「2025年JAFカップ オールジャパン ダートトライアル」。
『旅の途中』
11月6日(木)夜横浜の自宅を出発。
当初エボ10で行く予定でしたが、エボ10のカーナビが作動せず、
急遽エスティマに乗り代えて出発。
今回はちょっと遠回りですが甲府~清里・野辺山~佐久ルートで
スポーツランド信州に向かいました。
土曜日の天気は当たりましたが、
日曜日の天気は「曇り一時雨」どころではなくほぼ終日冷たい雨でした。
ツムラ68番は長距離運転には必須。
1 清里(山梨県北杜市)
自宅から4時間走って小淵沢で車中泊。
翌8時にはJR清里駅に到着。
8:10はすれ違う列車はないはず。
最近よく見かけるSL。つい見行ってしまいノスタルジアを感じます。
駅前はどことなくメルヘンチック。
平日の早朝とあって観光客はまばらでした。
と言うより30数年前のバブル期の賑わいはなく、どことなく閑散としていました。
「第二の軽井沢」とアンノンがしきりに特集組んで持ち上げて、
そこにバブルが重なりペンションブームがきて、
清里周辺は観光客が押し寄せてきましたが、
バブルが弾けると同時に一緒に弾けてしまったようでした。
2 JR鉄道最高地点(長野県南佐久郡南牧村)
JR鉄道最高地点はJR小海線清里駅と野辺山駅の間にあり標高は1375mです。
清里方面
野辺山方面
野辺山から清里に向かう列車
線路を挟んでJR鉄道最高地点がもう一つありました。
鉄道神社
2005年「JR最高地点を愛する会」によって建立された神社で、
鳥居の奥にはかつて小海線を走っていたSLの車輪が祀られています。
3 野辺山(長野県南佐久郡南牧村)
JR東日本小海線野辺山駅はJR線の中では標高1345.67mと、一番高い場所に位置しています。
野辺山は高校生大学生の時良く行きました。
宿は「野辺山荘」。今でもあるかな?おー!有りました。
でもさすがに当時の建物ではありませんでした。
泊まったのは60年も前のことで、既に建て替えられていました。
八ヶ岳 主峰は赤岳2899m。学生の時2回登頂しました。
高校生の時
4 松原湖(長野県南佐久郡小海町)
松原湖は標高1100mに位置し、ちょうど黄色を基調とした紅葉がきれいでした。
湖畔には一周2㎞約40分で歩ける遊歩道があり、散策しながら紅葉を楽しみました。
「北風小僧の寒太郎」歌碑
童謡「北風小僧の寒太郎」は松原湖畔に生まれ幼少期を過ごした井出隆夫氏が、
松原湖の湖面を渡る冷たい風を思い起こし作詞したそうです。
紅葉を見ながらお弁当。ちょっと風が冷たかったと。
5 龍岡城五稜郭(続日本百名城 長野県佐久市)
函館五稜郭とともに日本に二つしかない星型稜堡をもつ洋式城郭です。
幕末期に築城され、4~5間(約7~9メートル)という水堀の幅は在来の城と比べても狭く、
実戦に備えた要塞としてではなくあくまでも藩主居館として設計されたもの。
明治5年廃藩置県で廃城。
御殿は解体され、奥に見えるのは城内御殿の跡地に建てられた田口小学校。
2022年度末で閉校になりました。
6 笄(こうがい)の渡し (長野県坂城市)
千曲川の渡し場のひとつ。
江戸時代には坂木宿と川向こうの力石(ちからいし)とを結ぶ
重要な渡し場でした。
この名は、葛尾落城にまつわる伝説に由来しています。
天文22年(1553)4月、武田信玄に攻められて葛尾落城の際、村上義清の奥方は対岸へと逃れた。
危険が迫る中にもかかわらず、船頭は船を出し、無事に力石へと渡してくれた。
奥方は船頭に感謝し、お礼の品として髪に挿していた笄を贈った。
以後、この渡し場を「笄の渡し」と呼ぶようになった。
櫛(くし)/笄(こうがい)/簪(かんざし)
それぞれ、結い上げた女性の髪を飾る小道具
「名勝横吹」
松尾芭蕉は、「更科紀行」で、貞享5(1688)年8月15日に姥捨(現千曲市)に到着。
長楽寺近辺で中秋の名月(十五夜)を味わった翌晩、
ここ坂城で十六夜の月を観賞し、
「いさよひも また更科の 郡かな」
の句を残しました。
7 真田町・真田氏発祥の郷(長野県上田市)
真田の郷は真田幸隆・昌幸・信之/幸村の三代が、上田城を築く以前に本拠地としたエリアです。
土曜日スポーツランド信州は9時ゲートオープンなのでゆっくり朝ごはん。
68番は念のため。寒さで足が攣らないように。
以上









































































