私の父は四年前に

膵臓がんで この世を去りました。

大正生まれ九州男児

頑固で 情け深く 厳しくも 優しい

そんな親父でした。

四年前の3月

1本の電話が病院からかかってきた。

お父様が入院となりまして



ご相談と お伝えしたいことがあります。


私は変な胸騒ぎの中

飛行機に乗り直ぐに長崎へ

病院に到着し 病院玄関を出たり入ったり

何度も繰り返し 大きな声で息をととのえ

受付で担当医の名前を伝えました。


7階のナースステーションに
行ってください。

エレベーターに乗り7のボタンの横に


肝臓 腫瘍科 病棟

そう書かれていました。


7階に着き ナースステーションへ

名前を伝えたら 

小さな部屋へと連れられていきました。


暫くして 担当医が来て

すぐさま 二台のパソコンの画面を

見せられました。

CT画像 MRI画像




お父様の現段階の病状ですが

膵臓に腫瘍があります

大きな血管を巻き込む様に

腫瘍があり 腫瘍自体はかなり

範囲が大きいです。


私は 何を言ってるの?


そんな気持ちの中で

手術で腫瘍を取り除いたらいいじゃないですか


担当医は

黙ったまま

手術が出来ない。

既に お父様は

ステージ4の膵臓がんの状態です。



声が出ないけど

涙は溢れるほどに胸や腕に落ちていきました。


あと

どれくらい?生きれますか?



画面を何度も 何度も見ながら


あと

3ヶ月程と考えられます。


担当医から

これから父におこりえる
事柄を説明されましたが
私は

痛み無い状況を約束してあげてください


担当医は
出来る限りそうして参ります。
しかし
ご家族の協力も必要となります。

最後に
がんの告知は 本人にどうされますか?
治療 これからおこる事柄
私の方から本人とお話しますか?



私は

いえ。
言うときには
私が言います。
先生はその時まで
嘘をつきとうして違う病名を言ってください。


そう言葉を交わして

父の病室に向かうけど

病室近くでまた引き返して

また病室前に

また引き返して


涙顔じゃいけない
涙顔じゃ行けない

御手洗いで 何度も顔を洗って

父の待つ病室へ。


痩せ細った身体を見た瞬間

崩れてしまいそうになるが

辛いのは 私ではないんだと

自分に言い聞かせ


嘘を

博多まで仕事で来たから
レンカター借りて
家に帰ってきたら
誰も居なくて
(母も入院していました)
親戚に聞いたら入院してるって
聞いてビックリして来たよ。

父への初めての嘘



父が亡くなるまでの
戦いは壮絶を極める程でした。

父の涙も
父の強さも
父の切なさも
父の悔いも

側で 側で

一緒にみてきました。


私は 
ただ見守っるだけで
何一つ 力になれなかった。

父が激痛に涙している瞬間も

ただ
じっと 正面からみていた。


あれから
四年の年月が流れ


未だに 私は 父に会いたくて

未だに 私は 父を抱きしめたくて


未だに 父の死を受け入れることが
出来ずにいます。


あれ以来

近しい人が 病気になった

近しい人が がんになった

どうして良いのか

苦しく 切なく 向き合う事が

下手くそになりました。



がんばれ

がんばって

心の底から 思っていても

ごめんなさい。

がんばってるんだよね

ごめんなさい。

って思いで一杯になる。




私 向き合います。

私に出来ることやります。


皆さん
初めて 言います。


女子プロレスラー

Ray選手

亜利弥選手


男子プロレスラー

高山選手


私と一緒に支えて下さい。


三人共に 戦っています。

綺麗事は言いません。

三人共に高額な医療費がかかっていると

思います。

皆さん
私と一緒に支えて下さい。



いま
わたしは
盛岡にいます。

本日は 電流爆破試合。


高山さんと大仁田さんの試合を
ビデオでみて 勉強させていただきました。


高山さん

私 ババアになっても
待ってますから

電流爆破
一度だけでいいです。

一緒にやってください。


待ってますから。




長文を失礼しました。


皆様へ


長与千種