3:ブータン王国の幸福 | ITベンチャーで働く社員から、就職活動に勤しむ学生へ

3:ブータン王国の幸福

 情報から隔離された世界だったからこそ、ブータン国民は幸福だったのかもしれません。オウム真理教などのカルト教団と違うのは、上に立つリーダーが真の意味で優秀か否か。その程度の違いだった可能性すらあります。

 もっとも、これらは皆さんにも言えることです。大学という世間から隔離された世界で、皆さんはどれ程の努力をもってして世間の荒波を体感してきましたか? 皆さんはブータン王国の国民と一緒で、脳味噌を誰かに預けて、将来のことも考えず遊び呆けていましたよね。いざ就職活動の時期になったらブータン王国の国民と一緒で、ワンチュク国王に「退位しないで下さい」と下げるかのように「どんな企業でも良いので内定下さい」と今まで舐めて来た社会に向かって低姿勢。皆さんの将来に、いったいその先に何が待ち構えているというのですか? 私の友人で、某証券会社に入社した人がいます。彼の仕事はひたすら外周りをして名刺を集めることでした。1100枚です。出来て当たり前、100枚獲得出来なかったら、上司に怒鳴られバカにされ苛められ、彼は体調を崩してしまい、ついに10月に退社してしまいました。去り際、上司から別れの挨拶は無かったそうです。しかし考えてみれば、その証券会社は外回り営業が非常に厳しいことは有名でした。そうなることは予見出来たはずなんです。しかし彼は同志社大学という優秀な大学にいながら、そんなことすら知らず―もっとも知っていて、嫌な情報は聞きたくないと耳を塞いでいたのかもしれませんが―、人生を自ら破滅へと追い遣ってしまいました。彼は今、無職です。つまり同志社だろうと龍谷だろうと優秀な奴は優秀、バカはバカ、だから皆さん安心して下さい。今時、大学名だけで優秀か否かを決める人事担当者はいません。脳味噌を見知らぬ大海に預けた人間、そして自らで考えている人間、そんな見分けぐらい人事担当者に付きます。今までこうして喋っていますが、ポカンと口を空け、メモすら取っていない人はもはや考えるのを辞めたか、下らない話と思って聞いているかのどちらかですよね。

 下らないと思って聞いているなら部屋から出た方が良いです。ただ物事に反発している人は、自分を尾崎豊のように思い込んでいるのかもしれませんが、反発しただけで何が変わるというのでしょうか。何に反発し、どう改善すれば良くなると考えたことはありませんか? 反発が許されるのは22歳の大学生まで、会社に入って何でもかんでも反発し、だからと言って対案を示さないようであれば、単なる子供と一緒です。

世間に溢れている既成概念や常識に反発を持つ。そしてさらに、どうすれば変えることが出来るか。そこまで考えることで、ようやく脳味噌が皆さんの頭に戻って来るのです。

少し前、私は「働く理由」を問うた時に「生きていくためには仕方が無い」と答えた人に対して「じゃあ死ねば良い」と答えました。私の「死ねば良い」という答えにどれほどの人が反発しましたか? 教授の推薦で月に1回講演をしてくれている人の発言だから、何も考えずに素直に受け止めていた人。人に対して死ねば良い、なんて言うなんて最低だと思った人。様々なようですが、じゃあなぜ私が「死ねば良い」と言ったか、皆さん理解出来ましたか。私は言いました、死ねば良いと言われて反発するなら今まで必死になって生きてきたのか、と。皆さんにとって生きることは既に常識であり、あたかも当たり前の既成事実のようですが、アフリカや東南アジアでは今日生きることで精一杯という人たちが大勢います。彼らは働くことすら間々ならず、ましてや生きることの意味すら理解していないかもしれません。その一方で生きることを前提に、仕方ないから労働しなければいけないと思うなら、私はじゃあその前提を無くしてみよう―そう提案しました。

