昨日は卒業した小学校に息子と祖母(私の母)と一緒に行ってきました。小学生時代の6年生の担任の先生が息子のいじめに対してとても心配してくださって連絡をしてきてくれたのです。中学生になっているのだから、わざわざ気にかける必要もないはずのにこの小学校の先生方は中学生になっても陰ながらサポートしてくださっていたのです。
※ 昨年の10月に東京から九州に引っ越しした際、新しい学校で息子がうまくやっていけるか私はとても不安でした。ですが、新しい小学校の先生はもともと特別支援学校にいらっしゃった先生で発達障害について幅広い知識と技術を持っており、息子のことをとても理解してくださっていました。(こちらの小学校は先生方が発達障害者の支援に対するプロフェッショナル集団だと感じました。)
小学校の先生方とお話ししていると、実は先生たちは息子が中学生になっても困らないようにと息子の特性や対処方法の資料を作ってくださっていて中学校の先生に渡していたそうです。さらに発達支援学級から通常級(交流級)に行っても困らないように、同じ小学校の卒業生の生徒さんたちにも支援をお願いしていたことが判明しました。
私は絶句しました。
なぜならこれだけ小学校の先生方が頑張って作ってくださっている資料がきちんと読まれていない、ちゃんと活用されていなかったのですから・・・。
6月30日に中学校の先生達と今後の息子の対応について話しましたが、もし、中学校の先生方が小学校の先生が一生懸命作ってくださっている資料を読んでくださっていれば(資料が生きていれば)、少なくともいじめもここまでエスカレートすることはなかったと思います。同じ学区にある小学校と中学校のはずなのに生徒に対する支援や理解度は雲泥の差があり、同じ学区内にある=良い学校ではないということを痛感させられました。
7月5日に岩手県の中学2年生がいじめを苦に自殺をしましたが、私は他人事とは思えませんでした。なぜなら、うちの息子もすでに「もう死にたい」と口にしているのですから・・・。6月30日に行われた話し合いは証拠物として話の一部始終をボイスレコーダーに録音してあります。学校ではいじめがあったことも認めています。また、いじめの現場を先生方も見ており、息子が嫌がらせを受けていた現場も同級生が目撃しています。(面と向かって「キチガイ」「キモい」「うざい」と言われたり、すれ違いざまに「死ね」と言われる。交流級(通常級)に行くと、冷やかしやからかいを受ける。トイレに入ると周りからおちょくられ水をかけられるなど。)
このような状況でも中学校では、その後いじめに対する具体的な対策も説明もなく放置状態。市の教育委員会にも行きましたが、結局中学校も教育委員会も「事なかれ主義」なんでしょうね。
こんな状況の中、一つだけ良かったことがありました。
それは。
息子が通っていたこの小学校は私の母校でもあります。ですが、私はこの母校が大嫌いでたまりませんでした。私は学生時代、この小学校と中学校でひどい虐めに遭っていて肉体的にも精神的にもボロボロになって、まるで生きる屍状態になっていました。あまりのいじめの酷さに小学生時代から何度も自殺未遂を起こしました。私は私を傷つける自分の生まれ故郷とこれらの母校が大嫌いでずっとずっと恨んでいました。
ですが・・・。
昨日、小学校で息子のいじめの相談にのってくださったこと。「いつでもここに戻ってきてもいいんだぞ。」と言ってくださったこと。「勉強がわからないなら、夏休みの間、小学校にきてくれればいくらでも教えてあげるから。」と言ってくださったこと。「どんなことがあっても◯◯(←息子の名前)の味方だからな!」と言い切ってくださったこと。
息子には「小学校の先生」という強い味方がいたのです。
こういった小学校の先生方の息子に対する深い優しさと愛情、思いやりを目にした時(受けた時)、私が今までどんなに頑張っても払拭できなかった幼少期の嫌な思い出と心身の深い闇と傷がスーッと癒されていき、30年近く蓄積してきた小学校に対する、恨みや怒り、憎しみがようやく解放され、その時代の自分を許せるようになったのです。
そういう意味では今回の息子の中学校の虐め問題は、私の幼少期の心身の傷を治すために必要な出来事だったと思います。
息子の中学校でのいじめ問題がなければ、小学校の先生方が息子に対しこれほど深い愛情を注いでくれていたことを知る機会もなかっただろうし、何よりも小学校の先生方のこういう地道な努力と陰ながらの応援を見る機会がなければ、私の30年近く蓄積してきた心の闇も解放されることはなかったでしょう・・・。
※ 昨年の10月に東京から九州に引っ越しした際、新しい学校で息子がうまくやっていけるか私はとても不安でした。ですが、新しい小学校の先生はもともと特別支援学校にいらっしゃった先生で発達障害について幅広い知識と技術を持っており、息子のことをとても理解してくださっていました。(こちらの小学校は先生方が発達障害者の支援に対するプロフェッショナル集団だと感じました。)
小学校の先生方とお話ししていると、実は先生たちは息子が中学生になっても困らないようにと息子の特性や対処方法の資料を作ってくださっていて中学校の先生に渡していたそうです。さらに発達支援学級から通常級(交流級)に行っても困らないように、同じ小学校の卒業生の生徒さんたちにも支援をお願いしていたことが判明しました。
私は絶句しました。
なぜならこれだけ小学校の先生方が頑張って作ってくださっている資料がきちんと読まれていない、ちゃんと活用されていなかったのですから・・・。
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6月30日に中学校の先生達と今後の息子の対応について話しましたが、もし、中学校の先生方が小学校の先生が一生懸命作ってくださっている資料を読んでくださっていれば(資料が生きていれば)、少なくともいじめもここまでエスカレートすることはなかったと思います。同じ学区にある小学校と中学校のはずなのに生徒に対する支援や理解度は雲泥の差があり、同じ学区内にある=良い学校ではないということを痛感させられました。
