足の指はどんどん痛くなっていく。
実は本当は、痛みは変わっていないかも
しれない。
なぜなら
自分の意識が痛みに集中しているからだ。
こういうことは良くある。
例えば人の嫌なくせを見つけたとする。
すると、その途端にくせが目につき
どんどんそこが目立って嫌になる。
歯が痛い時なども
昼間より、夜寝ようとしている時の方が
意識や注意が集中しているので
余計痛く感じるようにも思う。
どこかで、きちんと足の指を
治療しなければ…。
そんな時ふと、
高校卒業の時に
大阪へ旅立つ同級生の女子を
みんなで見送った駅を
思い出した。
来待(きまち)駅。
痛みは相変わらずだが
そこに行けば何とかなりそうな気がした。
痛みを堪えて目的地へ…。
途中、綺麗な宍道湖の景色や
仏像もあった。
歩くような速さだったが
ようやく目的地に着くことができた。
待合室は、木製で温かい感じがする。
誰もいない待合室の椅子に座り
恐る恐るシューズと
靴下を脱いだ…。
予想通り、両足のアーチの部分には
マメができていたが、
足の痛みの王御所の
両足の指は、見る限り何も問題無いように
見えた。
なんでだろうといろいろ考えたが、
この痛み、足は初めてだが
手の指で感じたことがあったことを
思い出した。
カホンがある同級生の店で
飲んだ勢いで
曲に合わせてずっと叩いた時に
手の指が同じようになったことを…。
30km走るとすると
歩幅50cmで片足3万回アスファルトに
体重の三倍の重さで打ちつける訳だ。
これで、
足が痛くならないはずはない。
納得した途端、
待合室の周りが見え出した。
小学生の習字の力作。
めぐみちゃん、「テレビ」 ナイス!!
足の指をマッサージして
マメにはテーピング。
さあ、出発しようと窓の外を見たら
来待石の石像に
「おかえり」
と、彫ってあった。
自分は、どこに帰ったのかなあと
思いながらしばらく考えていた。
iPhoneからの投稿
実は本当は、痛みは変わっていないかも
しれない。
なぜなら
自分の意識が痛みに集中しているからだ。
こういうことは良くある。
例えば人の嫌なくせを見つけたとする。
すると、その途端にくせが目につき
どんどんそこが目立って嫌になる。
歯が痛い時なども
昼間より、夜寝ようとしている時の方が
意識や注意が集中しているので
余計痛く感じるようにも思う。
どこかで、きちんと足の指を
治療しなければ…。
そんな時ふと、
高校卒業の時に
大阪へ旅立つ同級生の女子を
みんなで見送った駅を
思い出した。
来待(きまち)駅。
痛みは相変わらずだが
そこに行けば何とかなりそうな気がした。
痛みを堪えて目的地へ…。
途中、綺麗な宍道湖の景色や
仏像もあった。
歩くような速さだったが
ようやく目的地に着くことができた。
待合室は、木製で温かい感じがする。
誰もいない待合室の椅子に座り
恐る恐るシューズと
靴下を脱いだ…。
予想通り、両足のアーチの部分には
マメができていたが、
足の痛みの王御所の
両足の指は、見る限り何も問題無いように
見えた。
なんでだろうといろいろ考えたが、
この痛み、足は初めてだが
手の指で感じたことがあったことを
思い出した。
カホンがある同級生の店で
飲んだ勢いで
曲に合わせてずっと叩いた時に
手の指が同じようになったことを…。
30km走るとすると
歩幅50cmで片足3万回アスファルトに
体重の三倍の重さで打ちつける訳だ。
これで、
足が痛くならないはずはない。
納得した途端、
待合室の周りが見え出した。
小学生の習字の力作。
めぐみちゃん、「テレビ」 ナイス!!
足の指をマッサージして
マメにはテーピング。
さあ、出発しようと窓の外を見たら
来待石の石像に
「おかえり」
と、彫ってあった。
自分は、どこに帰ったのかなあと
思いながらしばらく考えていた。
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