心の着地点を奪われた人がいる
風化させてはいけない心がある
概要
- 1997年3月19日午後5時過ぎ、東京都渋谷区円山町にある木造アパートの1階空室で、東京電力東京本店に勤務する女性(当時39歳)の他殺遺体が発見。
- 被害者女性は他界した父親が勤めていた東京電力に入社後、経済分野で幾つもの論文を発表するなど経済分野の評論家エコノミストとしても活躍、原発の危険性を訴える論文を書いた事も。高学歴高収入のエリート幹部社員となり当時の東電では初にして唯一の女性の管理職。反面、仕事以外の時間などに円山町にて活動。
- 死因は絞殺(こうさつ)。
- 死亡推定時刻は遺体発見から約10日前の3月8日深夜から3月9日未明にかけて。
- 通報したのは遺体が発見されたアパートのオーナーが経営するネパール料理店の店長、後に被告人となる。
- 1997年5月20日、殺害現場の隣のビルに住み第一発見者である不法滞在中のネパール人のゴビンダ・プラサド・マイナリ(当時30歳)が強盗殺人容疑で逮捕・有罪判決を受け横浜刑務所に収監。
- ゴビンダ・プラサド・マイナリ氏は一貫して無実を主張し、長きに亘り刑務所に収監された後に冤罪と認定され無罪判決を得た。
- 真犯人は見つかっておらず未解決事件である。
通報により、空き部屋であるはずの部屋で被害者女性の絞殺された遺体が発見され、現場からは被害者以外のものと思しき毛髪や性交の痕跡が見つかり、財布の中からは現金4万円が紛失している事が判明。
警察は現場の状況から、被害者と関係を持った犯人が被害者の女性を殺害した後に現金を盗んで逃走したものと推測、強盗殺人として捜査。
謎
- 被害者女性が関係を持つor持った男性の名前を記載する事もあった被害者の手帳が奪われていない。
- 電車で行動していた被害者の定期券が遺体発見現場の円山町から離れた巣鴨で発見。
- 事件当時、巣鴨に居たとみられる被害者と接点のある男性の存在。(詳細は以下にもリンクを張らせて頂いているはじげ/Hajigeさんの動画を御参照のほど)
呟き
東電…。
当時、既存メディアは被害者女性のマイナス面を強調する報道をしていた記憶。
なので、この事件は東電にとって大スキャンダルという印象を受けたのだけれど。
福島第一原子力発電所事故の件で耳にした事のある東京電力の勝俣恒久氏。
1996年6月:取締役企画部長
1997年6月:取締役企画部担任兼業務管理部担任兼総務部担任
1998年6月:常務取締役
その後も出世し会長にまで至っている。
被害者女性は当時、企画部調査課経済調査室副長。
冤罪…。
犯人ではない人を犯人としている間に事件現場の状態は大きく変わり人の記憶は色褪せて、再捜査が困難になりそう。
拒食症や職場でのストレスなどを含め、被害者女性の情報としてプライベートなものまで多く挙げられているけれど、これら公開情報の中に本件を引き起こす原因となるものがどれほどあるのだろうか。
被害者女性が関係を持つor持った男性の名前を記載する事もあった被害者の手帳。
後に冤罪と認定されたネパール人のゴビンダ・プラサド・マイナリ氏の名前も書かれていたようだけど…。
この手帳が持ち歩かれていたものと仮定して、奪われずに残されていたとすると、犯人の名前は手帳に書かれていなかったのでは。
一言
被害に遭われた方の御冥福を心よりお祈り申し上げます。
御遺族様の御悲しみを思うと心中お察しするに余りありますが、せめて真相が明らかになり犯人が逮捕される事を切に願います。
重い罪…軽い罰
見直されるべき点が多いと感じる日本の刑罰
犯した罪に不釣り合いな軽い罰でさえ
科されるべき人に科されていない現実
理不尽が世の中だとしても
世の中を作るのは人
理不尽で片付けてはいけない事も
あるのかもしれません
真実を伝えられ矛盾や疑問が解消される
倒れた侭の砂時計が再び時を刻む日が来る事を
祈らずにはいられません
動画
☆観やすい・聴きやすい・解りやすい
