泳げない
近ごろ豪雨による土砂災害が多発しているらしく、道路が川と化した光景がテレビのニュースに幾度となく映し出される。ああいう水害を見ると、泳げない自分はますます恐怖を抱く。そう言えば、中学校の体育の先生が、泳げないと自分の子どもも助けられないから、泳げない人は水泳を習っておくべきだと言っていた。たしかに、多くの学校で水泳を教えるのは、人命に関わるからこそなのだ。
ま、それはさておき、夏になるとビーチの光景をあちこちで目にするにつけ「泳げたらな~」という思いがよぎる。私はあまり日焼けが好きではないけれど、屋内プールなら泳いでみたい。けれど、いい歳して浮き輪して泳ぐのはちょっと恥ずかしい。けど、今さら習いにいくのもちょっと…。
犬は習わなくても泳げるみたいなのに、なぜ私は泳げないのだろっか??
訓練の欠如か? それとも、なにか頭脳の「泳ぎ」を司る部分に損傷があるのだろうか?
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言語の習得に universal grammer (UG) が重要な役割を果たしていることが、チョムスキーをはじめとする生成文法の学者によって明らかにされたのが1960年代だった。それまではむしろ言語の研究において支配的だったのは behaviourists たちで、言語は他の能力と同様 habit formation によって習得されると仮定されていた。
ところで、UG にはなんら異論は無いが、たとえば「泳ぐ」のような行動は習慣や訓練によって身につけられるのだろうか? 自分自身が泳げないことを、小学校や中学校にプールが無かったことを言い訳にしているのだが、犬は水面に近づけると空中で手足をぱたぱたさせるし、誰にも習っていないのに犬かきをする。人間も、私のような極端に泳ぎの苦手な人を除くと、習う前からたいていそれらしい泳ぎはできるのではないだろうか。泳ぐというのは本能なのか。水に入ると体をばたばたさせるという能力があるのかもしれない。親や先生に習うことによって、もともと備わっている水泳能力の引き金が引かれて、めきめき泳ぎが上手くなるのかも?
いや、なんか違うかも。
ま、それはさておき、夏になるとビーチの光景をあちこちで目にするにつけ「泳げたらな~」という思いがよぎる。私はあまり日焼けが好きではないけれど、屋内プールなら泳いでみたい。けれど、いい歳して浮き輪して泳ぐのはちょっと恥ずかしい。けど、今さら習いにいくのもちょっと…。
犬は習わなくても泳げるみたいなのに、なぜ私は泳げないのだろっか??
訓練の欠如か? それとも、なにか頭脳の「泳ぎ」を司る部分に損傷があるのだろうか?
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言語の習得に universal grammer (UG) が重要な役割を果たしていることが、チョムスキーをはじめとする生成文法の学者によって明らかにされたのが1960年代だった。それまではむしろ言語の研究において支配的だったのは behaviourists たちで、言語は他の能力と同様 habit formation によって習得されると仮定されていた。
ところで、UG にはなんら異論は無いが、たとえば「泳ぐ」のような行動は習慣や訓練によって身につけられるのだろうか? 自分自身が泳げないことを、小学校や中学校にプールが無かったことを言い訳にしているのだが、犬は水面に近づけると空中で手足をぱたぱたさせるし、誰にも習っていないのに犬かきをする。人間も、私のような極端に泳ぎの苦手な人を除くと、習う前からたいていそれらしい泳ぎはできるのではないだろうか。泳ぐというのは本能なのか。水に入ると体をばたばたさせるという能力があるのかもしれない。親や先生に習うことによって、もともと備わっている水泳能力の引き金が引かれて、めきめき泳ぎが上手くなるのかも?
いや、なんか違うかも。