とても遅くなりましたが、「勝手にウメサオタダオ研究会」、略して「勝手にウメサオ研」に参加した感想をまとめておきます。

◆参加した理由と事前の期待
なぜこの研究会という名のトークセッション&ワークショップに参加したかというと、ウメサオタダオさんとフィールドワークに興味があったからです。
知識創造活動の事務局を7年間していたこともあって、知的生産の技術自体にも興味がありました。
ウメサオタダオさんをどこで知ったかというと、人類の未来を考える追悼番組です。その後、大阪の民博で展覧会が開催されると知りました。行きたいけれど、ちょっと遠いなあーと思っていたところ、東京の科学未来博物館に展示が来るというではありませんか。喜んで見に行きました。見に行った感想を普段とは違う人達と話してみたいと思いました。京大カードを片手に持って、感想や気づきをメモしながら自由に見ました。

「勝手にウメサオ研」では各自が見に行った感想を京大カードに記入して持参するのです。だから、私は他の人はどんなカードを書いたんだろう、それをみんなで壁や床に並べながら議論したら、面白いだろうなと期待していました。

トークセッションもフィールドワークに関わる先生方、プロデューサーで準備されており、本には書いていないお話が聞けるかと思って、期待大でした。

◆おもてなし
で、当日。
おもてなしは、ウメサオタダオさんの情報こんにゃく論にちなんで、情報こんにゃく(こんにゃくに情報の焼き印が押してあります)と梅にちなんで梅味の豆でした。不思議な味がしました。こんにゃくはみたらしのたれにつけたので、みたらし味になりました。
そして、この「勝手にウメサオ研」はすべて大学生、大学院生が進行、準備などなどを取り仕切ったそうです。司会や進行は初々しかったです。経験を積めば、これらはもっとスムーズになると思います。

◆グループ編成
カードをシェアするグループ編成を助ける小道具がとても凝っていました。本のカバーを模した紙が各テーブルに用意されていて、それぞれ
・知的生産の巨大技術
・超情報論ノート
・人類の未来を作る
・組織情報産業論
というテーマが準備してありました。

$いつもフレッシュな場をつくりたい-本物そっくりのグループ分けカバー

私は、ウメサオタダオ展を見に行ったとき、情報産業論のトピック、外胚葉産業は精神産業=情報産業、中胚葉産業は工業、内胚葉産業は農業がとても気になったので、「組織情報産業論」を選びました。

◆グループワーク1:カードでウメサオタダオ展の感想シェア
最初のグループワークは、各自書いてきたカードをもとにしてウメサオタダオ展の展示を再現するというものでした。ただ、ちょっぴり指示があいまいで、とっさに何をしてよいかわからず、グループのメンバーで相談しながらやりました。
カードのシェアを展示と対応させて、「ここに何があったっけ?」と話しながらカードを置いていきました。京大カードは結構大きめなので、机が狭いなと思いました。それから、見に行ってから1か月くらい経っていたので、どこにあったかを思い出すのに時間がかかりました。カードをカード立てに斜めに立てて並べるとか、「勝手にウメサオ研」の受付~開始時間で、各自が大きな場所に自分のカードを置いて眺める、のようなやり方もあったかな・・・

◆グループワーク2:勝手にウメサオ本をつくる
グループ編成で選んだテーブルのテーマに従って、本の内容をこざねでつくろう!というグループワークでした。ここにいたって、「組織情報産業論」を選んだことを後悔。うわーわけわかんないなー、わからないからこそ選んだんだし・・・(同じような理由で選んだ人もいらっしゃいました)。

で、組織、情報、産業をばらばらにして、それぞれで1章ずつつくろう、となりました。並べるとしたら、情報が1章、組織が2章、産業が3章だね、と順番も決まりました。
手始めに、先ほどシェアした感想のカードで関連ありそうなものを組織のところにくっつけて並べていきました。
組織はいろいろ出てきました。からだ、家庭、探検隊、学校、学会、博物館などです。同じ興味のある人が集まってできる組織もあるし、情報共有を広げるため、何かを啓蒙するためにつくった組織もあるよね、と話しました。そして、梅棹さんの活動は、既存の組織を変える(変革)から新たな組織をつくる(創造)へ広がっていったのではと思いました。

