こんにちは(^_^)

なぜか 素っ裸でこの記事をかきました
(ラゾクめざしてるつもりはない
服は好きですドキドキ)

「学校」という
苦手分野がありました。

こども時代のわたし、

学校に1日も休まずに行っていました。
同時に1日も休めずに行っていました。

本当は休みたかったんです。


それをわたしは 大人になって
体現しました。

娘という存在をとおして。

娘はなにをかくそう、
わたしの気持ちを
ありのままみせてくれているだけ。

ありがとう。

きょうは 通級に行ってきました

学校に行きたくなかったサクラさんと
学校という息苦しい時空間を
「変える」ために。

変える といっても
「内側からしか変えられない」
のです。

まず 教室 のイメージから。

娘の通う通級クラスは
普通クラスと離れた建物にあります。

騒がしさは 「ない」
絨毯がひいてある
おもちゃがいっぱいある
ゲームもいっぱいある
ソファーもある
テーブルもある
お花がある
水槽がある
ハムスターがいる
明るい
広い

あるあるを探していきました。

わたしの頭なかにあった
学校の教室とは
まるで違うところに気づきました

そして
時間に遅れても怒られない
なんでできないの、っていわれない
待っていてくれる
傷つくことがない
安心できる
くらべる対象がいない
ダメな自分がいない

ずいぶん イメージが、かわりました。

木がある
お花がある
畑がある
空が広い

なかなかいいところです

まあまあ変われたと思います


先生は
わたしの日常の様子をきいてきました

そうです。
こども、ではなく「わたし」です
すべてはわたしにあるのですから
(*^▽^*)


先生、よくわかってるじゃんビックリマーク

「わたし」が警戒しなければ
こどもも警戒しないのです

「わたし」が受け入れたら
いいだけなのです。

それで OK

週1回でもOK
遅れてもOK
安心できる
寡黙な自分も
おしゃべりな自分も
ありのままでいい
ただ ここにいる自分をこれでいい、と
思えるところまで
戻りました

いや~
学校に対するイメージを変える、
って
正直、面倒だわー汗


どんだけ、自分に縛りをかけてきたんだろう。
何度 学校がつぶれればいいとおもったことか;^_^A
そう思わなくなってきました
(ここ、重要)



こどもたちの先生をみていると
「先生」に対するイメージも変わってきました
だんだん ひとりの人間としてみれるようになってきたのです。

お姉ちゃんが低学年の頃なんて
ガチガチの石頭にしかみえなかった
(それはわたしです[みんな:01])


先生って以外と キャパスペース広いのねー。
美人ねー、とか。
体力あるなー、とか。
よく観察してるなー、とか。

なんせ こども時代は
両親のための自分を演じてきたのです。
その両親は
「母なる地球と自分のDNA」だとわかったら
ただ愛の存在でいればいいんだ
と思えます。
わたしは 地球とDNAのために生きてきたんだ
(^O^☆♪


「行っても行かなくても大丈夫なんだ」
という安心感を今年はじめて感じました。
「ここにいるわたしは
ただ愛の存在である」
それが わかるまで いったい何年かかったことか
義務教育がはじまってからずっとだね


「学校はたのしい」と本気で思っている子もいると思いますよ☆

わたしはおばさんになって
いまごろやっと
「学校」に向き合いはじめました

「学校」はわたしが向き合う課題だとは わかっていながら
認めたくない、というのも
やっかいなところ[みんな:02]
結局は すべて「じぶん」にあるんだろう。


「行っても行かなくても
わたしは損なわれない」

それを 学んできました。


過去を清算するためにいまがある!!


香りがよくて
すきな音楽があって
波動もいい学校だったら
夢のようだな~☆

おいおい(゚O゚)\(- -;


読んでくださったかた、
ありがとうございます


愛と感謝をこめて☆