栄光の「マツダ787B」20年ぶりルマンへ デモ走行で雄姿再び
まる1日、24時間かけてどれだけ長い距離を走れるかを競う世界最高峰の自動車耐久レース「ルマン24時間レース」。90年近い歴史を持つ伝統の大会だが、日本勢が優勝を飾ったのは後にも先にも1度だけ。1991年(平成3年)の覇者、オレンジとグリーンの“チャージカラー”に彩られた「マツダ787B」だ。あれから20年。栄光のマシンが今年6月、同じ大舞台で再び雄姿を披露することになり、山口県美祢市のマツダ美祢自動車試験場でシェイクダウン(走行性能の最終確認)が行われた。(小林宏之)
フランス・ルマン市にあるサルトサーキット。自動車の24時間耐久レースは毎年6月、常設サーキットの一部と公道を組み合わせた全長約13キロのコースで開催。威信を背負った大手メーカーから手作りのプライベーターにいたるまで、大小さまざまな規模のチームが栄冠を目指し、しのぎを削る。
初開催は1923年。その後、第二次大戦の影響などで中止もあったが、自動車の発展とともに歴史を重ね、ポルシェやアウディ、フェラーリなどそうそうたるメーカーが過酷な戦いを制している。求められるのは、車の一発の速さだけでなく、スタッフも含めた総合力だ。
マツダのルマン制覇は、日本勢としてだけでなくロータリーエンジン(RE)搭載車としても唯一の快挙。また91年は、当時の参加規定変更に伴ってRE車が出場できた最後の年(その後、規定変更に伴い出場可能になった)という“ドラマ”も加わり、787Bに胸を熱くするモーターファンは今も少なくない。
そんな悲願の優勝から20年の節目を迎えた今年の4月、レースの主催団体「フランス西部自動車クラブ」(ACO)から「本戦前に行われる恒例のデモンストレーション走行に787Bを招待したい」というオファーがマツダに届いた。今回、声がかかったのは787Bのみで、1台だけでのデモ走行は異例という。ACO側にとってもこのマシンは特別な存在であるとともに、「大震災に苦しむ日本を応援したい」との思いもあったようだ。
787Bはルマンからの凱旋(がいせん)後、国内外のさまざまなイベントに姿を見せ、マツダやREの“広告塔”として活躍してきたが、最後に走ってみせたのは2006年3月。ふだんはマツダ本社(広島県府中町)の「マツダミュージアム」に保存・展示され、時々は外でのイベントに引っ張り出されるものの、実走からは5年も遠ざかっていた。
しかし、マツダもこの記念すべき年に合わせ、787Bの動態保存に向けたプロジェクトを年明けから始動。当時を知る“生き字引”たちを含むエンジニアらでプロジェクトチームを作り、初めての本格的な修復整備に取りかかっていた。
「デモ走行への招待の話をいただき、とても光栄でした。ただ、デモとはいえルマンで恥ずかしい走りはできない」
かつて787Bの開発に携わり、今はスポーツカーの開発責任者を務める山本修弘さん(56)はそう話す。
チームは全部品を分解して徹底的に再点検。4基のローターを持ち、最高出力700馬力、平均時速205キロをたたき出したエンジンは思い切って新調し、当時の形式のまま復元した。日の丸地に「がんばろう日本」と記したステッカーも作り、ボディーに張った。
そして5月17日、マツダ美祢自動車試験場で、復活を遂げたマシンのシェイクダウンが行われた。787Bがこのコースを走るのは、ここがまだ「MINEサーキット」だった05年10月以来だという。
テストドライバーを務めたのは、日本人最多のルマン出場回数を誇り、「ミスター・ルマン」の異名を持つ寺田陽次郎さん(64)をはじめ従野孝司さん(61)、片山義美さん(71)の3人。いずれもかつてマツダの契約ドライバーで、何度もルマンでチームを組んだ“盟友”たちだ。
入念な最終調整の後、787Bがピットレーンからコースへ入る。「ルマン用のセッティングなので、全開走行はできないんですが…」と従野さんが言うが、マシンは甲高い独特のロータリーサウンドを響かせてあっという間に視界から消える。片山さんは「車体のバランスも音も、とてもいい」と満足そう。寺田さんは「今、本戦に出場してもおかしくないパワー。デモ走行を通じて、元気な日本を表現できれば…」と手応えを感じていた。
「胸がじーんときました。このエンジンサウンドに、マツダの熱い思いが載っている」と言葉を詰まらせる山本さん。「REの開発に関わりたくて、この会社に入ったんです。ルマンへの挑戦は当初、予選突破が精いっぱいだったが、いつのまにか『勝ってやる』という強い思いに変わっていった。この1台にはかけがえのない思い出が詰まっているんです」。
日本勢の中では最も古くからルマンに関わってきたマツダ。初めて日本製のエンジンが登場したのは1970年、マツダのREを積んだ車だった。そして74年には、同社系のディーラー「マツダオート東京」(現関東マツダ)がRE車で初参戦。その後、本社も加わったワークスチームとなり、13回目の挑戦で頂点に立った。
