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idoのdesignブログ

なんやかんやと、
ちょこちょこと、
デザインに関することを書いていきます






2011年もはやくも五日目に突入です。
もはや映画の中の未来の世界とかなんとか。
映画よりは進化のスピードが遅くてほっとしています。


そういえば、
今までやってこなかった事に驚くんですが、
昨年一年間の自分を振り返る。
今年はやります。ひたすら書きます。



多くの新しい出会いがありました。
主に年下ですね。
今までは全くと言っていいほど年下とつきあってこなかったのでなんというか何を話していいかわかりません。コミュニケーションは難しい。

それから、少し深く付き合うようになった人も増えました。
たいていあほでかしこいです。負けてられません。

親友との亀裂が生じました。今思えばたいした事はないのですがその時は重大な裏切りをされたという気持ちでいっぱいでした。仲直りできて本当によかった。

女性は縁があまりなかったようです。というよりずっと愛している女性がいたことに気付きました年末に。これがややこしい問題ですが今のところ目立った問題がこれ一つなので仕方なしとします。

場所は非常に狭い地域に限定されました。ほとんど関西とひとつまみの東京。
あいかわらず井の中の蛙大海を知らずです。
されど空の高さを知る。はいい言葉ですね。

やめる。という選択。まわりからみると少々意味が分からない行動をしました。でもこれは自分にとってごくごく自然な事で、それをした事はいい経験になったので、それで十分だ。ただその制度に負けたままやめていることはめちゃくちゃ悔しいのですが。

静かな意思の芽生え。将来、自分の話をする時、この年にこう考えたから今こうしていられるとおもいきり語っちゃうと思います。そしてついついそういう将来に想いを馳せてしまいます。いかんいかん。

たくさんお酒をいただきました。のどを通った後に口の中にわずかに残るまるで天然水を飲んだ後のような広がりを感じさせる日本酒。名前をいまだにおもいだせないのが悔しい。飲みたい。それも巡り合わせか。

ブログはじめました。動機はふわっとしていました。普段から少しでもなにか自分の言葉を書けば少しは文章がうまくなるだろうと考えての事です。いいことはじめたなって思います。過去の自分を素直に褒めてやりたい気分です。えろいぞおれ!

MacBookProを買いました。Airと迷いました。あの手に持った時の軽さ、薄さ。ほんとにおどろきました。それはさておき、Macを買った理由はデザイナーならMacでしょ!ということと、使わないのはいいけれど使えないという事は問題だと思ったからです。しかし今ではこの便利さと早さと美しさの完全に虜です。たまにぐるぐるが全然消えなくていらっとくるときもありますがそこはとりあえず目をつむります。座禅です。

バンドができませんでした。そしてその結果当然ギターも上達しませんでした。相変わらず自称中級者の域を出ません。でもにゅうギターは買いました。黒のfenderテレキャス。こいつは一生相棒です。

ゴルフ。ドライバーの飛距離が伸び、精度も上がりました。しかしアイアンがどヘタです。おかげでスコアが伸びずじまい。

タバコをやめました。正確にはやめていないのですが、自分で持つ事をやめました。たまにもらいタバコをします。ちゃんとお金は払います。忘れた時はごめんなさい。

年の終わりの一ヶ月を劇的にしようと思ったが結果普通でした。おそらく一番真面目だったような。一年を麻雀で締めくくるという暴挙はしましたが。

不可思議な現象に二回ほど遭遇。両方とも自宅。

友人が結婚。はじめて結婚を祝う事となりました。きれいでした。本当におめでとう。

デザイン活動。一般的に認知されているデザインをはじめました。正確にはそれに必要なスキルを得る事がほとんどでしたが。なかなかうまくはいきません。



最後に一番自分の中で大きなウェイトを占めていたこと。
昨年の今頃、年初はとても苦しみました。本当に苦しいのはむしろその後だったのですが。
やるべき事をちゃんとやらなければなりませんでした。一応やりました。

もっと

もっと

ちゃんとやるべきだったと思います。

ほんとうに情けない。

そして年の終わりにもつまらないものを出してしまいました。




しかし総じてこれでいいのだ。だと思います。
出せばいい。と、出す事が大切なのだと。
えらい人もそうおっしゃっています。
悔しさも含めそれらが今ブログを書くという行為の原動力の一つでもあるしほかにもよい影響を与えてるんですよね。
だから大丈夫。
と自分に言い聞かせて、
前を向いて、
今年をよく充実した一年にしようと思います。

昨年はじりじり進む、進んでいるかもわからないような一年でした。
その分今年は激動の一年になりそうです。
ただある部分では去年のように混沌をさまよいそうですが。
はい。予感ってやつです。



さて、書きながらざっくり内省もすんだ事ですし

今年の抱負なんかを一つ。

ずばり、
海外進出を果たす。



ドバイとか!

どーん!

