がんと告知され、生きづらさを感じているあなたへ! 楽しい充実した一日を送れるよう力づける/苔屋愛之助

がんと告知され、生きづらさを感じているあなたへ! 楽しい充実した一日を送れるよう力づける/苔屋愛之助

自然とふれ合うことで愛にあふれ、癒されていて「ある」と「感情」を区別しイキイキとした人生を送れるよう力づける!

「楽しい充実した一日を!」「忙しない日常に瑞々しさを!」
🌿苔テラリウム・ワークショップ&自然とふれ合うセラピー(苔観察会)

🌱



そもそも

🌱森林浴には自然の持つセラピー効果があり、
感染症を予防したり、がんなどの腫瘍細胞を抑制するN.K細胞が増えるなど

免疫力UPに繋がることが科学的に証明されています。


また、

「苔テラリウムワークショップ」には、
🌱1.生理的、心理的にもリラックスすることが報告されています。

🌱2.「庭仕事」と同様、内なる自然に働きかけ、何かを大切にする養育という態度を育むことができます。

【プログラムの内容】
1.苔テラリウムワークショップ
2.自然とふれ合うセラピー(苔観察会)
 内容:冥想、美点凝視(ワークセッション)、マインドフルネス・イーティング


あなたの近くで

苔テラリウムワークショップ&自然とふれ合うセラピーを開催します。🌿


オンラインワークショップも可能です。


(写真はイメージ)

お問い合わせ&お申し込みはこちらから↓↓↓








若い人は都会に出てどんどん減っていき

そして、高齢化が進む。

 

だから、今までやって来たからやるというのではなく、

行事の意味を問い直し、再定義すべきである。

 

ところで、正月4日、9年ぶりに※¹講組の御日待ちに参加した。

 

かつて、12軒あった講組も高齢の方が逝去され、

また、昨年はご不幸が多くあったため参加者は半分だった。

 

写真:中山神社の中山鳥居(寛政3年(1791年)に建立)

 木鼻がないことと貫が柱を貫通していない点が最大の特徴で

津山盆地の美作国一宮にふさわしい荘厳さで、

全国的にも珍しいと評価されている。

 

写真:中山神社 本殿


写真:2016年1月4日自宅で執り行われた御日待ち

 

ちょうど十年前の2016年、我が家が当番で

美作国一宮 中山神社の神主のご祈祷の後

講組の方々をお酒と料理でもてなした。

 

写真:中山神社本殿 秋季大祭の様子

 

それ以降、講組の家族で亡くなった方は、6人にのぼる。

 

コロナ感染症があったため、

場所を中山神社の本殿でやっていたらしいが

我が家は参加していなかった。

 

農家をやっている家は少なくなってきている。

だから、五穀豊穣はちょっとピント外れだ。

 

家内安全と健康が第一で

言ってしまえば平凡かもしれないが、

今年も幸せなことが多くありますようにとか、

夢が叶いますようにと祈るというのが現実的だ。

 

そして、旧部落の講組が集まるのだから、

今では希薄になってきている相互扶助のありかたを検討する親睦場にしてはどうか。

 

趣旨がそうならば、新たに近所に住む方々を誘ってもいいかも知れない。

 

※¹日待ち(おひまち)」と日の出を待ちながら五穀豊穣や家内安全などを祈願する日本の伝統的な民俗で、

地域によっては神主が家々を回って神事を執り行ったり、集落の人が集まって夜を明かして祈る形式もありますが、

 

近年では内容が簡略化されたり、親睦行事として継承されています。

もともとは太陽信仰(日祭り)と仏教(庚申待など)が結びつき、夜通しで飲食や談笑をしつつ、早朝の日の出を拝むことで、神様への感謝と地域の繁栄を願うものでした。

 

講組(こうぐみ)は、経済的・信仰的・親睦などの目的で地域によって住民が結成する集団で、相互扶助を目的とした頼母子講(たのもしこう)や、伊勢講・富士講などの社寺参詣のための団体、葬儀などを助け合う葬式組(無常講)などが代表的で、日本の村落社会における重要な横のつながり(平等的結合)を形成していました。かつては冠婚葬祭や冠婚葬祭の準備、農作業の手伝いなど、現代の行政や互助会のような役割を担い、情報交換や娯楽の場としても機能した、地域の基盤となる組織です。

謹んで新春のお慶びを申し上げます
今年も良き年でありますよう
ご活躍と健康をお祈り申し上げます

 

旧年中は大変お世話になり

『ありがた山の寒がらす』ってとこでさぁ

苔屋愛之助

昨年は、苔屋愛之助としてデビューいたしました。

 


また、苔テラリウムクリエーターの限界もわかった年です。

 

いよいよ、本格的に苔の培養事業に着手します。

では、死というのは、その授かりものをお返しするということである。

ー苔屋愛之助ー

なぜ、そう思うのかと言えば、そう考えると死の恐怖から少し逃れられる、

レトリックとして気持が軽くと思われるからである。

 

昨日の夜は母親と一緒に晩ご飯を食べて

今日は、母親は緊急入院していない。

 

写真:病院からの帰り道、あんまり夕日が美しいので撮った

 

母親の容体が悪化している。

リンパ浮腫が脚や腰だけでなく、脇下まで腫れている。

 

CTの結果、再び、腸腰筋に体液が溜まっているらしい。
ちなみに、今日の血液検査でも炎症反応の数値が高くなっているとのことだった。
 

腸腰筋膿瘍が原因ではないかという主治医の判断である。

 

これで3回目のドレナージ、体液を抜くために、

腰に穴をあける手術をするため、緊急入院した。

 

写真:幻想的なマジックアワー

 

親父ががんになってもう長くはないと知ったとき、

がんの専門書を片手に近所の丘の芝生に寝そべって読んだ。

 

昨日までは、生きている親父が今日はいない

そんな日が近いことを悟った。

 

覚悟をしなければいけない。

 

ところで、自然の法則でこれだけは避けられない法則がある。

それは、生を受けたものは必ず死ぬという絶対の法則である。

 

形あるものは、必ず滅びる。

 

では、「死」というのは、その授かりものをお返しするということではないか。

それが永遠なのか一時なのか興味がある。

ー苔屋愛之助ー

そう考えると少し恐怖から解放されるような気がする。

 

ふと、2018年12/1主催した講演会「がんと心の関係」で、

 

帯津良一先生が

”まだ時間はあるね”と確認され

最後におっしゃたこと、

大切なメッセージを思い出した。

 

       人は自分以外のもののために

       生きられるようになって

       初めて生のスタートを切る

 

       生きるということは

       ある意味では授かりものである

 

       それを受け取るのであれば

       お返しをしなければならない

          

   -アルベルト・アインシュタインー

 

このアインシュタインの言葉は、どちらかと言うと

三人称の死を体験したたとき、

がんに罹患した時にその有り難みがわかる。

 

今、他人のために生きていないならば、

どうやったらお返しができるか

生きがいとして創造しなければならない。

 

どれだけ人の役に立っているか、

振り返ると恥ずかしい限りだ。

 

この言葉は講演会を主催した

私に向けられたものだと思っている。