幼少のころから 私は父に厳しく育てられた。

幼稚園
小学校
家を出でて行く
家に帰って来た時

玄関に大きい字で書かれた三つの言葉

ひとつ
人に迷惑をかけない

ひとつ
人の悪口を言わない

ひとつ
人に嘘をつかない

この三つの言葉を言わなければ

学校にも 遊びにも出かけてはいけなかった。

そんな父は 

日曜日になると私を連れて勝負事の場所へ
連れていってくれた。

遊技場 モーターボートレース場
競馬 競輪。。。

勝ち負けを 意識したのもこの頃だが
とにかく
競艇などは エンジンの音
波間の状態
全て教えられては
どの艇が1位になるか
予想させられた。

私の予想が当たれば 必ず
鰻屋さんに連れて行かれ
一杯の鰻丼の蓋に
ご飯と 鰻をのせて 半分こで父と食べた。

小学校に上がるまえには
算数 国語はすでに父が自宅にあった
大きな黒板で教えてくれていたので
一年生の時は 割り算もかけ算もできていた。

なので

学校から教科書を一度も持って帰ったことなく

父は
学校には友達と楽しい時間を過ごしてこいと
いわれた。

私が
小学5年生になる頃

悲しすぎる出来事がおきた。