名古屋市内も雪景色です。
水っぽい雪で路面はサクっていうよりベチャって感じでした。
昨年末からFF瞑想に移行したわけですが
20年ほど前にTMを学んでいた時に瞑想教師が
「純粋意識」という言葉を使っていました。
まぁ・・わたしは「不純」なので・・・今も変わらず(笑
不純の対義語として
純粋意識=純粋な意識・・・ピュアなハート
そんなふうに思っていました。
純粋意識はどのような手段を用いても破壊することができない。
仮に原水爆を使っても傷ひとつ付けることはできない。
面白おかしいたとえを話してくださった覚えがあります。
純粋になるなんてわたしには未来永劫ムリな話
まさに修行であるって解釈をしていたんでしょうね。
どうしてTMを学んだのか?
それは結婚してスグに女房の父親が病で他界したこと
わたしにとってはとても気丈で元気の塊のような方でした。
その人を持ってしても病には勝てないこと
とても温厚な人柄で多くの人達から慕われていたのに
60歳を目前で死を迎えた不条理な感覚・・・
じゃぁ。わたしが同じような境遇になったときに
果たして精神的に耐えられるかどうか?
病と向き合うことが出来るかどうか?
長女を授かったばかりでムスメと離れたくないという
死への恐怖に苛まれていました。
瞑想に精神修養を見出し求めていました。
日々怠らずに瞑想をすることによりタフになる。
自分なりにそんな考えを抱いていたんですね。
んで・・・タフになれたか?
タフになんて成れすはずもありませんでした。
今だから言えるのですが生きるということは
外界の出来事に耐え忍ぶこと
そんな誤解をしていたんですね。
またまた話が逸れてしまいました・
昨年末にFFに出会うまで純粋意識という言葉を
すっかりと忘れていました。
FFの教師に過去にTMを学んだことを伝えたら
TMで言うところの純粋意識がFFで伝えている空なんですよと。
そこには何もないから見ることも感じることもなにも起こらない。
ようやく理解できた瞬間でした。
そりゃ壊すどころか傷もつけられないわな・・・って。
TMの教師が言っていたのは何も期待せずに
「ただそこに寛ぐだけ」それだけ・・・・
FFの教師は
「どれだけボ~~っとできるか」それだけ。
わたしは精神修養を求めてTMを行っていた時期がありました。
あれから20年余り経過してようやくわかったことは
自らも空であり自らが純粋意識であること
日々に起きる感情を味わいながら暮らしていきたいですね。
