して 排除して
見つからないようにして
笑いたくない時もへらへら笑い
ひとに 社会に合わせて来た
あなたは黙ってなさい!と
後ろに追いやって
置き去りにして来たジブンの部分を
しっかり自分の中に
回収していくと言うか
認めていく
あきらめていくw

まんま丸っと愛していく

そんな言い方もできるかな
ゆるめる
手放す
自分とつながる
焦らずいっぽいっぽ