その原動力となったのは、世界の自動車メーカーで唯一、RE車の量産に成功した「飽くなき挑戦」のスピリット。レシプロエンジンと呼ばれる一般的なガソリンエンジンが、ピストンの往復運動を回転運動に変えて駆動力を得るのに対し、ローターの回転運動がそのまま駆動力となるREは、「軽量でコンパクト、ハイパワー」(山本さん)。この特性を生かそうと、ルマンだけでなく他の耐久レースやスピードレース、ラリーなどモータースポーツ活動に積極展開してきた。787Bの栄光は、そうした並々ならぬ努力と経験の蓄積のたまものだろう。
今年のルマンは6月11日午後3時(日本時間午後10時)にスタート。デモ走行は、本戦開始前の同日午後0時半ごろ(同午後7時半)に行われる。すっかり準備を整えて出発の時を待つ787B、世界中のルマンファンたちに歓喜で迎えられることを願わずにはいられない。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20110528-00000525-san-bus_all
フランス・ルマン市にあるサルトサーキット。自動車の24時間耐久レースは毎年6月、常設サーキットの一部と公道を組み合わせた全長約13キロのコースで開催。威信を背負った大手メーカーから手作りのプライベーターにいたるまで、大小さまざまな規模のチームが栄冠を目指し、しのぎを削る。
初開催は1923年。その後、第二次大戦の影響などで中止もあったが、自動車の発展とともに歴史を重ね、ポルシェやアウディ、フェラーリなどそうそうたるメーカーが過酷な戦いを制している。求められるのは、車の一発の速さだけでなく、スタッフも含めた総合力だ。
マツダのルマン制覇は、日本勢としてだけでなくロータリーエンジン(RE)搭載車としても唯一の快挙。また91年は、当時の参加規定変更に伴ってRE車が出場できた最後の年(その後、規定変更に伴い出場可能になった)という“ドラマ”も加わり、787Bに胸を熱くするモーターファンは今も少なくない。
そんな悲願の優勝から20年の節目を迎えた今年の4月、レースの主催団体「フランス西部自動車クラブ」(ACO)から「本戦前に行われる恒例のデモンストレーション走行に787Bを招待したい」というオファーがマツダに届いた。今回、声がかかったのは787Bのみで、1台だけでのデモ走行は異例という。ACO側にとってもこのマシンは特別な存在であるとともに、「大震災に苦しむ日本を応援したい」との思いもあったようだ。
787Bはルマンからの凱旋(がいせん)後、国内外のさまざまなイベントに姿を見せ、マツダやREの“広告塔”として活躍してきたが、最後に走ってみせたのは2006年3月。ふだんはマツダ本社(広島県府中町)の「マツダミュージアム」に保存・展示され、時々は外でのイベントに引っ張り出されるものの、実走からは5年も遠ざかっていた。
しかし、マツダもこの記念すべき年に合わせ、787Bの動態保存に向けたプロジェクトを年明けから始動。当時を知る“生き字引”たちを含むエンジニアらでプロジェクトチームを作り、初めての本格的な修復整備に取りかかっていた。
「デモ走行への招待の話をいただき、とても光栄でした。ただ、デモとはいえルマンで恥ずかしい走りはできない」
かつて787Bの開発に携わり、今はスポーツカーの開発責任者を務める山本修弘さん(56)はそう話す。
チームは全部品を分解して徹底的に再点検。4基のローターを持ち、最高出力700馬力、平均時速205キロをたたき出したエンジンは思い切って新調し、当時の形式のまま復元した。日の丸地に「がんばろう日本」と記したステッカーも作り、ボディーに張った。
そして5月17日、マツダ美祢自動車試験場で、復活を遂げたマシンのシェイクダウンが行われた。787Bがこのコースを走るのは、ここがまだ「MINEサーキット」だった05年10月以来だという。
テストドライバーを務めたのは、日本人最多のルマン出場回数を誇り、「ミスター・ルマン」の異名を持つ寺田陽次郎さん(64)をはじめ従野孝司さん(61)、片山義美さん(71)の3人。いずれもかつてマツダの契約ドライバーで、何度もルマンでチームを組んだ“盟友”たちだ。
入念な最終調整の後、787Bがピットレーンからコースへ入る。「ルマン用のセッティングなので、全開走行はできないんですが…」と従野さんが言うが、マシンは甲高い独特のロータリーサウンドを響かせてあっという間に視界から消える。片山さんは「車体のバランスも音も、とてもいい」と満足そう。寺田さんは「今、本戦に出場してもおかしくないパワー。デモ走行を通じて、元気な日本を表現できれば…」と手応えを感じていた。
「胸がじーんときました。このエンジンサウンドに、マツダの熱い思いが載っている」と言葉を詰まらせる山本さん。「REの開発に関わりたくて、この会社に入ったんです。ルマンへの挑戦は当初、予選突破が精いっぱいだったが、いつのまにか『勝ってやる』という強い思いに変わっていった。この1台にはかけがえのない思い出が詰まっているんです」。