私たちが生きていられるのは、日本に生まれたからです。資本主義国として高度経済成長を体験し、先進諸国として世界経済をリードしている国に生まれたからです。先ほど出たマズローの欲求で言えば、発展途上国より確実に底辺の欲望は直ぐ達成出来るはずですし、現に皆さんは少しアルバイトをするだけで衣食住を得られるはずです。それなのに発展途上国の住民のように、底辺の欲求を追及するために働くと言うのは恥以外の何物でもありません。資本主義国家では無いブータン王国ですら底辺の欲求を克服し、幸福という自己実現に向かって各人が努力しようとしているのです。

皆さんは隔離された社会―大学生という肩書きだけで誉められる偏屈な世界―から、脱出しなければいけません。隔離された、制限された社会において幸福であることはブータン王国の場合は国家として成り立っていたから良かったものの、皆さんは日本という国にいながら偏屈な世界に閉じ篭っているから始末が悪いのです。しかも日本は資本主義国家であり、パイは平等ではありません。闘い、奪い合い、そうでないと生き残れない社会ということに、皆さんは薄々気付いているのではありませんか?

隔離された社会から出るのが怖ければ、まずは現状に疑問を抱くことです。そして質問することです。質問は、疑問があるから質問出来るのですから。既成概念や常識を疑わず、それを受け入れている限りは隔離された社会から出ることなんて不可能です。そしてそれはブータン王国も同様で、ワンチュク国王に退位しないで下さいと頭を下げる人も、そして情報の快楽に溺れモラルハザードを起こす人も、ケツの穴は同根で、今までに疑問を抱かずまるで既成概念の依存症に懸かっているかのようです。

そして、それは皆さんの大学生活と一緒です。

なぜもっと外に目を向けないのですか? どんなに目を背けても、皆はその背け続けた世界に飛び込まなければなりません。関係無いと思っていた吸収合併も、関係無いと思っていた人員整理も、関係無いと思っていた正社員から派遣社員への強制転換も、世の中では当たり前のように平然と行なわれているのです。

伊勢を参拝するお陰参りに向かった民衆が、江戸幕藩体制に愛想を付かして「えぇじゃないか!」と言いながら躍り狂ったのは1868年頃だそうですから、約140年の時を越えてサンミュージックの小島よしおが「でも、そんなの関係ねぇ!」と言いながら躍り狂っているのは、あながち歴史は繰り返しているのかもしれません。派遣社員から抜け出せない派遣地獄、日雇い労働の日々から抜け出せない日雇い地獄、そして地獄から抜け出せずネットカフェを住処とせざるネットカフェ難民……そんな地獄が日本に迫っていることをしながら、小島よしおを筆頭に日本全国の国民が「でも、そんなの関係ねぇ!」と躍り狂っている。身近に危険が迫っていながら、自分だけは大丈夫と思い込みたいがために、皆さんは「でも、そんなの関係ねぇ!」と踊り狂っていませんか?

危機は、すぐ傍にまで近付いているのです。私は先ほど、底辺の欲求を追及するために働くと言うのは恥だと言いましたが、派遣地獄や日雇い地獄に陥っている人々は、その日暮らしすら間々ならない人々であり、底辺の欲求すら叶わないことが多いのですから。自分はそうはならない、問題、そんなの関係ねぇ! と躍り狂っていられるだけ幸せです。今日は最後に、資本主義の怖さを皆さんと一緒に考えて行きましょう。そして、それを考えることこそブータン王国が堕落してしまう原因、しいては就職活動をするにあたって何も考えないことの怖さを証明することになると思います。

 

3のまとめ

 

「世間に溢れている既成概念や常識に反発を持つ」

=>どうすれば変えることが出来るか。そこまで考えること。

 

「大学生という肩書きだけで誉められる偏屈な世界から、脱出しなければいけない」

 =>底辺の欲求を追及するために働く、と言うことの恥を知ること。