【新・関西笑談】家庭から宇宙まで(1)三菱電機社長・山西健一郎さん
■大阪生まれの阪神ファン 野球に熱中、“才能”痛感し挫折。
テレビやエアコン、発電機に人工衛星…。大正10(1921)年に神戸市で誕生した三菱電機は「家庭から宇宙まで」さまざまな機器を幅広く扱う。昨年4月に社長に就任した山西健一郎さんの生まれは大阪市阿倍野区。学生時代から入社後も含め関西での生活が長い。そんな関西人社長が、今年創立90周年の三菱電機を率い、さらなる飛躍を目指している。(聞き手 大柳聡庸)
--東日本大震災では大きな被害が出ました
山西 震災でお亡くなりになられた方々やご家族の皆様には、ご冥福(めいふく)をお祈りするとともに心よりお悔やみ申し上げます。また、被災者の皆様にも心よりお見舞い申し上げます。
--日本のもの作りにも影響が懸念されます
山西 現在、関係者が全力をあげて復旧に取り組んでいます。平成7年の阪神大震災のときもそうであったように、必ずこの困難を克服できると確信しています。日本のもの作りも備えを強化するなど、この震災を教訓として、むしろ進化していくと思います。
--ところで、出身は大阪市で、関西での生活が長いですね
山西 生まれたのは大阪市阿倍野区です。少年のころから野球好き。父親が阪神タイガースのファンで私も甲子園に行って応援していました。それで中学生のころには、私もすっかり阪神ファンになっていました。当時は空き地がたくさんあり、友達と毎日のように野球をしていました。
--その後も野球は続けたのですか
山西 うまいほうだったのですが、それでも才能がないのを痛感し、野球はやめました。中学校ではテニス部、高校ではハンドボール部に入りました。
--野球をあきらめる出来事があった
山西 父親の仕事の関係で小学6年生の2学期から卒業まで半年ほど、香川県の小豆島にいました。そのとき、後にプロ野球選手になる同級生がいて、投げる球のスピードとかレベルの違いに驚き、野球に対する自信を失いました。
--後のプロ野球選手に出会って挫折した
山西 当時はプロになるとは思っていないのですが…。その友達は村上義則君といって、高校卒業後、社会人を経て中日ドラゴンズに入団。プロではあまり活躍できませんでしたが、巨人の長嶋茂雄選手に現役最後の444号ホームランを打たれた投手として有名です。
--少年時代、勉強はどうだったのですか
山西 勉強を一生懸命やるようになったのは大阪府立天王寺高校に入ってから。質実剛健の校風で勉強にも厳しかったのですが、物理や化学、数学など理科系の科目が得意でした。
--それで京大の工学部に入学した。機械工学と化学工学の2つの学士を取得するのは珍しいですね
山西 最初は興味のある化学工学を専攻しました。でも就職先など将来を考えるとおもしろくないなと。そこで機械工学科に学士入学。若いときにいろいろな知識を得たのは財産で、人脈も広がりました。ただ、入社したとき「学士入学で6年大学に在籍したから給料で配慮してほしい」と人事に頼んだのですが、ダメでした。大学院修了と同等とはいかず、結局は学部卒の給与水準になったのです。
◇
【プロフィル】山西健一郎
やまにし・けんいちろう 大阪府出身。大阪府立天王寺高校、京都大学工学部卒。京大では化学工学と機械工学の2つの学士を取得。昭和50年三菱電機入社。兵庫県尼崎市の生産技術センターなど関西での勤務が長く、平成22年4月から社長。60歳。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20110516-00000109-san-bus_all
テレビやエアコン、発電機に人工衛星…。大正10(1921)年に神戸市で誕生した三菱電機は「家庭から宇宙まで」さまざまな機器を幅広く扱う。昨年4月に社長に就任した山西健一郎さんの生まれは大阪市阿倍野区。学生時代から入社後も含め関西での生活が長い。そんな関西人社長が、今年創立90周年の三菱電機を率い、さらなる飛躍を目指している。(聞き手 大柳聡庸)
--東日本大震災では大きな被害が出ました
山西 震災でお亡くなりになられた方々やご家族の皆様には、ご冥福(めいふく)をお祈りするとともに心よりお悔やみ申し上げます。また、被災者の皆様にも心よりお見舞い申し上げます。
--日本のもの作りにも影響が懸念されます
山西 現在、関係者が全力をあげて復旧に取り組んでいます。平成7年の阪神大震災のときもそうであったように、必ずこの困難を克服できると確信しています。日本のもの作りも備えを強化するなど、この震災を教訓として、むしろ進化していくと思います。
--ところで、出身は大阪市で、関西での生活が長いですね
山西 生まれたのは大阪市阿倍野区です。少年のころから野球好き。父親が阪神タイガースのファンで私も甲子園に行って応援していました。それで中学生のころには、私もすっかり阪神ファンになっていました。当時は空き地がたくさんあり、友達と毎日のように野球をしていました。
--その後も野球は続けたのですか
山西 うまいほうだったのですが、それでも才能がないのを痛感し、野球はやめました。中学校ではテニス部、高校ではハンドボール部に入りました。
--野球をあきらめる出来事があった
山西 父親の仕事の関係で小学6年生の2学期から卒業まで半年ほど、香川県の小豆島にいました。そのとき、後にプロ野球選手になる同級生がいて、投げる球のスピードとかレベルの違いに驚き、野球に対する自信を失いました。
--後のプロ野球選手に出会って挫折した
山西 当時はプロになるとは思っていないのですが…。その友達は村上義則君といって、高校卒業後、社会人を経て中日ドラゴンズに入団。プロではあまり活躍できませんでしたが、巨人の長嶋茂雄選手に現役最後の444号ホームランを打たれた投手として有名です。
--少年時代、勉強はどうだったのですか
山西 勉強を一生懸命やるようになったのは大阪府立天王寺高校に入ってから。質実剛健の校風で勉強にも厳しかったのですが、物理や化学、数学など理科系の科目が得意でした。
--それで京大の工学部に入学した。機械工学と化学工学の2つの学士を取得するのは珍しいですね
山西 最初は興味のある化学工学を専攻しました。でも就職先など将来を考えるとおもしろくないなと。そこで機械工学科に学士入学。若いときにいろいろな知識を得たのは財産で、人脈も広がりました。ただ、入社したとき「学士入学で6年大学に在籍したから給料で配慮してほしい」と人事に頼んだのですが、ダメでした。大学院修了と同等とはいかず、結局は学部卒の給与水準になったのです。
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【プロフィル】山西健一郎
やまにし・けんいちろう 大阪府出身。大阪府立天王寺高校、京都大学工学部卒。京大では化学工学と機械工学の2つの学士を取得。昭和50年三菱電機入社。兵庫県尼崎市の生産技術センターなど関西での勤務が長く、平成22年4月から社長。60歳。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20110516-00000109-san-bus_all