日本勢の中では最も古くからルマンに関わってきたマツダ。初めて日本製のエンジンが登場したのは1970年、マツダのREを積んだ車だった。そして74年には、同社系のディーラー「マツダオート東京」(現関東マツダ)がRE車で初参戦。その後、本社も加わったワークスチームとなり、13回目の挑戦で頂点に立った。
その原動力となったのは、世界の自動車メーカーで唯一、RE車の量産に成功した「飽くなき挑戦」のスピリット。レシプロエンジンと呼ばれる一般的なガソリンエンジンが、ピストンの往復運動を回転運動に変えて駆動力を得るのに対し、ローターの回転運動がそのまま駆動力となるREは、「軽量でコンパクト、ハイパワー」(山本さん)。この特性を生かそうと、ルマンだけでなく他の耐久レースやスピードレース、ラリーなどモータースポーツ活動に積極展開してきた。787Bの栄光は、そうした並々ならぬ努力と経験の蓄積のたまものだろう。
今年のルマンは6月11日午後3時(日本時間午後10時)にスタート。デモ走行は、本戦開始前の同日午後0時半ごろ(同午後7時半)に行われる。すっかり準備を整えて出発の時を待つ787B、世界中のルマンファンたちに歓喜で迎えられることを願わずにはいられない。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20110528-00000525-san-bus_all
【NBA】ロケッツ新HCにK.マクヘイル氏が就任へ
現地27日、ヒューストン・ロケッツが次期HCとしてケビン・マクヘイル氏と契約を結んだことが分かった。米国の大手ポータルサイトが運営する『ヤフースポーツ』が伝えた。同サイトが関係者の話として伝えたところによると、契約期間は3年間で、4年目はチームオプションになるという。
先週、ロケッツ新HCの最有力候補に浮上したマクヘイル氏は、オーナーのレスリー・アレキサンダー氏と面会した後にオファーを受けた模様。ロケッツのフロント陣は、マクヘイル氏が若い選手とのコミュニケーション能力に優れていること、また選手として殿堂入りを果たしている同氏がコーチとしての成功も強く望んでいることを高く評価したという。
現役時代にはボストン・セルティックスのフォワードとして3度の優勝に貢献したマクヘイル氏。引退後はミネソタ・ティンバーウルブズで長期にわたりGMを務めた。ウルブズでは2004-05シーズンと2008-09シーズン途中からコーチも務め、その間に39勝55敗という成績を残している。過去2シーズンはテレビ解説者を務めていた。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20110528-00000311-ism-spo
先週、ロケッツ新HCの最有力候補に浮上したマクヘイル氏は、オーナーのレスリー・アレキサンダー氏と面会した後にオファーを受けた模様。ロケッツのフロント陣は、マクヘイル氏が若い選手とのコミュニケーション能力に優れていること、また選手として殿堂入りを果たしている同氏がコーチとしての成功も強く望んでいることを高く評価したという。
現役時代にはボストン・セルティックスのフォワードとして3度の優勝に貢献したマクヘイル氏。引退後はミネソタ・ティンバーウルブズで長期にわたりGMを務めた。ウルブズでは2004-05シーズンと2008-09シーズン途中からコーチも務め、その間に39勝55敗という成績を残している。過去2シーズンはテレビ解説者を務めていた。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20110528-00000311-ism-spo
謎だらけの金総書記の訪中
【矢板明夫の目】
北朝鮮の金正日(キムジョンイル)総書記(69)は20日早朝、特別列車で中朝国境を超え、昨年5月と8月に続き、ほぼ1年以内に3回目の訪中を開始した。黒龍江省(こくりゅうこう)、吉林省(きつりん)を回ってから南下し、江蘇(こそ)省の楊州(ようしゅう)市と南京市を訪問したあと、強行軍で北京に戻って胡錦濤(こきんとう)国家主席(68)とのトップ会談に臨んだとみられる。国内の食糧不足、三男の正恩(ションウン)氏(28)への権力継承問題、また自身の健康不安説が取りざたされている中、金総書記が外交慣例を無視して3000キロ以上も走破した訪中の目的とは何なのか。北朝鮮の思惑と今日の中朝関係について検証する。
なぜこの時期に
最近の中朝関係から見れば、金総書記の今回の訪中は異例なところがいくつもあった。まずは首脳の相互訪問という外交慣例を完全に無視したことだ。