7月5日に岩手県の中学2年生がいじめを苦に自殺をしましたが、私は他人事とは思えませんでした。なぜなら、うちの息子もすでに「もう死にたい」と口にしているのですから・・・。6月30日に行われた話し合いは証拠物として話の一部始終をボイスレコーダーに録音してあります。学校ではいじめがあったことも認めています。また、いじめの現場を先生方も見ており、息子が嫌がらせを受けていた現場も同級生が目撃しています。(面と向かって「キチガイ」「キモい」「うざい」と言われたり、すれ違いざまに「死ね」と言われる。交流級(通常級)に行くと、冷やかしやからかいを受ける。トイレに入ると周りからおちょくられ水をかけられるなど。)
このような状況でも中学校では、その後いじめに対する具体的な対策も説明もなく放置状態。市の教育委員会にも行きましたが、結局中学校も教育委員会も「事なかれ主義」なんでしょうね。
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こんな状況の中、一つだけ良かったことがありました。
それは。
息子が通っていたこの小学校は私の母校でもあります。ですが、私はこの母校が大嫌いでたまりませんでした。私は学生時代、この小学校と中学校でひどい虐めに遭っていて肉体的にも精神的にもボロボロになって、まるで生きる屍状態になっていました。あまりのいじめの酷さに小学生時代から何度も自殺未遂を起こしました。私は私を傷つける自分の生まれ故郷とこれらの母校が大嫌いでずっとずっと恨んでいました。
ですが・・・。
昨日、小学校で息子のいじめの相談にのってくださったこと。「いつでもここに戻ってきてもいいんだぞ。」と言ってくださったこと。「勉強がわからないなら、夏休みの間、小学校にきてくれればいくらでも教えてあげるから。」と言ってくださったこと。「どんなことがあっても◯◯(←息子の名前)の味方だからな!」と言い切ってくださったこと。
息子には「小学校の先生」という強い味方がいたのです。
こういった小学校の先生方の息子に対する深い優しさと愛情、思いやりを目にした時(受けた時)、私が今までどんなに頑張っても払拭できなかった幼少期の嫌な思い出と心身の深い闇と傷がスーッと癒されていき、30年近く蓄積してきた小学校に対する、恨みや怒り、憎しみがようやく解放され、その時代の自分を許せるようになったのです。
そういう意味では今回の息子の中学校の虐め問題は、私の幼少期の心身の傷を治すために必要な出来事だったと思います。
息子の中学校でのいじめ問題がなければ、小学校の先生方が息子に対しこれほど深い愛情を注いでくれていたことを知る機会もなかっただろうし、何よりも小学校の先生方のこういう地道な努力と陰ながらの応援を見る機会がなければ、私の30年近く蓄積してきた心の闇も解放されることはなかったでしょう・・・。
私は幼少期に小学校でひどい虐めを受けていた。
↓
その時はそうだったかもしれないけれど、その後も
その小学校が虐めを容認しているわけではない。
ということが理解でき、私は自分の母校(小学校)に対する負の記憶を新しく切り替えることができました。
小学校での相談を終えた後、小学校の先生方に「私は小学生の頃にこの学校でひどい虐めを受けていた。いくら相談しても学校の先生も助けてくれなくて学校が大嫌いになった。」と言う昔話を話すと、先生方は「本当にごめんなさい。すみませんでした。」と頭を下げて謝ってくださいました。今の先生方が悪いわけではないのに・・・。
同じ母校でも、中学校に対しては「数十年経った今でもまったく変わってないな。」と思いましたが、小学校に対しては息子の先生方の深い優しさや愛情、思いやりが、それまで私が抱えてきた小学校に対する憎しみや怒り、恨みを解放するきっかけになりました。
頭(理性・知性)では「恨んではいけない。憎んではいけない。」と理解していても、心(感情)は違います。この「理解」と「納得」が同時に揃わなければ、真の意味で「許す」ことは出来ないと思います。
今回、小学校の先生方のお陰で「理解と納得をして許す」経験ができました。そして私の生まれ故郷に対する怒りや憎しみを一つ取り除くことができました。小学校の先生方にはとても感謝しています。本当にありがとうございました。
その小学校が虐めを容認しているわけではない。
ということが理解でき、私は自分の母校(小学校)に対する負の記憶を新しく切り替えることができました。
小学校での相談を終えた後、小学校の先生方に「私は小学生の頃にこの学校でひどい虐めを受けていた。いくら相談しても学校の先生も助けてくれなくて学校が大嫌いになった。」と言う昔話を話すと、先生方は「本当にごめんなさい。すみませんでした。」と頭を下げて謝ってくださいました。今の先生方が悪いわけではないのに・・・。
同じ母校でも、中学校に対しては「数十年経った今でもまったく変わってないな。」と思いましたが、小学校に対しては息子の先生方の深い優しさや愛情、思いやりが、それまで私が抱えてきた小学校に対する憎しみや怒り、恨みを解放するきっかけになりました。
理性(知性)は理解、心(感情)は納得。
頭(理性・知性)では「恨んではいけない。憎んではいけない。」と理解していても、心(感情)は違います。この「理解」と「納得」が同時に揃わなければ、真の意味で「許す」ことは出来ないと思います。
今回、小学校の先生方のお陰で「理解と納得をして許す」経験ができました。そして私の生まれ故郷に対する怒りや憎しみを一つ取り除くことができました。小学校の先生方にはとても感謝しています。本当にありがとうございました。