「私たちは明治の親に育てられた、だから昭和じゃない、明治の精神が息づいている」というのが、私の親の口癖でした。だから、私の中にも明治が息づいているのかと思うことがあります。しかし、親の親を育てたのは江戸の人ですから、江戸が残っているということもできますし、もっと遡ることもできるでしょう。そう考えると、あいまいなものです。

ですが、育った環境というのはある意味強烈なもので、自分の中に根付いたものもあります。

私の父は服が汚れるのを非常に嫌う人で、食べ物屋に入るとき、必ずその店が自分の服を汚さないかどうかチェックしていました。そして、案内された席が汚く、自分の服が汚れそうだとわかると、ぷいっと席を立って店を出てしまうのです。子ども心に、お腹がすいているので食べたいと思ったことも1度や2度あったと思います。

そして、年月を経た今、私は似たようなことをしています。地面に座りたくないのは、服が汚れると嫌だからです。店をぷいっと出はしませんが、汚れがあればティッシュできれいに拭いてから座ります。何より困るのは、「汚れてもいい服でお越しください」です。汚れていい服なんか私にとっては一枚もないのです。だから、汚れていい服を買うようなはめになります。あまり着たくないような服をわざと買うわけです。引き続き着たい服を汚したくはないからです。

このせいで、禁止されているのに、林間学校の前には必ず服を買わなくてはならず、うんざりしていました。頑張って選んで買ってみたものの、やっぱり着たくはない服を何日分かリュックに詰めて出発するのでした。