☆宜しければ、上記の動画を御覧下さい
私の取り留めのない文章より、遥かに遥かに詳しく丁寧に解説して下すっている動画を御借り致しました。
想い
形の有るものに付いた傷より
形の無いものに付いた傷のほうが治し難く
癒えるかどうかも判らない
見えるものなら
対処法や護り方が明確である場合でも
見えないものなら真逆
形の無いものは
見過ごされ易く等閑にされ易い
車の両輪といっても過言ではない心と身体を具有する私達人間に於いて、形の無いものと形の有るものは表裏一体。
生まれや育ち性格や価値観などが自分とは異なる他者を、100%理解する事は難しく、意図せず誰かを傷付けてしまう事もあります。
なので、相手の事は到底理解出来ないからと端から諦めて接する時も無きにしも非ず。
けれど、解り合おうとする気持ちや、こんな言動をされたら厭だなと相手の立場に自分を置き換えて物事を考えるなど、自分なりにでも双方に配慮があれば変わる未来もあるかもしれません。
かなりの綺麗事ですけど(/ω\)
巷で綺麗事だと云われる事でも、常識にでもなれば綺麗事ではなくなる訳で。(←極端)
綺麗事として終わらせるか現実にするかという選択肢は常にあると信じたい…。
綺麗事ついでにもう一つ。
今こそ、賢さや利益よりも優しさや思い遣り、簡単便利よりも人の温盛が…必要なのではないかと思ってしまいます。
人間が機械化する前に、人間味が失われる前に。
云った者勝ち、やった者勝ち、権力や声の大きな者が優先されたり擁護される事の多い世の中なら、善意の第三者や善良な市民の心は100万回洗濯をしたタオルの如くクタクタになっちゃいますよと思います。
大きな権力や声などによって事実に手垢を付けた真実を作り上げる事が出来るのなら、金銭や権力や声などが勝る人の都合で事実を知らされない人々が増えて行き、各々の【明日は我が身】という確率も高くなる。
仮に、国民が公職にある方々に対して不信感を募らせているのなら多角的に考えても危険。
家庭も会社も国家も、集団は内部から瓦解する。
そして、信頼関係の築けていないor崩れた集団は脆い。
億万一、公的機関や公的な性格を持つ職に就いている公務員や国会議員などの方々に対する私的な運用や圧力が罷り通るとすれば。
公務員職権乱用罪か何かをバンバン適用するとか、公的機関を国鉄や郵便局のように民営化しまくるとか…でもこれをしちゃうと税金の支出が減りプチ良いかもしれない反面、公的機関が乏しくなると国としての存在感がなくなりそうなので悩むところですね。(´д`lll)
兎にも角にも、国家が砂上の楼閣状態なら先ず地均しが必要…となると大事件。
税金の有効活用、且つ国としての存在感維持の為にも、公的機関や公的な性格を持つ職に就いている公務員や国会議員などの方々が公平公正な対応を出来る国で在る為にも、本来ならば国家にとって全ての国民が貴重な存在であり、一人一人の声に大きいも小さいもないはずです。
少数派を尊重しようとする傾向が強まりつつある昨今。
この風潮は、一見すると良い事とも受け取る事が出来ますが、特定の事柄に関してのみ少数派に光が当てられているように感じるのは私だけでしょうか。
事実を事実とし罪を罪とする
純粋に真相究明を求める声は
公平公正な国家を築く為の基盤となり得る
とても重要なものなのではないかと
私は考えます
御挨拶
試行錯誤しながら自分的にまとめたものを備忘録代わりに綴っています。
憶測や愚考を含め、飽く迄も独断と偏見に基づく個人的意見であり、特定の人物・団体・国などを批判しているものではございません。
毒舌をお詫び申し上げますと共に、意見の相違や御目汚しとなる際には心苦しい限りではございますが、スルーして頂けると救われます┏○ペコ
と云います事で。
今回も御覧下さいまして
誠に有難うございます
宜しければ
また次回お会いしましょう
それでは皆様
本日も一日お疲れ様です┏○ペコ
笑顔の多き明日でありますように☆・*:゚