idoのdesignブログ

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なんやかんやと、
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1Q84
book3までやっと全て読み終わりましたよ。
ちょっと感想を書いてみようと思いました。

※以下ネタばれ内容含みます




とにかくすごく描写が素晴らしかったように感じます。

日常の光景が想い出され自分がどこかにいったまま本を読み進め、少し戻って読み直す事も何度かありました。
読み直しはなぜかbook3でのみおきました。
そしてそれがbook3での登場人物の一人の行動と重なる部分があり驚きました。
自分との何らかの共通点が存在する。

また、特におそらくどのような知識・知的レベルでもなにかしらの謎とそれに対する答えを持ち合わせるタイミングがあり、その答えが明快に記される事、もしくは、暗示されわかる事が存在する気がします。

「存在する。」というよりかは用意されているのでしょう。

あまりにもよくできすぎている。
読み方によってはもっと読めそうです。





物語の中で主要な登場人物が全く根拠がないのにわかる、確信を持つ物事が多々ありました。
それぞれに嗅覚や感性が鋭かった。
もともと鋭くなくてもめまぐるしい状況により経験則が生まれていた。

これらの描写には我々読者にも明確な根拠がなくてもそれとわかる確信を得させる効果がある。
疑いなく腑に落ちさせる、
決めつけを誘発しているのではないかと思います。
そして、またその腑に落ちる事を心地よく感じさせている。




そうしてラストにまで持ってゆくのだが、
特に大きな謎があきらかになるわけではない。
具体的にそれがなにを意味するのかもわからないまま、
多くの謎を残したまま終わる。

しかし異常なまでにきれいに納得できます。

ちゃんと入り口と出口があって、
登場人物は猫の町を抜け、
まるで私も同時に猫の町を抜けることができたようでした。

そうだとすると、ここは前の世界とは少しルールの違う世界。
でもそれに気付くにはまだ時間がかかるらしい。





今日は生産的な事を
めいいっぱい
やろうと思う
idoでした。
ではまた











エレベーターでの立ち位置

目上の方との飲み会での立ち振る舞い

挨拶の仕方

当たり前だから

ちゃんとやらないといけないけど

時には当たり前のことに疑いの目を向けないといけないね

疑う癖を忘れたら

社会制度に支配される

自分が完全に規定される

外に抜け出せない







千と千尋の神隠しで

外の世界に出るシーン

千尋がゆばぁばに両親をその豚の中から選ぶように言われて

「そこにはいない」

と即答したのは

ゆばぁばの質問の縛りから解放されないといけないと

感じ取ったからなのかもしれない。

と深読みしてる人がいました。

そういうことなのだ。







疑う癖を忘れなかったら

俯瞰で見れることがある

ちょっと言葉は違うかもしれないけれど

そういうことが大事

相手の提示したルールの外に出ないと

世界の外には出られないのだ






ってこれ全然マナーの話やないやんか。



とにかく

マナーはしっかり守ることができるように

ならないといけないなと思う

idoでした。

ではまたー










imuisumさんの「アートとデザイン」についての言葉


「デザインとアートの境界線は曖昧ですし、その方がいいと思っています。 しかし、デザインもアートも中心は同じだと思います。物理的、視覚的なことではなく、概念としての核が同じと思います。」

を受けて、




デザインはアートではない。と主張してきた自分として、
またアートとデザインの何が違うのかと説明するのが難しかった自分として、
デザインを中心に生きている立場として、思うところがありました。

デザイン側はよく誤解を受ける気がします。
アート側もそうなのかもしれません。




まずはデザインについて少し書きます。

デザインは
いろ、もの、かたち
だけの話ではない
のはけっこう一般に浸透していると思います。
例えばライフスタイルデザインという言葉にみられるように。

しかしデザイナーとしてというと
一変していろ、もの、かたちのことに思われる気がします。

絵描くん?
とか
芸術やってんのや
とか
なにしてんのかよくわからん
とか


それぐらいの認識をしてる人もいる。

ちょっと悲しい。


当然デザインは芸術を受けてるんだけれども、一般に認識されているであろう芸術という言葉の語感、イメージが喚起させるものとは違うんだ!と言いたい。


これはデザインはあまりしっかりと定義されていない
もしくは定義が一般に浸透していないのが原因です。

そう。
デザイナーはすごく誤解されやすいのです。
なぜかアートディレクターという言い方が世に浸透しているように。
そう言わないとわかりにくいのでいつかは選択するつもりですがあまりよくないと思います。

もしかしたら本当はアートをしているデザイナーもいるかもしれないですが。
本当に有名なデザイナーのやったことの一部を見てこれはアートじゃないかと思う事もありますが。




ちょっと愚痴っぽくなりました。
本題に入ります。


基本的にはアートの中のデザインだと思うんです。歴史的にみても。

だから密接に関わり合い、はっきりと区切る事ができないという点で共感します。
一般認識という意味ではアートがデザインであると解釈される事もあればその逆もあります。

でも決定的に違うんです。
そして私はそれをちゃんと言いたい人です。


世に言う「アートとデザイン」がひとくくりにされ同じに思われるのは、
あらわれた結果を切り取ってみているにすぎないからなのですが、
そこが同じなわけではないのです。



似ているようにみえるけれど違うんです。





じゃあ何が同じか?

本当に同じなのは、
物理的、視覚的なものは現象としてあらわれている、あらわしているだけで中心の大事な部分がありそれに則って形成されるという点です。

そこはimuismさんの意見に共感し、概念の核のようなものはおなじでも概念の派生、向きが違うので違うと思うのです。




デザイナー自身に対して、
ほんとは自分がなにをしてるのかをわかっているのか?と思います。
または、デザインがなにかという問の解をわかっていても忘れてしまっていないか。と思います。

そういったことを自分自身にも積極的に問うていくべきだと思います。

常にそういう問いをしていると疲れちゃいますが、
考える時は考えないと。


そして、

アートもデザインも再定義し続ける事が重要だと思うのです。



が、私の場合はそのペースが早すぎなのです。

なので、まだうまく言葉にあらわす事はできませんがこれからも「アートとデザイン」は私にとって非常に重要なテーマである事、
それだけは確かです。






相変わらず文章が

整いませんが

こんなところで今日は

許してやろうと思う

idoでした

ではまた