いやテレビでやってたんで。
もう絶対やると決まっている、決めている事を抱負にしても仕方がないので。
一番縁がなさそうな事にしました。

むこうには金の自動販売機があるみたいですね。
なんじゃそりゃ
アラブの人たちは喜んで
ネタで買うんやろなー




おれにくれー



ちょっと
やさぐれたくなった

idoでした

ではまた







いやいや、そんな暇なんかないか








たくさん本を読もう。という話
を書こうと思ったきっかけ


そのきっかけに関する事柄についてちゃんと書かれている記事を見つけました。
それは本のレビューでした。

こんな素晴らしい記事を僕もいつかは書けるようになりたいものです。



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REVIEW - 切りとれ、あの祈る手を - HITSPAPER™ : RECOMMEND


「賢(さか)しい読者の皆さんには不要かもしれませんが、ここで謂うテクストは何も書かれた文書、情報を載せて運ぶ運搬機だけの意はなく、様々な文脈の絡み合い、織りなすことによって胚胎されて来た文脈を指しています。
それを理解するには、先人のテクストを熟知しなければならないし、過去へのオマージュがなければ、新しい時代の曙とは言えない。
新しいイノベーションは急に顕れた様に見えるけれど、それにも先人のテクストが必ず存在します。
そして、私達の思考や行動もまさにテクストであり、より広義的な解釈でなければ読み解く入り口にすら立てないかもしれません。」


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ここに書かれたテクストはまさに僕が出会った方がおっしゃっていた事、日々学ばさせていただいている方が伝えてくださっている事を現したものだと感じました。

もちろん、僕にはこのテクストを理解することはできません。

しかし、

織り綴られ絡み合った、文脈、テクストの一部に触れることができたような、

自分自身が織り綴られた事を体感するような、

そんな不思議でうれしい感覚に出会ったのです。




ここ3日

まさかの体調不良で

ろくな生活をしておらず

やっと完全復活したかなと思う

idoでした。



まさか鼻と口から同時にはくとは。

ではまた。








久しぶりの更新になりました。反省。

一つの本を読みこむのでなくたくさんの本を読む理由。

たくさん本を読めということを偉い人はよく言います。

最近やっとその理由が少しわかってきた気がする。




本をたくさん読んだからっていったい何ができる?

そう言う偉い人たちもいます。

そう言われると困ったもので、
たしかに別に何かできるようになった気はしません。

さらに本を読んでいるから別に具体的に何かいい事があったとか、
そんな事はないです。

いや、僕の場合は一つの本で人生かわったんで、あるんですが。
まだ全然本を読んでない時の話だしなぁ。
そしてほかに特に何かあったような記憶は今のところないので。




その人生かわった本の話はひとまず置いておいて。

僕が思うに何かが劇的に変わる事はないけれど、日常の中で自分では気付かない程度の少しの変化がいくつもいくつも起こる気がするのです。

まずは、
自己や他者との対話において。




多くの本を読む事は単純にボキャブラリーが増えるという事だけではない。

カギを増やす。パーツを増やす。とっかかりを増やす。アンカーを増やす。

本を読めば読むほど当然同じ話、言葉に出会い、重複が起こる。
それは、けして無駄ではない。



絶対に著者の意見があるから偏りが生まれ、同じ話でも多様な見方を知れる。
というのが最初に思った事。

でも、それだけではない。

事柄の記憶のシーンが増える。

一つの本、シーンだと、
場に適合しなくて、それにたどりつかなければそれまで。
アウトプットできない。

多くの本を読んでいれば必要な時どれかにはひっかかる。




本の読み方がわかる。

いや別に読み方なんて人それぞれだからなんでもええやん、
とかいじわるな事は言わないでくださいね。

大事な事は接続詞の後に書いてあり、
一般論に少し触れて、
「しかし」など逆説の言葉のあとで著者は意見を主張する。

といったようなことを思いながら読まなくても感覚的に何が大事で、それがどこに書いてあるかがわかるようになる気がする。



本が読めるようになる。

は?いやいや本は読めるでしょう。
と思うかもしれません。
そうなんですけど、
「ちゃんと」
は読めていないと思うのです。
なにより自分自身が。

数学の問題も、ゴルフのショットも、テニスのサーブも、ギターのリフも、絵を描くことも、
多くの経験によって上手くできるようになりますよね。

そういう事です。

実際何が書いてあるか全くわからないけれど、
読み直さなければならない事だけは確かな本があります。




じゃあ何の本を読もうか?

とりあえずなんでもかんでも読めばいいと思う。
好き嫌いなく読むことが大切との教えもいただきました。
反省します。

でも基本的には自分が身につけたい専門性を持った人が書いた本、または読むであろう本を読めばいい。
専門性は持たないといけないのだから。




なんのために本を読むのか?

例えばこういうふうに文章を書くときに味方してくれる。

あの人もこう言っていたしそうだろう。とか
あの人はこういうふうに言っていたけど、僕はこう思うんだ。とか

非常に内容が充実する。

当然プレゼンテーションをするような場面でも同じ。

・・・・今僕がブログを書く中では具体的にはいなかったけれど 笑

また、自分だけが思うことがあったら、書いている人がいなかったらそれは自分のものにできる。
そしてそれも他者によってのみオリジナリティは保証される。



最後に。


ツールとしての使い方のコツのようなものが、
それがあともうちょっとでわかる気がするんです。

大事な事がわかる瞬間の
洪水の濁流のように一気に押し寄せてくる
あれ
がくる気がするんです。
・・・ただの予感ですけど

この予感はきっと正しい。




ちゃんと本を読んで、
ちゃんと本が読めるようになって、
ちゃんと本を使えるようになろう、
と思う
idoでした。

ではまた