久しぶりの更新になりました。反省。
一つの本を読みこむのでなくたくさんの本を読む理由。
たくさん本を読めということを偉い人はよく言います。
最近やっとその理由が少しわかってきた気がする。
本をたくさん読んだからっていったい何ができる?
そう言う偉い人たちもいます。
そう言われると困ったもので、 たしかに別に何かできるようになった気はしません。
さらに本を読んでいるから別に具体的に何かいい事があったとか、 そんな事はないです。
いや、僕の場合は一つの本で人生かわったんで、あるんですが。 まだ全然本を読んでない時の話だしなぁ。 そしてほかに特に何かあったような記憶は今のところないので。
その人生かわった本の話はひとまず置いておいて。
僕が思うに何かが劇的に変わる事はないけれど、日常の中で自分では気付かない程度の少しの変化がいくつもいくつも起こる気がするのです。
まずは、 自己や他者との対話において。
多くの本を読む事は単純にボキャブラリーが増えるという事だけではない。
カギを増やす。パーツを増やす。とっかかりを増やす。アンカーを増やす。
本を読めば読むほど当然同じ話、言葉に出会い、重複が起こる。 それは、けして無駄ではない。
絶対に著者の意見があるから偏りが生まれ、同じ話でも多様な見方を知れる。 というのが最初に思った事。
でも、それだけではない。
事柄の記憶のシーンが増える。
一つの本、シーンだと、 場に適合しなくて、それにたどりつかなければそれまで。 アウトプットできない。
多くの本を読んでいれば必要な時どれかにはひっかかる。
本の読み方がわかる。
いや別に読み方なんて人それぞれだからなんでもええやん、 とかいじわるな事は言わないでくださいね。
大事な事は接続詞の後に書いてあり、 一般論に少し触れて、 「しかし」など逆説の言葉のあとで著者は意見を主張する。
といったようなことを思いながら読まなくても感覚的に何が大事で、それがどこに書いてあるかがわかるようになる気がする。
本が読めるようになる。
は?いやいや本は読めるでしょう。 と思うかもしれません。 そうなんですけど、 「ちゃんと」 は読めていないと思うのです。 なにより自分自身が。
数学の問題も、ゴルフのショットも、テニスのサーブも、ギターのリフも、絵を描くことも、 多くの経験によって上手くできるようになりますよね。
そういう事です。
実際何が書いてあるか全くわからないけれど、 読み直さなければならない事だけは確かな本があります。
じゃあ何の本を読もうか?
とりあえずなんでもかんでも読めばいいと思う。 好き嫌いなく読むことが大切との教えもいただきました。 反省します。
でも基本的には自分が身につけたい専門性を持った人が書いた本、または読むであろう本を読めばいい。 専門性は持たないといけないのだから。
なんのために本を読むのか?
例えばこういうふうに文章を書くときに味方してくれる。
あの人もこう言っていたしそうだろう。とか あの人はこういうふうに言っていたけど、僕はこう思うんだ。とか
非常に内容が充実する。
当然プレゼンテーションをするような場面でも同じ。
・・・・今僕がブログを書く中では具体的にはいなかったけれど 笑
また、自分だけが思うことがあったら、書いている人がいなかったらそれは自分のものにできる。 そしてそれも他者によってのみオリジナリティは保証される。
最後に。
ツールとしての使い方のコツのようなものが、 それがあともうちょっとでわかる気がするんです。
大事な事がわかる瞬間の 洪水の濁流のように一気に押し寄せてくる あれ がくる気がするんです。 ・・・ただの予感ですけど
この予感はきっと正しい。
ちゃんと本を読んで、 ちゃんと本が読めるようになって、 ちゃんと本を使えるようになろう、 と思う idoでした。
ではまた
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