「もっと自由になりたい」

というフレーズは

よく耳にしたり、

目に入る印象がある。

これを

読んでくださっている

あなたは、

「自由」

という言葉に

好ましい印象をお持ちだろうか。

ネガティブ感情があるだろうか。

かくいうわたしも、

「自由」というのは、

“なにか良いものだ”

と思って(思わされて)いる。

だけど、どうなんだろうか。

その「自由」とは、はて、

いったい何なのだろうか。

わたしの脳内Googleに

「自由」と打ち込んで

出てくるのは

たとえば、高校の

美術の授業で、

好きなモチーフを選び、

「もっと自由に描いて」

と講師に言われたとき、

かえって、うーん。。。

と考え込んでしまって、

絵筆が動かなく、すくんで

しまうタイプだったなー

と思うこととか、

よく怪訝な顔をされる

のだけど、

わたしは

飛行機に乗っているとき

信じられないような「自由」を

感じていたなーとか、

そんなことで。

あの不自由な、

動きづらい、身体負担の

大きいフライト中なのだけど

(分かってるけど)

ああ、

わたしは今、空の上なんだ。

雲の上を飛んでいるんだ。

窓の外は信じられない気温なのに。

ああ、

わたしは今、自分の命を

空気とパイロットと機体に

預けるしかできないんだ。

ああ、

わたしは今、どこにも

所属しておらず(つながれない)

役割もなく、ただ

窓をながめて座るしかできず、

そしてそれは

この飛行機の中でみんなが

そうなんだ。と思うと、

なんだか

かえって自由度が増して

ふだんなら考えられないような

冒険的アイディアがぐわぐわと

湧いてきて、

いつもはちいとも走らない

ボールペンが

ノートのうえを軽快に動き、

地上ではとても

言葉にできなかった本音を

つづることが出来た。

あれはだから、

不自由のなかにあって

選択肢がとても限られていて

だから集中して

自由に、自分本位に

思いのままにいやすくなった

のだと思う。

わたしがSNSや本などで

見かける定義は

「自分がチョイスできる

 選択肢が増えること」

というもので、

なんだか、それは正しい

ような気がしていた。

だけど、どうなんだろうか。

選択肢が多すぎるせいで

どれがいいか分からなくなった

という人や

人体に害があるものまで

手に取れる現代マーケットに

腹を立てる人もいれば

自分には得られない成果を

得ている人に嫉妬する

世界が増えている

だけ、でもあるのかもしれない。

意地悪く見るならば。

自由ってどういうもの

なんだろうか、

人が求めてきたことは

選べるものが増えること

なんだろうか、

今、わたしたちが

使っている言葉

「自由」

そのものは

なんとも描きづらい、

ばくぜんとした

あいまいなモノに

なっている気がする。

不自由ではなくなること、

というような。

ここまで綴ってきて、

わたしが今思うには、

不自由を

体感したことがあり

世界認知を拡げてきた人が

だからこそ

判別できるようになった、

より良いものを

みずからが選んでいると

感じられるとき

そこに「自由(喜び)」がある、

ように思う。

それはただ、しまりがなく

甘えきった欲望のまま

対象を食べ尽くす

無制限の“自由”でもなく、

ただ、幼児のように

欲しいものが得られないと

泣き叫んで暴言を吐く

他責的な“自由”でもなく、

本当に生きるためには

まず死を観なければ始まらない

と、よく言われるけれど、

なにか、似たようなものが

そこにはある気がする。

そして、

わたしが思う、

求めている「自由」というのは

より包括した、

より大きな全体像から

眺めたときに

自分だけの

閉ざされた喜び、ではない

大きな生命体(全体)に向けて

喜び、進展、拡大につながる

その通路となれること

その実感を味わっている状態

だと、信じている。

そのルートから登れば

きっと、ただただ

自分を生きていることだけが

人からみれば

いかに不自由な状態であろうと

制限だらけのように見えても

むしろがそれが選択を集中させてくれ

本人の内側からは

湧いてくる自由と喜びで満ちあふれ

本気で完全燃焼の命を生きられるのだと

信じているし、思っている。

それはきっときっと

魂からみた絶品の生に違いない。

だから人は

世界を知りたいと望み

自分を理解したいと欲し

他者とつながりたいと悶え

好奇心が尽きないのだと、思う。

そんなわたしが「おお」

と感じた読書メモ📝

昔のノートから出てきたので

最後に、あなたに

お届けしたいと思います。

・・・・・・

彼らはぞくぞくするような

興奮を生の喜びと思い込み、

多くのモノを

所有したり使ったりするとき、

自分はまさに生きている

という幻想を抱いて

生活している。

[悪性のナルシシズム] の場合、

その対象は

その人が [したこと] や

[生み出したもの] ではなく、

その人が [持つもの] である。

たとえば、身体、外見、健康、富などだ。

このタイプのナルシシズムの

悪質さは、

良性のものに見られる

補正要素が欠けていることにある。

自分が偉大なのは、

自分が [成し遂げたこと] ではなく、

自分が [所有している] ものに由来する。

したがって、誰とも、

あるいは何とも関わる必要はないし、

何の努力も必要ない。

偉大さを維持するために、

どんどん現実から自分を分離していく。

・・・・・・

「悪を選ぶ理由のない」人は、

完全に自由な人間となる。

by エーリッヒ・フロム

 

 

 

 

 

 

 

 

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