中国と北朝鮮の最近の首脳訪問でいえば、2005年10月に胡主席が訪朝し、翌年1月に金総書記が訪中した。その後、北朝鮮は中国の反対を押し切って核実験とミサイル発射実験を強行したため双方の関係は悪化、3年以上も首脳の相互訪問はなかったが、09年10月に温家宝(おんかほう)首相(68)が中朝国交樹立60年記念式典に出席するために訪朝し、翌年5月に金総書記が訪中した。
ここまでは一回ずつの往来で外交慣例に従っているが、金総書記はその3カ月後の昨年8月に再び訪中し、さらに今回の訪中を入れると、中国首脳の訪朝を待たずに3度も連続して中国を訪問したことになる。面子(めんつ)を何よりも重要視している北朝鮮にしては珍しいことで、「国内に緊急な事態が発生したのでは」と推測する北京の朝鮮問題研究者もいる。
昨年3月の北朝鮮による韓国の哨戒艦・天安(チョナン)号撃沈事件や11月の韓国・延坪(ヨンピョン)島砲撃事件以降、日、米、韓による北朝鮮への制裁が強化されたため、北朝鮮が外交的にますます孤立し、頼れるのは中国しかなくなった。金総書記がこの時期を選んで訪中したのは、温首相が東京で行われる日中韓首脳会議に参加するため訪日したのに合わせた可能性もある。「北朝鮮と中国の緊密関係を国内外にアピールすることで、中国と日韓との接近を阻止したい思惑があるのでは」と分析する専門家もいる。
不明瞭な目的
中国の温首相は22日、東京都内で韓国の李明博(イ・ミョンバク)大統領(69)と会談した際に、北朝鮮の金総書記が訪中したことを認めたうえで、その目的については「中国の発展状況を理解し、(北朝鮮の経済)発展に活用する機会を与えるためだ」と説明した。
金総書記のこれまでの訪中の際、中国は「相手国の意向を尊重するため」との理由で、事実関係を一切認めたことはなかった。金総書記が帰国した後に、国営新華社通信が国営朝鮮中央通信と同時に発表することが慣例になっていた。今回、中国の指導者が金総書記の訪中を認めたのは異例で、「温首相が北朝鮮に対する不快感を表している」と分析する中国人学者もいる。
中国は北朝鮮に対し、これまでに中国と同じ改革開放路線を歩んで欲しいと何度も促しているが、それが一向に実行されていないことに対し、温首相は苛立(いらだ)ちを覚えているようだ。
金総書記は00年5月に訪中した際に「中国は改革開放を通じて国力を増強した。●(=登におおざと)(とう)小平(しょうへい)路線は正しかった」と述べ、06年1月に広州(こうしゅう)を訪問した時も「広東(カントン)省の変化に感動した」と語ったが、それらがすべて中国から援助を引き出すためのリップサービスに過ぎず、帰国後、中国の経済改革の経験を学ぼうとする行動を全く見せなかったことに、温首相ら中国の改革派指導者は不満を持っているといわれる。
ルートが語る意図
金総書記は今回、牡丹江(ぼたんこう)、長春、楊州、南京などと移動したが、いずれも父親の金日成(キム・イルソン)主席(1912~94年)ゆかりの地だ。金主席は若いころ、牡丹江と長春の近くで中国軍のゲリラ部隊と一緒に旧日本軍と戦ったことがあり、楊州と南京は、金主席が1991年10月の生涯最後の訪中で訪れた都市だ。その際、楊州で行われた江沢民(こうたくみん)総書記(84)との会談で、中国と韓国との国交樹立問題について協議し、金主席は反対の意向を表明したにもかかわらず、聞き入れられなかったとされる。
翌92年8月の中韓国交樹立を受けて北朝鮮は猛反発し、双方の首脳会談がその後約9年間も中断した経緯があった。
北京の朝鮮問題研究者の分析によれば、金総書記が父親ゆかりの地を訪ねたのは、中朝間のこれまでの交流史を中国側に意識させる狙いがある。「双方は肩を並べて戦ったこともあれば、中国は北朝鮮を裏切ったこともあった」を暗にアピールすることで、胡錦濤指導部に対し、「北朝鮮との関係を大事にしてほしい」とのメッセージを送っているようだ。(中国総局 矢板明夫)
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20110528-00000524-san-int
北朝鮮の金正日(キムジョンイル)総書記(69)は20日早朝、特別列車で中朝国境を超え、昨年5月と8月に続き、ほぼ1年以内に3回目の訪中を開始した。黒龍江省(こくりゅうこう)、吉林省(きつりん)を回ってから南下し、江蘇(こそ)省の楊州(ようしゅう)市と南京市を訪問したあと、強行軍で北京に戻って胡錦濤(こきんとう)国家主席(68)とのトップ会談に臨んだとみられる。国内の食糧不足、三男の正恩(ションウン)氏(28)への権力継承問題、また自身の健康不安説が取りざたされている中、金総書記が外交慣例を無視して3000キロ以上も走破した訪中の目的とは何なのか。北朝鮮の思惑と今日の中朝関係について検証する。
なぜこの時期に
最近の中朝関係から見れば、金総書記の今回の訪中は異例なところがいくつもあった。まずは首脳の相互訪問という外交慣例を完全に無視したことだ。