最後の産業のところがなかなかまとまらず、これ!というものが出ずに、グループ全員もやもやしていました。情報産業が大きくなってきたこと、うねりのようなものが起きていること、全員が知的生産者の時代に突入したことは実感できるのですが、その後、何が起きるのでしょうか?
インターネットやSNSで誰もが発信を簡単にできるようにはなりました。発信のところはショートカットができるようになったわけです。だから発信の中身である情報をいかに濃くつくるかだ、と議論は進み、今の我々に足りないのは、探検やフィールドワークだということになりました。探検して得たものを可視化、外化して共有、活用、対話して創造の爆発につなげよう、そんな発表になりました。

◆トークセッション
そして、トークセッション。パネラーは、中原淳先生、岡部大介先生、長岡健先生、水越伸先生、染川香澄さんです。
自己紹介を兼ねて、各パネラーから一言ずつ。
中原先生からは、ウメサオタダオさんの学者経歴や研究者としての活躍の系譜をご自身と重ね合わせての感想がありました。
染川さんからは、博物館の展示のすごさ、"ウメサオタダオ"とカタカナにして先駆的なところをわかりやすく伝えたいと工夫された小長谷さんのこと、大阪の民博で展示したときのカードは一つ一つ小長谷さんがコメントをつけ、本として出版されていることの紹介がありました。
長岡先生からは、強烈な皮肉を込めて、専門は「丸の内界隈のユデガエル研究」ですとのお話がありました。19世紀的なものは捨てちゃえばいいんじゃないの。こざねは直線的で、カードは1レイヤーしかない。テキストとしてまとめるときはこれでよかったが、ハイパーテキスト的な発想にするとどうだろう。紙や直線をとっぱらって、21世紀型のこざねを考えるとするとどうだろう、との投げかけがありました。
水越先生からは、ウメサオタダオの流行が気に食わない、梅棹さんだけ注目されていていいの?KJ法の川喜田二郎さん、NM法の中山正和さんなどがいる。それから、梅棹さんがどうして「情報」という言葉を使うか、その背景には反東大、マスコミは古いがある、のようなお話がありました。早すぎて消化しきれていません。
岡部大介先生からは、研究に関する悩みのお話がありました。「この先10年の研究パラダイムをとは?」、「研究のパラダイムをつくるには」、「フィールドワークをアートにしたい」などです。

◆グループワーク3:パネラーへの質問をしおりに記入する
食事(梅おにぎり)とお漬物を食べる前に最後のグループワーク。
パネラーへの質問を各グループ1つに絞って記入しました。
もしかしたら、ここでグループシャッフルの予定だったのかもしれませんが、そのままのグループでワークをしました。

◆しおりで質問タイム
実は、1問やったところで時間が来てしまい、残りの質問は持ち帰りで各自考えることになりました。質問を列挙しておきます。

・つくらなければならないとしたら、どういう博物館をつくりますか?
・今までにない博物館をつくるとしたら、どんな博物館をつくりますか?
・未来の博物館はどんな形ですか?
・21世紀の知の巨人「○○○○(ここに各パネラーの名前が入る)」展が開かれるとしたら、どんなテーマでどんな展示内容ですか?
・こざねにかわる創造活動とは何だと思いますか?
・コミュニケーション→情報→? という流れがあるとしたら、?にはどんなKeywordが入りますか?

こうして振り返ってみると、博物館や展示に関する質問が多かったですね。
最初の質問だけパネラーからの回答タイムがありましたので、その内容をまとめました。
A1.私はからだの博物館をつくりたい。突然、家族がガンになったときの衝撃が大きい。からだについて学べるような博物館。
A2.アマチュアリズムを大切にしたい。素人だけれど、和服の羽裏に凝っている。
A3.博物館学という学問には魔物が住んでいる。ミュージアムという仕組みが古いから何とかしたい。

会場からの追加質問
Q.過去の気づきを未来にどういかすんですか?
A1.その他ファイルに入れておく。忘れないで、小脇に抱えておく。
A2.真面目に答えると、こんなこと教えませんよ。基本的にはメモせずに全部覚える。記憶が重要。
A3.最近、10年前の日記を見るのに凝っている。自分も変わったなーと思う。

