2025年JAF全日本ダートトライアル選手権第7戦

「ダートスプリント in INABE」

 

『旅の途中』

≪後半≫

 

 

 

5 桶狭間の戦いゆかりの地

 

永禄3年(1560年)織田信長×今川義元の戦い

=桶狭間の戦いの跡地(主に信長の跡地)をたどりました。

桶狭間の戦いの戦場跡については、現在2ヵ所で意見が分かれています。

ひとつは愛知県豊明市にある「桶狭間古戦場伝説地」、

もうひとつは、愛知県名

古屋市緑区にある「桶狭間古戦場公園」です。

 

 

(1)桶狭間古戦場伝説地(愛知県豊明市)

 

「桶狭間の戦い」の古戦場伝説地。今川義元の本陣の場所は諸説ありますが、

ここは唯一、国指定史跡となっています。
敷地内には義元がこの地で織田軍に討ち取られたことを伝えています。

ほかにも今川義元の墓など桶狭間の戦いにまつわる石碑が多数見られます。

 

 

 

義元戦死所

 

 

 

義元墓

 

桶狭間弔古碑 (何が書いてあるか?読めません)

 

伝説地の西側向かいにある高徳院


 

境内に義元本陣跡

 

古戦場碑

 

義元仏式墓

 

 

(2)桶狭間古戦場公園(名古屋市緑区)

 

こちらも桶狭間の戦いの中心地と言われており、

今川義元が首を討ちとられた最期の地とされています。 

地元では「田楽坪」と呼ばれています。

 

 

 

 

 

左)織田信長  右)今川義元

 

義元墓

 

 

義元首洗いの泉

 

 

 

(3)大高城跡 

 

桶狭間の戦いの際、青年期の徳川家康が、織田軍の包囲を突破し、

今川軍へ兵糧を届けた城として知られています。

現在は大高城跡公園として市民に親しまれ、

公園内では、堀や土橋などの痕跡を見ることができます。

 

 

二の丸跡

緑の草地になっていて、まさに「夏草や つわものどもが 夢のあと」を実感しました。

 

 

屋敷跡

 

城山八幡社

本丸跡の一段高い緑深い場所にひっそりと鎮座していました。

八幡神は、源氏や武家の守護神とされた“武運の神”で、

八幡社(八幡宮)は全国4万4000社もあり、各地で崇敬されています。

 

 

(4)鷲津砦跡 丸根砦跡 

 

織田信長が今川軍の大高城を監視、連絡網を断つために築き、

桶狭間の戦いの前哨戦の舞台となった砦

 

鷲津砦跡

 

 

 

 

 

 

 

丸根砦跡

 

 

 

 

 

(5)鳴海城跡

 

鳴海城は今川義元の家臣である岡部元信が城主を務めていた城で、

今川氏の重要拠点になっていた城です。

当時は海に面した城で、満潮時には城のすぐ下まで潮に浸かったと伝えられています。

「桶狭間の戦い」において義元が敗れたため、織田信長との交渉の結果、

義元の首級と引き換えに元信は城を明け渡しました。

城址の一部である天神社に城址柱と案内板があります。

 

 

 

 

 

主郭は鳴海城跡公園となっています。

 

富士山滑り台 

名古屋市内の公園にはあちこちにあるそうです。

 

 

6 七里の渡し

 

東海道の41番目の宿場「宮宿」から42番目の「桑名宿」までは東海道唯一の海路で、

の距離が七里(27.5km)であったことから、そう名付けられました。

4時間から6時間ほどの船旅だったといわれています。

 

 

(1)宮七里の渡し

 

 

 

 

 

 

『宮の渡し』への入口光景

鳥居風の風流な木の門

 

 

時の鐘

 

 

(2)桑名七里の渡し

 

 

 

 

鳥居 

これより伊勢路に入ることから「伊勢国一の鳥居」

鳥居の向こうに社殿が無いので不思議に思っていたら、社殿は伊勢神宮でした。

 

 

蟠龍櫓 (ばんりゅうやぐら)

七里の渡に面して建てられた河口のまち桑名を象徴する櫓

 

 

 

桑名城に続く堀

 

 

7 桑名城

桑名城は、東海道五十三次の要衝で、

木曽川、長良川、揖斐川の木曽三川が伊勢湾にそそぐ河口に位置する水城

 

桑名城本丸跡

 

 

天守台跡

 

内堀

 

 

 

本田忠勝(徳川四天王)桑名藩初代藩主。

50回以上の戦で一度も傷を負うことのなかった「戦国最強武将」

  

 

 

堀川東岸(三之丸地内)の城壁は、桑名城城壁の一部

桑名城は石垣はほとんど残っていませんが、堀は残っております。

三の丸の堀は一部ですが往時の姿をとどめております。

 

 

 

 

桑名は千姫(豊臣秀頼正室 徳川家康の孫)と本多忠刻(忠勝の孫)が結ばれた地。

大坂夏の陣秀頼自刃後、千姫は江戸に戻る途中桑名の七里の渡しで

本多忠刻(忠勝の孫)と出会い、再婚。

 

 

8 桑名東照宮(桑名総社境内内)

 

桑名宗社(そうしゃ)俗称:春日神社

桑名神社と中臣神社の両社を合わせて「桑名宗社」といい、

古来から桑名の総鎮守とされています。

 

左)中臣神社 右)桑名神社

 

桑名東照宮

桑名宗社の境内社として、

千姫(豊臣秀頼正室 徳川家康の孫)により建立されました。

 

 

千姫は大坂夏の陣秀頼自刃後、

江戸に戻る途中桑名の七里の渡しで本多忠刻(忠勝の孫)と出会い、

再婚しました。

 

 

                       以 上