4:ブータン王国の熱狂 | ITベンチャーで働く社員から、就職活動に勤しむ学生へ

4:ブータン王国の熱狂

「郵政民営化は本当に必要ないのか。国民にはっきりと問いたい」

 郵政解散と言われた2005年の開催総選挙の際、そう毅然と答える小泉首相を支持したのは、無党派層と言われる20代~30代の若者だったと言われています。小泉政権誕生以降、確実に格差は広がったと言われていますが、その格差を直撃しているのが20代~30代であることを考えると―例えば日雇い労働者の増加、正社員から非正規雇用者への以降と増加や規制緩和における所得の減少など―皮肉な結果だと思わざる得ません。そもそも郵政解散の際、あるPR会社は郵政民営化・合意形成コミュニケーション戦略と題して主にターゲットとすべきはA層とB層とし、A層は構造改革によって恩恵を受けた財界や都市部ホワイトカラー、B層は具体的なことは解らないが小泉総理のキャラクターを支持する層としています。最も面白いのは、A層はIQの高い人間、B層はIQの低い人間と位置付け、B層にフォーカスした戦略が必要と結んでいることは、特筆すべきだと思います。知っているのです、何も考えずキャラクターだけで小泉内閣を支持する人間はIQの低い人間だと。この分析で面白いのは、既に小泉改革によって痛みを受けた人間はIQが低く反構造改革、そして構造改革に反対する守旧派はIQが高いそうです。痛みだけを受け、何ら抵抗を示さずとりあえず構造改革反対と言う人間もまた、IQが低いそうです。

 そんな、PR会社からすればIQの低い人々が支持した小泉内閣、そして小泉政権で景気は回復したと言われています。そして都市と地方、上流と下層、恩恵を受けた者とそうで無い者に別れて格差は拡大し、皮肉にも痛みはIQの低い層が受けたと言われています。しかしよく考えてみれば、冒頭に説明したように資本主義社会とは神の見えざる手によってケーキが分配される不平等社会ですから、格差が存在し、恩恵を受けるはずだったケーキの分量が減って痛みを蒙るのは、ある意味で当然とも言えます。資本主義と言えば事在るごとにライブドアの社長だった堀江氏や「物言う株主」として名を馳せた村上氏、或いはベンチャーの雄と言われたグッドウィルの折口氏、フルキャストの平野氏など、悪巧みをして逮捕されたり或いは有名になった人ばかり取り上げられますが、彼らは神の手で切るはずのケーキを自らの手で切ろうとしただけで、資本主義が悪いのではなく、彼らに経営者・リーダーとしての資質が無かったことが問題なのだと思います。

 資本主義というのはあくまで国を発展させるための手段に過ぎず、ブータン王国は計画経済という点で資本主義とは程遠く、どちらかと言えば社会主義経済に近いと言えます。実際、ワンチュク国王が就任してから退位するまでの30年近くは環境に配慮した経済活動―すなわち今で言う持続可能な開発を手段としていましたから、国内体制も過当な競争も存在せず、国王があらゆる物事を決めていったとさえ言われています(そしてそれが、国民が脳味噌を国王に預けた原因とも言われています)。一方の小泉首相は資本主義経済を強化し、市場原理主義者(市場を解り易く言えば、ケーキのこと)とも言われた竹中平蔵氏を懐刀として重宝し続けました。どちらのリーダーも理由はともあれ、国民から熱狂的な支持を受けていた訳ですから、資本主義でも社会主義でも国民が納得しているから別に良いやん、で済みそうですがそういう訳にもいきません。中国の毛沢民による文化大革命、ソ連のスターリンによる粛清政治、北朝鮮の金一族の主体思想と熱狂的な支持によって幾度と無く悲劇は繰り返されました。皆さんもそれを学んで、今の視点だけで自分の人生を決めないことです。旅行が好き、金融知識を身に付けたい、本が好き、ITスキルで将来起業したい、全ては仕事の合間に出来ることだからです。旅行が好きなら仕事の合間に有給休暇で旅に出れば良いですし、金融知識を身に付けたいなら会社に行くまでの電車の中で資格勉強をすれば良いですし、本が好きなら会社の昼休みで読めば良いですし、ITスキルを身に付けたいなら日曜プログラマから始めれば良いと思いませんか? 引退が60歳と考えれば、それまでに社会も世界も世間も身の回りも変わっているはずで、今だけ幸せになりたいと思っても残りの59年不幸せではどうしようもありません。いったい何のために仕事をするのか、それを考えると自分の趣味だけで働く内容を決めることが如何に不幸か―もっとも何のために仕事をするか考えた時に趣味と一致することを、日本のサラリーマンは幸せな奴だと羨ましがりますが。