Q.なぜ今、ウメサオタダオなのか?
A1.中原さんのBlogで梅棹を知った。twitterで呼びかけて、今日の場が実現した。研究上の悩みや壁を壊したいと思った。
A2.最初は大学院生とウメサオタダオ展をみたいと思った。誰かがつくったパラダイム上でわれわれは研究している。エンゲストロームが、とか、ヴィゴツキーが、とか、こういうまくらつきの研究をやっていていいのか?と思った。
C.ウメサオタダオ展は東京の方が来場者が少なかったですよね。メディアの取り上げ回数も少なかった。東京の人にはインパクトなかったのでは・・・
A3.民博との位置は全然違う。民博は関西でみんなに愛されている。京都の先生は街場へ出ていく。バルセロナや京都とは東京は違う。

◆感想まとめ
「勝手にウメサオ研」が強烈すぎて、ウメサオタダオがふっとんでしまったというのが率直な感想です。

★研究者の悩みを知った
今後10年の研究パラダイムをあてる、確かに難しいに違いないでしょう。新しい手法の確立、これも同様ですね。研究で行き詰ったときどうするか? 私は終了直後、ダーツの旅が頭に浮かびました。日本地図や世界地図にダーツを投げて、当たったところに行くという旅。探し物が思いがけないところからひょっこり出てくるように、ときにはダーツで研究の行く先、いえ、寄り道の先を決めてみるのもいいのでは。

★丸の内界隈のユデガエル研究
ファンの存在は大きいですが、ファンに助けられることもあれば、ファンが多いゆえの悩みも出てくるでしょう。新しいことをやろうとするとき、ユデガエルをゆでている釜から出て、冷たい海に飛び込まなくてはなりません。最初は丸の内界隈が冷たい海だったと思います。それが、だんだん暖かい海になり、最近はお風呂になっているのかなと思いました。
新しいことを学び始めると、そこには学びのコミュニティができます。学びのコミュニティは学習を加速させ、うまく行けばその後も発展的に続いていきます。ある程度軌道にのった後、そのコミュニティはどうなるのでしょうか。自然消滅もあれば、メンバー固定で続くのもあれば、メンバーが入れ替わって新陳代謝していく場合もあります。
生き物に例えれば、コミュニティも固定化しているといつかは滅びる、進化していかないと生き残れないのではないか、と思いました。
プロジェクトを軌道にのせた後、引き継ぐのが難しいように、コミュニティもできた後が難しいのだなと改めて思いました。

★人がつながる都市の大きさ
ウメサオタダオ展は関西では東京と違ってもっと盛り上がっていた、という言葉から思ったことです。
コミュニティとも関係するのですが、いざというときに集まれる近さ、人数、共通の文脈を共有して活動できる範囲には制約があるように思います。例えば30人。全員と一言以上話すことができて、一緒に食事もできる人数。いくつかの会社が会社のある駅の近くに住むのを奨励するのも、このすぐに集まれる利点があるからだと思うのです。
東京は交通が発達している分、集まろうとすれば端っこの人同士でも何とか集まることができます。ですが、その分、そこには遠慮もあるし、遠い分、そうそう頻繁には集まれないのです。山手線内に限っても何だか遠い、東西南北に4分割したくなります。駅を降りたときの街の雰囲気も結構違うのです。
こうしてみると、京都は比較的まとまりがありそうな気がしますが、大阪はキタとミナミで分かれそうな気がします。

★ふっとんだウメサオタダオ
「勝手にウメサオ研」に参加して、すごく準備された場であり、人との語り合いもあり、パネルディスカッションも全体質疑もあったのに、肝心の中身は私の中からふっとんでしまいました。
グループワークで語り合ったため、その場や終了直後は興奮して何かを出した、得た気でいたのですが、後から考えると印象がぼやっとしています。
人と語り合う形式、グループディスカッション形式の危うさを感じました。話すという行為に満足してしまって、しっかり考えられなかったような。考えたこと同士をぶつけられなかったような。
小長谷さんがウメサオタダオ展来場者の言葉にひとつひとつコメントをつけて本にまとめられたように、あの場で何が起きていたのかをもう一度全部まとめ直したら、いいのかもしれません。