幼少の記憶はどこまで思い出せますか?
保育園での出来事、自分にとって悲しい出来事は、何年経っていても
薄れないもの。
私は、ずっと背が低い。「前ならい」なんてすれば、1番前か、2番目
が定位置。そして、田舎特有というか赤ら顔。
幼い頃から写真撮られるのが嫌いだった。顔が赤くて、背が小さい。
写真で見るたび、自分に凹む。
なんか、ショックでしかない容姿だと幼き私も傷ついていたなと思う。
そんな私は、保育園の出来事がショックすぎて
一時期、「行きたくない」とよく嘆いていた。
お遊戯会の劇となれば、可愛いお洋服着て、スカートひらひらさせたり
したいと思っても、そういう配役は身長も高く、お姉さん的な雰囲気を
醸し出す子達が全部持っていく。
今でも自分に同情してしまうけれど、劇の配役に
「妖精」「水辺の美しい動物」「おちゃらけ動物」の配役があった。
私には、絶対「妖精」は回ってこない。そう諦めていた。
だから一度だけ、「妖精をやりたい」と声に出し、先生に願い出た。
私は、顔も赤いし背も小さい、見るからに妖精ではない、けれど嫌だ。
と初めて、先生に思いを伝えたけれど、、、
無理だった。何人かが、妖精、水辺の動物、おちゃらけ動物に
配役が決まる。、みんな大体身長の順番だったけれど、
小さい組のなかの一人が「妖精」に大抜擢された。
順番でいうなら小さい組は「おちゃらけ動物」、
中くらい組が「水辺の動物」
高身長組は「妖精」。
そして、私の配役は、おちゃらけ動物。
なぜ、あの子は良くて、私はダメなの?と私は家でずっと泣いていた。
保育園に行っても、やりたくないとごねた。
だって、想像しても恥ずかしいくらい自分に回ってきた配役が
ある意味適役でもあったし、笑いものにされている気分だった。
妖精のキラキラ、ひらひらした衣装。ただただ、羨ましかった。
祖母に泣いて泣いて、保育園に行きたくない。と言い続けた。
両親は共働きで、大体私の面倒は祖父母。
保育園は家から目と鼻の先ほど近いから、休むことなど難しい。
「配役」受け入れるしか選択がなく、それが余計に辛かった。
キラキラした衣装、見たこともない綺麗なウィッグを被る「妖精」
かたや、地味色の洋服。キラキラ・ひらひらなんて無い。
カツラにつけるリボンを好きな色にしてあげるって言われても
全然嬉しくない。
そんな思いを持ったままの写真の私の表情は死んでいたw
もう何十年も前の出来事でも、根深い記憶にずっと埋め込まれている。
あの頃よりは、今は時代が少し柔らかくなってきたところもあって
固定観念に縛られず、世のお子様には自由で沢山の可能性
が溢れていることを期待したいな、と思う。