 話がかなり大きく逸れたので、本題に戻します。

 皆さんにとって身近な問題であるはずの日雇い・派遣・ネットカフェ難民―最近はマクド難民まで出たそうですが―なぜ彼らがマズローの欲求で言う最底辺の欲求さえ満足に叶えられないかを考えなければいけません。もう何度も出ましたが、資本主義はケーキの奪い合いです。そして奪い合いのための喧嘩が終わった時、神の手が既にケーキを切り終えていると言われていました。しかし日雇い・派遣・ネットカフェ難民にとって、ケーキを奪い合う術を知らない―これが問題となっているのです。

 それは即ち、何度も私が口を酸っぱくしている情報。彼らは横や縦の繋がりが殆ど無いと言われています。地方から出てきた若者にその傾向は特に強く、映画「ALWAYS」で描かれていたような地域社会のコミュニティも無ければ、堤真一が堀北真希に教えていたような技術の継承も無く、結果として何にも属さない浮浪となり、やがて日雇いや派遣になっていくというケースが非常に多いと言われています。フリーターやニートなどを負け組と世間ではいつしか呼ぶようになり、そしてまたそう呼ばれる彼らもそれを受け入れているようですが、本当は戦わない組です。本当の負け組は資本主義という土俵で負けてしまい、しかもそれが固定化して現状から抜け出せない日雇い・派遣の労働者です。

 ここまで喋って、まだ自分は関係ない! と思っているのなら、お目出度いとしか言えません。良いですか? 現実を見てみましょう。どうして日本は年間で3万人もの自殺者がいるのですか? 出発点は同じはずなのに、どうして電車で見るサラリーマンの顔はあんなに輝いていないのでしょう? 少し上の先輩から毀れる言葉は会社への愚痴と、不満なのはどうしてですか? そして皆さんは、そうならない自信がありますか?

 今までブータン王国の国民のように、自分で考えることもせず脳味噌を預けてきた皆さんに、いきなり戦うことが出来るのですか。従業員は家族ですと言ってくれる会社はまだ良くて、会社を形成するための兵隊か駒のように扱う会社だって存在します。先ほど私が言った某証券会社の友達もまさにそうで、戦う準備が出来ていないのにいきなり戦えと言われて体調を崩し、会社を辞めてしまいました。皆さんもまた、彼と同じような道を歩かないとも言えないわけです。そして、堕落してしまったが最後、一生を派遣・日雇いとして過ごさなければいけないかもしれません。

 私が皆さんに、なぜ働くのか? これを問うていたのは、ある意味において資本主義の日本において戦う覚悟をしているかと聞いています。死ねば良いと言ったのは、戦う覚悟も無いのに戦場へ行こうとするからです。死ぬよりも生きる方が苦しく、辛い世の中で皆さんは暮らす覚悟がありますか?

 その意味で、考えることを知らなかったブータン王国の国民は、これから様々な苦痛を味わうと思います。常識と既成概念の依存症だった国民にとって、ワンチュク国王という最大の依存相手がいなくなったおかげで、色々考えなければいけません。民意を反映するために国会が誕生し選挙が始まり、国を繁栄させるために内閣や閣僚が増えました。それでも私は間違いなくブータン王国は堕落し腐敗していくと思いますし、今のところそうなりつつあるようです。国民総幸福量を追い求めて、確かに国民の幸福量はどの先進諸国よりも高かったのですが、それは資本主義が齎すあらゆる市場での競争が原因で、土俵が違うことを失念したと言えないでしょうか。狂信的な宗教家が信者に向かって「最高ですかー?」と問いかけ、魔法のように「最高でーす」と返していたあの光景。円天で幸せになれると興奮し何千万という資産を預けていた中高年は、テレビカメラに向かって「最高!」という言葉を何度も繰り返し言っていました。ブータン王国の国民がワンチュク国王の洗脳に掛かっていたとは思いませんが、幸福を測る測量に不公平があったと私は思います。ワンチュク国王を追い求め追い続けるブータン王国の国民は、坂口安吾に言わせれば「堕落するしかない」かもしれません。かつて彼は「堕落論」という著を記し、その中で「生きよ堕ちよ。その正当な手順の他に、真に人間を救い得る便利な近道が有りうるだろうか」と闊歩しました。この言葉は戦争に敗れた日本国民が、あれほど嫌っていた米国に迎合していく様を「皆が縋っていた天皇や日本の神が負けた」「堕落して自分自身の天皇を生み出すしかない」と見破った際に出た言葉です。とことん堕ちて、依存する相手を見付けていく。ブータン王国の国民がそうなっていないか私は心配です。