中国と北朝鮮の最近の首脳訪問でいえば、2005年10月に胡主席が訪朝し、翌年1月に金総書記が訪中した。その後、北朝鮮は中国の反対を押し切って核実験とミサイル発射実験を強行したため双方の関係は悪化、3年以上も首脳の相互訪問はなかったが、09年10月に温家宝(おんかほう)首相(68)が中朝国交樹立60年記念式典に出席するために訪朝し、翌年5月に金総書記が訪中した。
ここまでは一回ずつの往来で外交慣例に従っているが、金総書記はその3カ月後の昨年8月に再び訪中し、さらに今回の訪中を入れると、中国首脳の訪朝を待たずに3度も連続して中国を訪問したことになる。面子(めんつ)を何よりも重要視している北朝鮮にしては珍しいことで、「国内に緊急な事態が発生したのでは」と推測する北京の朝鮮問題研究者もいる。
昨年3月の北朝鮮による韓国の哨戒艦・天安(チョナン)号撃沈事件や11月の韓国・延坪(ヨンピョン)島砲撃事件以降、日、米、韓による北朝鮮への制裁が強化されたため、北朝鮮が外交的にますます孤立し、頼れるのは中国しかなくなった。金総書記がこの時期を選んで訪中したのは、温首相が東京で行われる日中韓首脳会議に参加するため訪日したのに合わせた可能性もある。「北朝鮮と中国の緊密関係を国内外にアピールすることで、中国と日韓との接近を阻止したい思惑があるのでは」と分析する専門家もいる。
不明瞭な目的
中国の温首相は22日、東京都内で韓国の李明博(イ・ミョンバク)大統領(69)と会談した際に、北朝鮮の金総書記が訪中したことを認めたうえで、その目的については「中国の発展状況を理解し、(北朝鮮の経済)発展に活用する機会を与えるためだ」と説明した。
金総書記のこれまでの訪中の際、中国は「相手国の意向を尊重するため」との理由で、事実関係を一切認めたことはなかった。金総書記が帰国した後に、国営新華社通信が国営朝鮮中央通信と同時に発表することが慣例になっていた。今回、中国の指導者が金総書記の訪中を認めたのは異例で、「温首相が北朝鮮に対する不快感を表している」と分析する中国人学者もいる。
中国は北朝鮮に対し、これまでに中国と同じ改革開放路線を歩んで欲しいと何度も促しているが、それが一向に実行されていないことに対し、温首相は苛立(いらだ)ちを覚えているようだ。
金総書記は00年5月に訪中した際に「中国は改革開放を通じて国力を増強した。●(=登におおざと)(とう)小平(しょうへい)路線は正しかった」と述べ、06年1月に広州(こうしゅう)を訪問した時も「広東(カントン)省の変化に感動した」と語ったが、それらがすべて中国から援助を引き出すためのリップサービスに過ぎず、帰国後、中国の経済改革の経験を学ぼうとする行動を全く見せなかったことに、温首相ら中国の改革派指導者は不満を持っているといわれる。
ルートが語る意図
金総書記は今回、牡丹江(ぼたんこう)、長春、楊州、南京などと移動したが、いずれも父親の金日成(キム・イルソン)主席(1912~94年)ゆかりの地だ。金主席は若いころ、牡丹江と長春の近くで中国軍のゲリラ部隊と一緒に旧日本軍と戦ったことがあり、楊州と南京は、金主席が1991年10月の生涯最後の訪中で訪れた都市だ。その際、楊州で行われた江沢民(こうたくみん)総書記(84)との会談で、中国と韓国との国交樹立問題について協議し、金主席は反対の意向を表明したにもかかわらず、聞き入れられなかったとされる。
翌92年8月の中韓国交樹立を受けて北朝鮮は猛反発し、双方の首脳会談がその後約9年間も中断した経緯があった。
北京の朝鮮問題研究者の分析によれば、金総書記が父親ゆかりの地を訪ねたのは、中朝間のこれまでの交流史を中国側に意識させる狙いがある。「双方は肩を並べて戦ったこともあれば、中国は北朝鮮を裏切ったこともあった」を暗にアピールすることで、胡錦濤指導部に対し、「北朝鮮との関係を大事にしてほしい」とのメッセージを送っているようだ。(中国総局 矢板明夫)
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20110528-00000524-san-int
闘う詩人ギル・スコット・ヘロン、亡くなる
「黒いボブ・ディラン」、「ラップのゴッドファーザー」とも呼ばれる伝説的ミュージシャン/詩人のギル・スコット・ヘロン(Gil Scott-Heron)が亡くなったことが分かった。62歳だった。
AP通信によると、米時間の今月27日金曜の午後に病院で亡くなったとのこと。ヨーロッパ・ツアーから帰国して以来病床に伏していたという。死因など詳しいことはまだ明らかになっていない。すでに速報を耳にした一部ミュージシャンからはTwitterなどで哀悼の文章が綴られている。
