母と、魂の対話 | 津田紘彰のブログ

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日本コーチングセンター所長の津田紘彰(つだひろあき)が、コーチングを中心に生きることや日々学ばせて頂いたことについてお話しさせて頂きます。
少しでも皆様の気づきや元気に繋がりますように。

先日の私のセミナーで、勇気を出してお母さんに全力の愛を伝えてくれた中学生がいました。「お母さんの子どもに産んでくれてありがとう」と。

心の底からの感謝の思いをお母さんに伝えてくれた22歳の青年もいました。「今まで頑張って生きてきてくれてありがとう」と。

親子が、姉妹が、親友が、そして上司と部下同士が人生最大の勇気を出し、涙を流しながらしっかりと抱き合う姿は、参加者全ての心に新たな勇気と希望の火を灯してくれました。

昨日、母にそんなセミナーの感動風景を話しているうちに、母自身の話になりました。

これまで、母はどんな思いで生きてきたのか。

子どもの頃、何を考えていたのか。

どんなことが幸せで、どんなことに傷ついてきたのか。

幼少から、どんな自己概念を構築してきたのか。

2歳下、5歳下に弟が生まれ、少し影が薄くなってしまったこと。

でも、懸命に生きている親を助けられるよう、精いっぱいお手伝いをしてがんばってきたこと。

極貧から立ち上がって商売で忙しかった上に、すぐ下の弟は病気で片目を失明するという大きな出来事もあり、親の注目はどうしてもそこにいってしまったことでしょう。

また、時代的に、「長男が全て」という世代でもあります。

そこに母は、娘として姉として、どんな思いを抱いてきたのか。

そして、津田家に嫁いできてくれてから、どんなことがつらかったか。どれだけ傷ついてきたか。

姑に、夫に、たくさんたくさん傷つけられてきたこと。

普段、弱音やつらかったことなどを口にする人ではありません。

でも、「今日は、全部思いを話して下さい」と。

コーチングのように、カウンセリングのように、母が勇気づけられ、新たな一歩を踏み出せるようにと願い、心からの傾聴と対話でした。

母は、報われず、ねぎらってもらうことも少ない人生でした。

そして、決して比べるつもりは無かったのだけれどつい、誰かの幸せのために真っ直ぐに生きている自分の生家と、自分を傷つける嫁ぎ先とを比較してしまっていたかもしれない…

高校から名古屋を離れていた上に、その比較に傷ついてしまった息子(私)は、大学も関東に進んでそのまま東京でミュージシャンになってしまった…。

私自身もどれだけ母を傷つけてしまったのかと、ただ、謝ることしかできませんでした。

でも、もっとひどいことになっていたかもしれないけれど、逆転ホームランのように紘彰が名古屋に帰ってきてくれて、それから最高のお嫁さんを連れてきてくれて、可愛い孫たちに囲まれて…。

「今が一番幸せだよ」と笑顔で伝えてくれました。

心からの感謝の思い。

心からのお詫び。

互いに傷つけ合ってきたこと。

それを互いに謝り合って、互いの思いを理解し合い、ねぎらい合う。

今までありがとう、ごめんね、と。

一生懸命、生きてきてくれてありがとう…と。

まさに、『魂の対話』でした。

母が生きている間に、伝えられて良かった。

みんな、親や子どもや配偶者や、嫁にも姑にも、愛はいっぱいあるのに伝わらない…伝えられない。

そして、ほんの少しの勇気が足りないばかりに傷つけあってきた。

愛しているのに、たった一言のありがとうや、ごめん、の一言が伝えられないばかりに。

その勇気を持つことができたら、どれだけ多くの方が救われることでしょうか。

その勇気を持たせてくれる誰かが、そっと背中を押してくれたら…。

私はその「誰か」で在りたい…。

母との対話を通し、大切な大切な何かを教えられた気がします。

最後に母が、これまでの母では絶対に言わない言葉を口にしました。

「まあいいか、色々あったお蔭で世界を変えてくれそうな息子ができたから」

びっくりしました。

そんなことを口にする人ではありません。

これまで、決してそういうことを言う人ではありませんでした。

一瞬にして目頭が熱くなりました。

「あんた普通だよ、だって私の息子だもん。そんな可能性あるわけない」

勉強もスポーツも、全力で頑張って人並み以上に出来たはずなのに、17歳の時に人と比較されて言われたこの一言は、私の人生を変えてしまった一言でした。

しかし、昨日の一言で全てが水に流れたような思いです。

母の中でも、少しずつ確実に、何かが変わってきているのかもしれません。

妻と二人三脚で、これからも誰かの幸せに尽くす姿、恩返しに生きる姿を見てもらえたらと思います。

素敵な夜でした。