 ワンチュク国王が見破ったように、開発が人を幸せにするとは限りません。開発によって自然が破壊され、大地が崩壊し、人々が苦しむ可能性だって有り得るのです。しかし開発によって齎される利益―すなわちマズローの欲求にあるように、底辺から上へと駆け上がる欲求が満たされる場合―に人々が堕落した瞬間、ブータン王国の国民は「生きよ堕ちよ」となるかもしれないのです。それが、資本主義の怖さなのです。

 そして、それは就職活動をしていく皆さんが学ばなければいけないことです。既に皆さんは坂口安吾が闊歩したように、堕落の限りを尽くしていませんか? 堕落していないと言えるのなら、皆さんはいったい何を信じ、これからどうやって生きていくのですか? そもそも、自分自身がなぜ働くか答えられない人間が、果たして本当に堕落していないと言えるのか。それは働かないことを堕落しているというのではなく、働くことを当たり前のように受け入れているから堕落していると私は思います。私は共産主義者ではありませんから、働けど働けど楽にならずと蟹工船の世界を謳っている訳でも野麦峠を目指せとも思っていません。むしろ労働という行為を通じてコミュニティを形成し、社会を形成してきた日本の歴史を鑑みて、働くということは良いことだと思っています。ただ、働くことを当たり前のように受け入れている理由を、堕落だと私は思います。

恐ろしいのは、成長のために働くと言う学生です。成長とは手段であり、目的無き成長はベンチャー企業によくある理念無き拡大と何ら変わりありません。ライブドアの堀江氏や楽天の三木谷氏がニッポン放送を買収する際、何を聞かれても「放送と通信の融合」とオウム返しのように答えて、マーケットから「あぁ、理念が無いからビジョンが描けないんだな」と判断されたことを決して忘れてはいけないはずです。就職活動をする学生には成長を語る前に、ビジョンを語って欲しいと思います。そういう意味で、私は今の会社の「Impact On The World」というビジョンに惚れていますし、学生に対して「一緒に成長しよう」と促す、下らないベンチャー企業は一線を画すと思っています。

そして、もっと恐ろしいのは何度も言いますが衣食住のために働くと言う学生です。生きるためには金がいる、金を稼ぐためには働く。それはある意味で正しいことですが、では何のために生きるのか考えたことがあるのでしょうか。生きるために働くのなら、なぜ死なないのか。沖縄では、さかんに「命どぅ宝」という言葉が流行っていますが「生きてさえいれば」「生きさえすりゃあ何とか……」と言っている、その姿はまさに『堕落』でしかありません。もう、そうなればトコトン堕ちるしかありません。

今回は少し話が複雑で、資本主義学と言いながら資本主義についてあまり話せていませんでしたね。すいません。話の内容が、どちらかと言えば絶望的な話題を中心にしていましたが、しかし真実でもあります。皆さんは今、遠くが見えない眼鏡を掛けていると思って下さい。首相が安倍さんから福田さんに代わって何とかなる、北朝鮮問題はアメリカが解決してくれるから何とかなる、年金問題もマスゾエさんが頑張っているし何とかなる、景気だって回復してきたと言われているし就職活動だって松本が言っているほど厳しく無いはずできっと何とかなる、そんなことより今日の服装、髪型が大切、異性に好かれる方が大切、友達と遊ぶことが大切、遊ぶ金を稼ぐ方が大切……そうして人生を過ごすうちに、嫌でも皆さんは眼鏡を取らなければいけません。その時、皆さんの視界には何が映っているでしょうか? その眼鏡は資本主義国でも社会主義国でも売っています。ただ社会主義国では眼鏡の性能に文句を言った人間は殺され、資本主義国では眼鏡の性能を高めたりお洒落にした人間は喝采を浴びます。

ブータン王国では、強制的に眼鏡を外されました。

皆さんは、いつ眼鏡を外しますか?