ギル・スコット・ヘロンは70年代にソウル、ジャズ、ファンクなどが混淆とした素晴らしいサウンドに乗せて、当時の社会情勢を反映した痛烈な言葉、力強い歌声で数々の詩、曲を発表。特に“The Revolution Will Not Be Televised”の「革命はTV放送などされない。革命はつねに生だ」といった表現が慣用句として定着するなど文化的にも多大な影響を与えている。80年代にArista Recordsを首になり、アルバムのリリースはしばし途絶えたが94年に久々の新作“Spirit”を発表した。また、昨年にはさらに16年ぶりにニューアルバム“I'm New Here”を英XL Recordingsから発表。改めて存在感を示したほか、“New York Is Killing Me”に人気ラッパーのナズ(Nas)が参加したリミックスが発表されたり、今年2月にはジェイミー・XX(Jamie xx of The xx)によるリミックス・アルバム“We're New Here”が発表されるなどしていた。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20110528-00000001-notr-musi
AP通信によると、米時間の今月27日金曜の午後に病院で亡くなったとのこと。ヨーロッパ・ツアーから帰国して以来病床に伏していたという。死因など詳しいことはまだ明らかになっていない。すでに速報を耳にした一部ミュージシャンからはTwitterなどで哀悼の文章が綴られている。
ギル・スコット・ヘロンは70年代にソウル、ジャズ、ファンクなどが混淆とした素晴らしいサウンドに乗せて、当時の社会情勢を反映した痛烈な言葉、力強い歌声で数々の詩、曲を発表。特に“The Revolution Will Not Be Televised”の「革命はTV放送などされない。革命はつねに生だ」といった表現が慣用句として定着するなど文化的にも多大な影響を与えている。80年代にArista Recordsを首になり、アルバムのリリースはしばし途絶えたが94年に久々の新作“Spirit”を発表した。また、昨年にはさらに16年ぶりにニューアルバム“I'm New Here”を英XL Recordingsから発表。改めて存在感を示したほか、“New York Is Killing Me”に人気ラッパーのナズ(Nas)が参加したリミックスが発表されたり、今年2月にはジェイミー・XX(Jamie xx of The xx)によるリミックス・アルバム“We're New Here”が発表されるなどしていた。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20110528-00000001-notr-musi
「不信任に大義あるか」=社民・福島氏
社民党の福島瑞穂党首は28日午前のTBSのテレビ番組で、自民、公明両党が提出する方針の菅内閣への不信任決議案に関し、「どれだけの大義があるのかと思う」と疑問を呈した。党としての態度については「まだ賛成、反対を決めていない」と語った。
福島氏は、菅直人首相の東京電力福島第1原発事故への対応について「いっぱい問題がある」としながらも、「自民党政権下の国策としての原発政策はより問題がある」と指摘した。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20110528-00000055-jij-pol
福島氏は、菅直人首相の東京電力福島第1原発事故への対応について「いっぱい問題がある」としながらも、「自民党政権下の国策としての原発政策はより問題がある」と指摘した。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20110528-00000055-jij-pol
サッカー=FIFAがブラッター会長も聴取へ、会長選延期も
[チューリッヒ 27日 ロイター] 国際サッカー連盟(FIFA)は27日、ゼップ・ブラッター会長に対し、29日に倫理規定に関する聴聞を行うことを明らかにした。
6月1日に会長選挙を控えるFIFAは、ブラッター会長の対立候補であるモハメド・ビン・ハマム氏に票の買収疑惑が浮上。ハマム氏の要求もあり、ブラッター会長も関連の可能性などが調査されることとなった。
同調査の進展次第では、会長選挙が延期される可能性がある。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20110528-00000119-reu-spo
6月1日に会長選挙を控えるFIFAは、ブラッター会長の対立候補であるモハメド・ビン・ハマム氏に票の買収疑惑が浮上。ハマム氏の要求もあり、ブラッター会長も関連の可能性などが調査されることとなった。
同調査の進展次第では、会長選挙が延期される可能性がある。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20110528-00000119-reu-spo
『クローバーフィールド/HAKAISHA』のマット・リーヴス監督、フランケンシュ...
