2025年JAF全日本ダートトライアル選手権第1戦

「トライアル関西 in いなべ 」

 

『旅の途中』

 

3月12日(水)夜、横浜の自宅を出発しました。

もてぎの全日本ジムカーナ第1戦第2戦の取材から帰ってきたばかり、

CMSCブログ掲載も全部終わっていませんが、

いつものように下道を行きかつ寄り道するので、早めに出発しました。

いなべ到着は15日(土)早朝になりました。

 

行きのルート

今回は「木曽路」を観光したいため、

国道20号線(甲州街道)から19号線(中山道)抜けることにしましたが、

国道1号線経由よりかなり遠回りするので片道500キロ超。経費節約オール下道。

 

 

 

天気予報 雨対策必須。山の中、防寒対策もしっかり準備しました。

 

 

帰りのルート

3月16日(日)いなべから名古屋近郊で1泊。

翌日340キロを10時間かけて帰宅しました。

神奈川県では帰りの通勤時間帯にぶつかり大渋滞。も少し遅く帰った方が良かったと反省。
 

 

1 道の駅白州(山梨県北杜市)

 

 

南アルプスのおいしい天然水」が無料で汲めます。

 

 

「目には青葉 山ほととぎす 初かつお」

松尾芭蕉の俳友、山口素堂の句。

素堂は現山梨県北杜市白州町の生まれ。

 

 

2 「是より南 木曽路」石碑

 

本山宿と贄川宿の間に建てられています。

江戸時代はここから南が尾張藩、北が松本藩でした。

「木曽路はすべて山の中である」は、島崎藤村。

「木曽は山の中」は、葛城ユキ。

 

 

 

3 奈良井宿(長野県塩尻市)

 

中山道六十九次 江戸から数えて34番目の宿場。

木曽路の難所、鳥居峠を越える旅人が足を休めた宿場町。奈良井千軒と呼ばれ、

木曽路十一宿(贄川・奈良井・藪原・宮ノ越・福島・上松・須原・野尻・三留野・妻籠・馬籠)

の宿場の中でも一番の賑わいをみせました。

 

 

 

 

 

 

 

4 寝覚めの床(ねざめのとこ 長野県木曽郡上松町)

 

花崗岩の白い柱状節理と水蝕地形の景観。

木曽川の流れが花崗岩を削り、姿を現したのが寝覚めの床です。 

花崗岩特有の割れ方が、大きな箱を並べたような不思議な造形をもたらしました

 

 

 

 

浦島太郎伝説: 浦島太郎が玉手箱をあけたところ、という伝説があります。

 我にかえって目が覚めたように思えたことが、ここが「寝覚めの床」と呼ばれる由来です。

 

  

 

 

 

5 妻籠宿(つまごしゅく 長野県木曽郡南木曽町)

 

中山道69次のうち江戸から数えて42番目となる宿場。

中山道と伊那街道が交叉する交通の要衝地。

 

 

 

 

 

 

 

 

6 北村自動車(岐阜県中津川市)

 

 全日本ダートラ北村和浩選手のお店。

北村さんはあいにく外出中でした。ケータイに電話入れてご挨拶して失礼しました。

 

 

 

 

 

7 馬籠宿(まごめしゅく 岐阜県中津川市)

 

中山道69次のうち江戸から数えて43番目となる宿場。木曽十一宿の最南端。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

8 「是より北 木曽路」

 

落合宿と馬籠宿の間に建てられています。 

馬籠出身の島崎藤村 島崎藤村の筆による碑。

かつての美濃国と信濃国の国境であり、ここから木曽路の入口であるということを示しています。

 

 

 

 

9 CMSC岐阜の浅野博孝さん(岐阜県中津川市)

 

40年来の付き合い。

回は3年前に会いましたが、もっぱら愛車は軽トラック、

すっかり農家のおじさんになっていました。

 

 

 

 

10 CMSC岐阜の三枝光博さん(岐阜県中津川市)

 

はじめて三枝さんのお店を訪ねました。

ガレージの名前は「M2ファクトリー」。

明後日の全日本ダートラ第1戦いなべに出場するのですが、

車は外注に出していてまだ出来上がっていません。明日は徹夜かな?

 

 

 

 

11 CMSC岐阜の早瀬要治さん(岐阜県瑞浪市)

 

浅野さん同様40年来の長い付き合い。

前回お会いしたのも浅野さん同様3年前。

生存確認が取れました。

 

 

 

12 CMSC岐阜の福田貴一さん(岐阜県美濃加茂市)

 

本日の最終目的地。福田さん宅でお泊り。

美濃太田駅前に繰り出し太田晶久さんも交えて一献。

2人ともKYB出身の方でした。

 

 

 

13 美濃金山城(岐阜県可児市 続日本百名城)

 

美濃の国中央に位置し、木曽川や東山道を眼下に見おろす要衝の地に造られた山城。

織田信長が尾張統一後美濃を攻略する際、まずこの城を押さえました。

以後信長の家臣、森氏の居城となりました。

金山城で生まれた乱丸(蘭丸)は本能寺の変で信長とともに自害。

兄の長可(ながよし)は小牧長久手の戦いで秀吉陣営につき、

織田・徳川陣営に大打撃を与える活躍をするも敢無く戦死。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

14 明智城(岐阜県可児市)

 

明智光秀が出生から約30年を過ごした、自然の地形を生かした典型的な中世の山城。

明智城は2つあります。一つは岐阜県可児市の明智城、もう一つは恵那市の明知城です。 

このうち後者は光秀とは直接関係のない遠山氏一族の城という説が有力なので、

光秀ゆかりの城としては前者の明智城ということになります

 

 

明智光秀像

 

 

 

 

 

 

 

 

15 中山道太田宿(岐阜県美濃加茂市)

 

中山道69次のうち江戸から数えて51番目となる宿場。

山道の三大難所の一つに数えられた「太田の渡し」があり、

飛騨街道と郡上街道の分岐点でもあったところから大いに栄えました。

三大難所のあとの二つは木曽の架け橋、碓氷峠。

 

 

本陣の門 

本陣家屋は無くなって門だけが残っています。

 

 

脇本陣 林家住宅

 

 

 

 

 

 

 

一般の旅人が泊まる宿

 

 

 

 

16 コーヒーライセンスの久保秋康夫さん(愛知県稲沢市)

 

久保秋さんはチームスペシャルロードモータースポーツクラブ代表。

安否確認を兼ねて一休み。

 

 

 

 

 

17 泉谷玄太郎さん(愛知県あま市)

 

1984年キャメルトロフィー(ボルネオ大会)日本代表一期生。40年来の付き合い。

若い時から世界を股にかけた冒険旅行家。

新婚旅行はハイラックスで中南米縦断の旅を慣行しました。

 

 

<行きの寄り道は以上です>

 

 

<帰りの寄り道>

 

 

 

18 尾関一さん(愛知県尾張旭市)

 

いなべを出たのが18時を回っていました。20時すぎ尾関さん宅に到着。

尾関さんはモータースポーツカメラマン。

1984年キャメルトロフィー日本代表候補選考会で知り合って以来

40年の付き合いになります。

お酒が入って予定通り尾関さん宅で民泊。

自作のダイコン頂きました。ありがとうございました。

 

 

 

 

 

 

17日(月)9時30分、尾関さん宅を出発。

340キロの下道を行き横浜の自宅には10時間かけて19時30分到着。お疲れ様でした。

 

良く効きました。足が攣らないよう、朝昼に服用しました。