息子の学校のイジメ問題もあり、家族会議をしました。今回息子のイジメ問題に関して学校と話し合いをしましたが、担任の先生の行動は相変わらず変わらないようですし、話し合いをした次の日も息子は先生に怒られて意気消沈していました。話し合いをしてもこのような状態ですし、それだけイジメに関しても問題意識が薄いというか、結局放置なんでしょうね・・・。

 イジメはどこでも起こり得ます。実際、静岡県浜松市にいた時も、東京にいた時もイジメ問題は度々ありましたが、それでも息子の口から「死にたい」という言葉はありませんでした。しかし、今回だけはどうしても耐えられなかったのでしょう。

「お母ちゃん、僕、死にたい・・・。」

 この言葉が出るほど息子が我慢していたのかと思うと、親としてダメすぎて泣けてきました。ですが、この言葉を息子が言ってくれたのは、親子としての信頼関係があるからこそ言える言葉だと思いますし、息子が恥ずかしさや申し訳なさを感じながらも、「死人に口無し」状態になる前に、この言葉を言ってくれた息子の勇気に本当に感謝です。

 今、私が出来ることはこういった息子が辛いと思うような環境を変えることだけです。
と同時に、私の方としても現在関東地方・東海地方・九州地方を毎月往復していますが交通費や家賃、オフィス代もばかになりませんし、本来の目的であった47都道府県全国供養行脚も貫徹し、総合的に考えた場合私にとっても息子にとっても九州に居ることは何もメリットがないので九州を去ることにしました。

 一応予定としてはこれから物件探しを始めて、8~10月ごろまでには静岡県(浜松市)または神奈川県あたりに引っ越しを考えています。どこか良い物件があれば紹介していただけると本当に助かります。

 それにしても・・・。今回、ついに14回目の引っ越しになります。今回は1年経たずに引っ越しです。引っ越し魔の私もさすがに引っ越しが多すぎてヘトヘトです。私のために子供を落ち着かせた環境に置いてあげられないことに申し訳なさを感じます。次の引っ越し場所では私のためにも子供のためにも少し落ち着きたいです・・・。

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 発達障害者だから何でも許されるとは思っていませんし、むしろ発達障害者だから他の人以上に迷惑をかけないように頑張らないこといけないことも理解しています。そのため、小さい頃からソーシャルスキルトレーニングを積んできたり、病院や学校と連携を組んでなるべく息子が他者様に迷惑をかけずに生活できるように努力してきたつもりです。

 ただ土地柄というのでしょうか?閉鎖的な県ほど他者を受け入れるということができません。私も息子が住んでいるこの土地で昔、酷い虐めに数年間遭い続け自殺未遂を起こしました。小学校、中学校はその虐めを隠蔽し、虐めがあったことをすべてもみ消しました。今回の息子の件で改めてここの土地は数十年経っても未だにその虐め体質は現存しているんだなと思い知らされました(ここの土地はイジメ0を提唱していますが、イジメがあったとしてもその事実を揉み消しているので表にあらわれなければそりゃ0でしょうね・・・。結局それで虐められた子は泣き寝入りです。)

 別の土地に行ったとしても、きっとまた似たような問題が起こる可能性はありますが、少なくとも今のような「死にたい」状態まではいかないと思います。人によってはそれを「逃げ」だとおっしゃる方もいるとは思いますが、逃げることと死ぬことを比べれば逃げた方が良いと私は思います。少なくとも私はこの土地から逃げたことで、自分の可能性が開けたのですから。

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 虐めの問題は今に始まったことではなく昔から常にありました。ですが虐めの問題はメディアが取り上げても一向に改善することはありません。なぜなら、虐めの現場を見てて認知していても虐めを仲裁する人がいないからです。

 ほとんどの子供が傍観者で、虐めの事実があったとしても自分の身を守るために傍観者にならざるを得ないのです。事実、虐めの仲裁に入ったことで逆に仲裁に入った子がこんどは逆に虐められる側になり、庇ばれた子が虐めに加わるケースもあります。

 だから皆怖いのです。そのターゲットになるのが今度は自分になるんじゃないかと。

いじめに関しての政府統計


 ↑ 上記の「いじめに関しての政府統計」をクリックすると、H25年度最新の統計が見れます。ただし、文部科学省の統計は参考になりますが、すべてが事実ではありません。なぜなら虐めの実態をもみ消している学校もたくさんありますし、そもそも地方と大都市圏では学生の人数も違いますし、同じ虐め、悪口一つを比べてもねちっこさや陰湿さがその土地土地で違ってくるからです。(虐めの認知件数よりも不登校率を見るべきだと思います。)


 私は虐めは逃げることでは根本的な問題は解決しないと思っています。ですが、少なくとも最悪の「死にたくなる」という状況を回避することは出来ます。

 大切なのは傍観者を減らすことです。それが無理であれば、学校に監視カメラを用いて教師がいない状態でも監視できるようにするしかないと思います。プライバシーの問題もあるかもしれませんが、そもそも私たちはPCや携帯電話などを持っている時点で既にプライバシーすらないのです。ツイッターやFacebookで発言すれば、その時点でいつ、どこで何をしていたかという記録は残り、GPS機能でどの場所にいるかはバレバレです。(本当に個人のプライバシーを守りたいのであればPCや携帯電話を持たないことです。)

 皆さん、気づいていない人も多いと思いますが街の中は監視カメラだらけです。常に私たちの行動は監視カメラで監視されていますが、なぜ学校には監視カメラを入れないのでしょうか・・・??極論になりましたが、生徒が傍観者にならざるを得ないくらいの学校であればそのように監視するしかないと私は考えます。(何より事実として虐めの記録が残りますし。)

 誰でも好きで傍観者になっているわけではありません。しかし傍観者になってしまわないといけないような教育を施しているのは大人です。もっと一人一人が道徳的で「良いことは良い」「悪いことは悪い」と事実をはっきり言ったとしても非難されないような社会にしていかなければならないと私は思います。