テレビドラマ「フェリシティの青春」のクリエイターで、映画『クローバーフィールド/HAKAISHA』の監督マット・リーヴスが、フランケンシュタインを作った科学者ヴィクター・フランケンシュタインの若き日を描いた映画でメガホンを取ることがEmpireonline.comによって明らかになった。
これは、カナダ人作家ケネス・オッペルが執筆した小説「ディス・ダーク・エンデバー:ザ・アプレンティスシップ・オブ・ヴィクター・フランケンシュタイン(原題) / This Dark Endeavor : The Apprenticeship of Victor Frankenstein」を映画化する企画で、あのイギリスの作家メアリー・シェリーのゴシック小説「フランケンシュタイン」をもとに執筆されたヴィクター・フランケンシュタインの前章作品とも言える小説。
ストーリーは、ヴィクターが錬金術師の助けを求め、友人コンラッドとエリザベスとともに旅に出るという作品で、道中でロマンスの要素も含まれているそうだ。
製作はサミット・エンターテインメントのもとで行われ、脚本は映画『さよなら、僕らの夏』を執筆したヤコブ・アーロン・エステスが担当することになっている。
ただマット・リーヴス監督以外にも、ギレルモ・デル・トロ監督、ティム・バートン監督らがフランケンシュタインに関連した映画を製作する予定でいるそうだ。なおケネス・オッペルの小説は、今年の夏にサイモン&シュースターによって出版されることになっている。 (細木信宏/Nobuhiro Hosoki)
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20110528-00000010-flix-movi
これは、カナダ人作家ケネス・オッペルが執筆した小説「ディス・ダーク・エンデバー:ザ・アプレンティスシップ・オブ・ヴィクター・フランケンシュタイン(原題) / This Dark Endeavor : The Apprenticeship of Victor Frankenstein」を映画化する企画で、あのイギリスの作家メアリー・シェリーのゴシック小説「フランケンシュタイン」をもとに執筆されたヴィクター・フランケンシュタインの前章作品とも言える小説。
ストーリーは、ヴィクターが錬金術師の助けを求め、友人コンラッドとエリザベスとともに旅に出るという作品で、道中でロマンスの要素も含まれているそうだ。
製作はサミット・エンターテインメントのもとで行われ、脚本は映画『さよなら、僕らの夏』を執筆したヤコブ・アーロン・エステスが担当することになっている。
ただマット・リーヴス監督以外にも、ギレルモ・デル・トロ監督、ティム・バートン監督らがフランケンシュタインに関連した映画を製作する予定でいるそうだ。なおケネス・オッペルの小説は、今年の夏にサイモン&シュースターによって出版されることになっている。 (細木信宏/Nobuhiro Hosoki)
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20110528-00000010-flix-movi
狙うは「ひこにゃん」のライバル 人気沸騰「こにゃん市長」 あす初公務 滋賀・湖南...
滋賀県湖南市のPRキャラクターとして4月に初当選した初代「こにゃん市長」のオスネコ「ぎん」。就任1カ月で、早くも人気に火がつき始めている。日常生活を紹介する市観光物産協会のホームページ(HP)上の動画サイトには、就任前の約2倍のアクセスが殺到。29日には、初の公務となるサッカーの地元チームの応援に駆けつける。滋賀県には、超人気者となった彦根市のネコキャラクター「ひこにゃん」という偉大な先輩がいるが、関係者は「ゆくゆくはライバルに」と意気込んでいる。
こにゃん市長は、市観光物産協会が市のまちおこしを図る目的で企画し、湖南市の「こなん」をもじって命名。市内の飼い猫を対象に参加を呼びかけ、4月26日にインターネット上で行った初の市長選には公約「ニャニフェスト」を掲げた17匹のネコが出馬し、同市岩根の会社員、園田めぐみさん(38)一家が飼う「ぎん」が初当選した。
選挙の投票総数は約2千票にのぼり、ぎんは得票率20%を超える456票を獲得。反響が大きかったことから、協会は「こにゃん市長選」を年1回の恒例イベントとすることを決めた。
選挙後、協会には「こにゃん市長に会いたい」とファンからの連絡が相次ぎ、協会は今月18日から、ぎんの日常を記録した4分あまりの動画をHP上にアップ。軒下のツバメの巣をぼんやりと眺める姿や、毛布の上で気持ちよさそうに眠る愛らしい姿がたちまち人気となり、協会HPのアクセス数は、就任前の約2倍となる1日あたり約200件に達している。
ぎんは29日午後1時から湖南市高松町の市民グラウンドで行われるサッカーJFLの地元チームの試合に出席し、ハーフタイムショーで初の公務に臨む。約15分間にわたり、園田さんが「通訳」となってぎんの思いを想像して代弁する。
協会は、6月12日にはネット投票で選ぶ「こにゃん市議選」も企画しており、ぎんが投票を呼びかける動画を新たに撮影、事前にHPにアップする予定だ。
協会関係者は「『こにゃん市長』を全国区にし、市の活性化に活躍してもらいたい」と今後の活躍を期待。園田さんは「ぎんはちょっとシャイな市長で、当選式のときも足の裏が汗だくだった。でも、市の役に立てることは何でもしたい」と話している。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20110528-00000520-san-soci
こにゃん市長は、市観光物産協会が市のまちおこしを図る目的で企画し、湖南市の「こなん」をもじって命名。市内の飼い猫を対象に参加を呼びかけ、4月26日にインターネット上で行った初の市長選には公約「ニャニフェスト」を掲げた17匹のネコが出馬し、同市岩根の会社員、園田めぐみさん(38)一家が飼う「ぎん」が初当選した。
