今まで生きてきて転換点はいくつかありますが、その中で最大のものは
「自分は人と違う」
と気づいたことです。
もうちょっと言えば、「他の人から期待されているような自分に自分を作り変えることはできない」ということです。
幼稚園の頃、私はいつも隅っこで一人きりで遊んでいるような子どもでした。よく覚えていませんが、当時の幼稚園の先生が書いてくれた言葉を見ると、一人でぶつぶつ草や虫と話をしながら遊んでいるような、そして、「先生、あのね・・・」と自分で考えた話を延々話すような、そんな子どもだったらしいです。
で、当時あこがれの同級生(?)がいました。かわいくって、誰からも好かれるような、笑顔がすてきな子でした。そうなりたかったけれど、どうもそうはなれない、と気づいたわけです。徹底的に本人になりたかったですから、親の職業も合わせたかったけれど、途中から合わせられるものでもないし、服も同じものが着れるわけではないし、何より遊びたいおもちゃの好みも違った気がします。まあ、違って当然ですよね。別の人間ですから。
さらに、様々な大人から「○○ちゃんみたいだといいわね」「○○ちゃんみたいにどうしてできないの?」「○○ちゃんみたいにしてごらん」という投げかけがあって、素直にそうしようと努力してみたけれど、できなかった記憶があります。
そんなこんなで、自分は人と違う、と思うようになりました。人が自分のことをどう思っているかを気にするのもやめました。
もう少し大きくなって、小学生になったときも、人(というよりは、みんな、という表現の方が多かったですが)と違うからどうこう言われました。今だったら、もうちょっと解説を加えたら、笑いや泣きのつぼが違うことにも理解を示してもらえたかもしれませんが、当時はそこまで自分を説明しようと思いませんでした。
時は経ち、大人になって、勤めてからも、言われ続けています。
ある職場では、あんまりひどく言われたので、幼稚園時代に決意したことを忘れて、もう一度自分改造にチャレンジしたほどでした。
「どうしてそうなんだ」「何を考えているのかわからない」「人間と思えない」
「周りの人がみんな迷惑している」「どんな育ち方をしたんだって、いってますよ」
私「ご迷惑をおかけしてしまい、申し訳ありません。すぐには全部直らないかもしれませんが、時間をかけて少しずつ直していきたいと思っています。自分でどこを直していいのかまだ私にはわかりません。今までの行動でまずかったところをひとつひとつ直していきたいので、ヒントをいただけないでしょうか?」
「それがいけないんだ。何かひとつひとつを直していったからって、全部が直るというものではないんだ」
私「でも、今まで自分で気づけなかったから直せなかったと思います。ひとつだけでもよいので、ヒントをいただけませんか?」
「だめだ。話が通じない」
私「???」
しばらく悩みました。その職場の「常識」から、私は外れていたのだと思います。その職場の暗黙のルールやこうするときはこうするものだ、がいくら考えてもわからなかったです。さらに悪いことに、考えてから行動しても、的外ればかりでした。
そんな私を見かねて、ある人がこっそり声をかけてくれました。「常識」についてアドバイスをくれたのです。
「ある組織やある場所には、それぞれ常識がある。組織や場所が違えば常識も異なる。それらの常識に毎回自分を合わせていくことはできないんじゃないか。常識はあいまいなものだし、移り変わりもする。その度に変えていたら、不明確な軸で、軸のないまま生きていくことになる」
「例えば、電車の切符を買うとき、日本だとみんな列に並んで買いますね。それはそう周りの人がするし、その方が自分も便利だからそうしている。別の国に行ってごらん。みんな列に並ばずに、我先にと早い者勝ちで切符を買う国もある」
私は、また、自分は人と違うし、人と同じようにできない、と思って、自分の道を行くことに決めました。
その後もいろいろあったけれど、この選択でよかったと思っています。人と違うといわれることはしょっちゅうだし、呼び出されて貴重なアドバイス(説教ともいう)をもらうこともたくさんあるけれど。それでも、何かやって、どの道、後で怒られるなら、自分がいいと信じた方を選択して怒られた方がいいです。
もっとみんな自分が思うように生きたらいいのに。
だ・け・ど、いい子=周囲の期待にちゃんと応えられる で、ずっと生きてきて、そうしたことはいいことだと思っていて、辛くもなんともない人は無理に自分を変える必要はないと思います。
ちょっとだけ辛かったら、ちょっとだけ自分を出してみる場所や機会を見つければいいし、大分辛かったら、もっと根本的なところを変えてみたらいいし、いずれも本人次第です。正解はないし、一度きりの人生、自分が楽しく満足して生きられるかどうかが大事だと思います。
で、自分がどんなときに楽しいのか、満足を感じるのか、生きがいを感じるのかは、もちろん人それぞれ違います。自分で思っているよりも、自分は自分のことを知らない、だから知る努力が必要だと私は思っています。
具体的には、その日にあったこと(事実)と思ったこと(感情)を別々の色でノートに書いて、振り返っています。少しずつでも行動を変えると、周りから違うフィードバックが来ます。それを受けて、自分がどう思ったのか、どういう事実からなぜそう思ったのか、だんだん蓄積していけば、どんなときに自分がいきいきとしたのか、どういうことをすれば楽しいのかもわかるはずです。
そう思って毎日生きています。