こんにちは。ねこすけです。
朝から部屋がぐちゃぐちゃ。
DINKSの時は分からなかったこれが”リセット”という作業の必要なわけね。
今日はちょっと思い出されたきっかけがあったので、私のインターネット老人会ならぬ
インターネット中年とやおいの回顧録を書き起こしてみたいと思います。
小学生の頃の私は地方在住の田舎娘。
東京や大阪とは異なり地方には文化資源がありません。
そんな中で楽しみといえば
ケーブルテレビのアニメチャンネルや
漫画の月刊週刊誌など
アニメ・漫画の世界でした。
そんな楽しみの乏しい環境で変化をもたらしたものが2つ。
一つは95年、Windows95が発売されました。
我が家にもでっかいブラウン管テレビのようなデスクトップPCを導入し
ダイヤルアップでピーーヒョロロという音をさせながらようやくインターネットがもたらされました。
(それは何世代か経てスケルトンiMacになりました。)
そしてもう一つが東京から来た転校生たちです。
近所に大学が新設され、東京から教授職を得てやってきた家族が多数ありました。
そこの娘さんたちが転校生として学年に何人かやってきたのです。
するとさすが、文化資源ある東京から来た女子たち。
彼女らがもたらしたのは、自分でHPをつくって描いた絵を載せたりする新しい楽しみでした。
ずーっと地方に住んでいた家庭には
まだPCがないところもあったのでしょうが
知的産業につく家庭の彼女たちはもちろん家にPCがあり、また自分でHPを作るという新しい文化をもたらしたのです。
まさに地方におけるイノベーターです。
その文化が、地方在住だけど転勤でやってきた私のような大企業会社員の娘のようなPC資源のあるアーリーアダプターにも伝播しました。
かくして、私はいそいそと
とほほのwww入門 さんや
窓の杜 さん
をみて調べてながら
手打ちで必死にHPを作ったのです。
最初は掲示板や画像ファイルを載っける程度のものでした。
好きな有名人や作品の同盟(と言われるコミュニティのようなもの)
頑張って画像を何枚も使ってGIFで動くバナーを作って貼っていたり
訪問者人数を示すカウンターのキリ番(キリの良い番号)に対して絵をプレゼント(という謎の行為)をしたり。
また、その頃はテキストサイト(と言われる文字メインのサイト)も多くありました。
二次創作小説サイトでは、
長ーい文章の書かれた中で1単語だけ実は裏サイトのリンクが貼ってあり
全反転して文字の中から色の変わるリンクの貼ってある文字を探し出し、
そこから裏サイトにいってエッチな二次創作小説を読む、というのも一般的な仕草でした。
女子はおませなので、当時小学生にして既にかなり過激なエッチ漫画が流行っていました。
特にやおい、ヤマなし、オチなし、イミなし。現在でいうBLです。
当時女子たちの間で流行っていたのは
BE BOY COMICS
竹書房の麗人
Chara
ディアプラス
花丸コミックスほか、、、
(意外と今でも雑誌あるんだな)
みんな学校に持ち寄り、貸回ししてました。
その頃ちょうど、
DAIGOの姉の影木栄貴さんやその親友である蔵王大志さんのもよく読んでました。
(彼女らも今年50!いい年〜)
当時は雑誌の最後に文通相手募集ページがあって、みんな住所載せてましたよ。
アンソロジーでいうと幽白のホモ漫画が流行っていました。
流行りだったので大体の女の子が読んだんじゃないかな?
そんなやおいの思い出。
同時代の女子は結構思い出共通するのでは?
そんなことないかな?
しかし私はヘテロなので、正直BL読むより男女のえっち漫画読む方が好きでした。
父親がビッグコミックスピリッツ買ってたので
池上遼一とか当時からお目にかかってたな。
えっち漫画ではないが
あずみとか一巻から読んでました。
あとゴリラーマンも好きでした。
最近40歳になったゴリラーマン40ってのがやってたんですねー。今もやってんのかな?
ちょっと話が最後脱線しましたが。
やおい、当日ハマりましたね。
隠しページ探す仕草の話で誰かと盛り上がりたい。笑
↓togetter まさに私よな。
ちなみに夫は自分が小学生くらい、Windows95くらいからのPCでこっそり見てたエッチなゲームプログラムを蓄積しており、結婚した今もどこかに隠し持ってるそうです。ブロック崩しの脱衣系とか。
容量何MBなんだろ?笑
そういうくだらないところは好きです。笑