選挙の投票総数は約2千票にのぼり、ぎんは得票率20%を超える456票を獲得。反響が大きかったことから、協会は「こにゃん市長選」を年1回の恒例イベントとすることを決めた。
選挙後、協会には「こにゃん市長に会いたい」とファンからの連絡が相次ぎ、協会は今月18日から、ぎんの日常を記録した4分あまりの動画をHP上にアップ。軒下のツバメの巣をぼんやりと眺める姿や、毛布の上で気持ちよさそうに眠る愛らしい姿がたちまち人気となり、協会HPのアクセス数は、就任前の約2倍となる1日あたり約200件に達している。
ぎんは29日午後1時から湖南市高松町の市民グラウンドで行われるサッカーJFLの地元チームの試合に出席し、ハーフタイムショーで初の公務に臨む。約15分間にわたり、園田さんが「通訳」となってぎんの思いを想像して代弁する。
協会は、6月12日にはネット投票で選ぶ「こにゃん市議選」も企画しており、ぎんが投票を呼びかける動画を新たに撮影、事前にHPにアップする予定だ。
協会関係者は「『こにゃん市長』を全国区にし、市の活性化に活躍してもらいたい」と今後の活躍を期待。園田さんは「ぎんはちょっとシャイな市長で、当選式のときも足の裏が汗だくだった。でも、市の役に立てることは何でもしたい」と話している。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20110528-00000520-san-soci
宇多田ヒカル、ツイッター再開宣言!「ツイッターまだやりますぞ」
2010年いっぱいで音楽活動を休止し、年明けから継続していたツイッターでのつぶやきも先月下旬から途切れていた宇多田ヒカルが、25日、約1か月ぶりとなるツイートを投稿し、まだツイッターを続ける方針であることを明らかにした。
宇多田が昨年8月に2010年いっぱいでの音楽活動休止を発表した際に、理由として上げたのは「人間活動の専念」。オフィシャルブログにて、宇多田は15歳から音楽活動をしていたために、自分の中に成長のし切っていない部分があるということを明かしており、今回の活動休止にかんしては「この12年間、アーティストとしては色んなことにもチャレンジしたし、少しは成長できたと思います。でもこれ以上進化するためには、音楽とは別のところで、人として、成長しなければなりません」とファンに説明していた。
その宇多田のツイッターは、4月28日の投稿を最後に更新がストップ。年が明けてからもツイッターでの交流は継続していたため、このまま人間活動に専念するのかと思われた。だが5月25日、一か月近く沈黙を守っていた宇多田が突然、「ツイッターまだやりますぞおばんですじゅーる(`(エ)´)ノ」とツイートした。
宇多田の人間活動専念を残念に思っている人は多かっただけに、このツイートはうれしいサプライズ。その後新たなツイートは投稿されていないものの、今回は本人が活動継続を報告したということで、ファンとしてはほっと一安心?(編集部・福田麗)
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20110528-00000009-flix-movi
宇多田が昨年8月に2010年いっぱいでの音楽活動休止を発表した際に、理由として上げたのは「人間活動の専念」。オフィシャルブログにて、宇多田は15歳から音楽活動をしていたために、自分の中に成長のし切っていない部分があるということを明かしており、今回の活動休止にかんしては「この12年間、アーティストとしては色んなことにもチャレンジしたし、少しは成長できたと思います。でもこれ以上進化するためには、音楽とは別のところで、人として、成長しなければなりません」とファンに説明していた。
その宇多田のツイッターは、4月28日の投稿を最後に更新がストップ。年が明けてからもツイッターでの交流は継続していたため、このまま人間活動に専念するのかと思われた。だが5月25日、一か月近く沈黙を守っていた宇多田が突然、「ツイッターまだやりますぞおばんですじゅーる(`(エ)´)ノ」とツイートした。
宇多田の人間活動専念を残念に思っている人は多かっただけに、このツイートはうれしいサプライズ。その後新たなツイートは投稿されていないものの、今回は本人が活動継続を報告したということで、ファンとしてはほっと一安心?(編集部・福田麗)
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20110528-00000009-flix-movi
同居人の首絞め殺害容疑、自首した男を逮捕
千葉県警船橋署は27日、同県船橋市西船、無職深沢達雄容疑者(61)を殺人の疑いで逮捕した。
発表によると、深沢容疑者は今月下旬、自宅アパートで同居していた無職菅原裕さん(92)の首を絞めて殺害した疑い。深沢容疑者は27日昼、友人に連れられてJR西船橋駅前の交番に自首。署員が深沢容疑者のアパートに駆けつけ、居間の布団の中で死後2、3日たった菅原さんを発見したという。
調べに対し、深沢容疑者は「(菅原さんが)毎日、『死にたい』と繰り返し言うのを聞いて眠れなくなり、つらさから解放されたかった」と供述しているという。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20110528-00000285-yom-soci
発表によると、深沢容疑者は今月下旬、自宅アパートで同居していた無職菅原裕さん(92)の首を絞めて殺害した疑い。深沢容疑者は27日昼、友人に連れられてJR西船橋駅前の交番に自首。署員が深沢容疑者のアパートに駆けつけ、居間の布団の中で死後2、3日たった菅原さんを発見したという。
調べに対し、深沢容疑者は「(菅原さんが)毎日、『死にたい』と繰り返し言うのを聞いて眠れなくなり、つらさから解放されたかった」と供述しているという。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20110528-00000285-yom-soci