どんな職業にもその職業についているものならではの視点ができるのではないでしょうか。
学問もそれがあると思います。ある学問を専攻したからこそ、そうなってしまった職業病それは・・・
- 正直であること
- 一旦すべてを疑うこと
- 一旦受け入れてみること
です。
・正直であることは、学生時代の先生から。それが学者としての最後の良心のようなものだといっていました。
私は実験を直接やるところではなかったですが、実験データの捏造はその頃も話題としてありました。統計処理でうそではないけれど、別の結果になるというのもよく聞く話です。だけど、それをやってしまうと、ある分野の方向性をミスリーディングすることになったり、後の人たちが検証に無駄な労力と時間を割かなくてはならない、それでいいのか、ということだったんだろうと、今ではそう思っています。
安請け合いができないし、本当にやろうと思ったことしかやりますとはいえないし、
これで得をしたことはあまりないです。
・一旦すべてを疑うことは、その通りで、自分で確かめるということです。昔の人の研究結果を全部確かめていたたら時間が足りなくなるけれど、もし、自分の構築しようとしている理論にどうしてもそれが必要なら、自分で確かめておけ、ということです。
私は人の話の途中でもよく例外事例を思い浮かべてしまい、「○○ってこうだよね」に単純に「Yes」といいきれず、苦労することがよくあります。「そんなレアケースまで考えることないだろ!」 確かにそうなのですが、例外事例を無視するには、なぜ無視してよいかの判断根拠を明確にしないと、と思ってしまうのです。悪気はないです。
自分で確かめるために、人から忠告されても、その本人と話してみたり。人の評判はちょっとのことでも変化するし、どういう状態のときにその人に会ったかで変わるから、すぐには判断できないと思いませんか?
まあ、それで得をしたことはあまりないです。
・一旦受け入れてみることは、突拍子のないことに自分が思えても、相手がそれを前提に理論を展開しているのだったら、その中に一度入ってみないと、相手の言うことがわからない、ということです。なので、「何でそんなことが信じられるんだ?!」と驚かれますが、信じているわけではなく、前提を置き換えて試しているだけです。
おそらく、これも、得をしたことはあまりないです。
こうして書いてみると、かなり重症ですね。
でも、まだ自分にとっては必要な気がするし、何より長年これらを意識して生きてきたので、からかわれるけれど、これからも持っていると思います。