2024年JAF全日本ジムカーナ選手権第8戦第9戦

「SUGO All JAPAN Gymkhana」

 

『旅の途中』

 

先々週末のエビス・全日本ダートラ第7戦のWEB掲載をすべて終えて、

8月14日(水)晩、台風7号を心配しながら横浜の自宅を出発しました。

 

 

行きのルート

 

国道6号線のオール下道。福島県いわきから先は高速で行ったことはありますが下道は初めて。

片道400㎞超の長旅になりました。

15日(木)16日(金)はたっぷり観光しながら移動。SUGOには18日(日)朝6時に入りました。

 

 

 

 

 

 

1 浅草

 

カーナビの指示通り国道246号線から半蔵門をかすめ、

神田を抜けて浅草橋から国道6号線に入りました。

夜の都心を車で抜けるのは久しぶり。

浅草 神谷バー

 

 

色の配色が刻々と変わります

 

 

2 霞ケ浦総合公園(茨城県土浦市)

 

自宅から100キロを3時間で走って深夜霞ケ浦総合公園に到着。

そのまま車中泊。夜明けとともに公園内を散策。

早朝の心地良い悠久のひと時でした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

3  常陸国分寺(茨城県石岡市)

 

天平13年(741)、聖武天皇は、五穀豊穣・国土安穏を願い、

68の国ごとに国分寺・国分尼寺を建てるよう命じました。

当時は疫病も流行しており、仏の力を借りることで国を安定させようと考えたのです。

常陸国に置かれていた国分寺は、東西約270メートル、

南北約240メートルという規模を有する壮大な官寺であり、

現在もそこには創建当時ほどの規模ではないものの、

国分寺という名の寺院が現存しています。

その境内には、中門や金堂、講堂、回廊などといった、

奈良時代における国分寺の伽藍配置を示す遺構が良好な状態で残されており、

またそこより発掘された遺物も数多く、

古代における国分寺の様子を今に伝える貴重な遺跡として、特別史跡に指定されています。

 

 

 

薬師堂

 

本堂

 

都々一坊扇歌堂

 

 

七重の塔 心礎石

 

旧千手院山門

 

太子堂

 

太子堂の右手前に松尾芭蕉の句碑がありました。

以左行ん雪見爾古呂婦所ま天

(いざゆかん ゆきみにころぶ ところまで)

 

 

4 茨城空港(茨城県小美玉(おみたま)市)

 

2010年3月に、航空自衛隊百里基地の民間共用によって、

首都圏第3の空港として開港しました。

空港には11時過ぎに着いたのですが、民間飛行機は一機もいませんでした。

あいにく11時の出発便の後は13時35分の到着便までなし。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

国内線はスカイマーク便

国際線はタイガーエア便

 

駐車場は何日駐車しても無料なので、空港施設には人はいないのに駐車場はいっぱいでした。

 

茨城空港旅客ターミナルビル並びの「茨城空港公園」通称『ファントム広場』に

2機の退役した戦闘機が展示されていました。

 

 

 

 

 

 

5 茨城県大洗町で昼食

 

大洗で水戸市在住CMSC本部会員の中田由彦さんと5カ月ぶりのランチミーティング。

「大笑食堂」で海鮮ランチ。

 

 

 

 

マグロ丼

 

バクダン丼 タコと白身魚でした。

 

 

6 大洗磯前神社

 

大海原を見下ろす平安時代創建の古社。

江戸時代に徳川光圀により再興され、

鎮守の森に囲まれた拝殿や茅葺きの本殿は水戸藩時代の風格が感じられます。

 

 

 

 

ガルパン大絵馬

 

 

随神門

 

拝殿

 

 

 

神磯鳥居  

絶景は見る価値あり。

ホントは朝日が昇るときがいいのだけれど時間がミートせず。

 

 

 

 

7 勿来の関(福島県いわき市)

 

白河の関(福島県白河市)・念珠ヶ関(山形県鶴岡市)と共に

奥州三関のひとつに数えられている、勿来関の跡地です。
「来る勿れ」(くることなかれ)という枕歌で知られる文学上の関として知られて、

平安時代の武将源義家をはじめ、紀貫之、小野小町、和泉式部、西行法師など、

おなじみの歌人も和歌を詠んでいます

 

 

源義家像

 

 

「詩歌の小道」の歌碑・句碑がありました。

 

 

源義家歌碑

「吹く風を 勿来の関と 思へども 道も狭にちる 山桜かな 」               

《花を散らす風は「来るな」と言う勿来の関には来ないはずだが

何と道いっぱいに山桜が散っているとは》

 

 

 

 

斎藤茂吉歌碑

「みちのくの 勿来へ入らむ 山がひに 梅干ふヽむ あれとあがつま」
 《陸奥の勿来の関に行く山間の道で梅干を口に含む私と私の妻》

 

 

 

小野小町歌碑

「みるめ刈る 海人のゆきゝの 湊路に 勿来の関も わが据なくに」      

 《海人が往来す湊路に来ないでなどという関は設けていないのに

最近あなたは逢いに来てくれないのね》

 

 

 

和泉式部歌碑

「なこそとは 誰かはいひし 云はねども 心に据ふる 関とこそみれ 」     
 逢いに行けないと言う恋人の返事に

《来ないで なんて誰が言ったと言うの いいえ誰も言ってはいないわ 

あなたが心に関を作って私に逢いに来ないだけだわ》

 

 

 

松尾芭蕉句碑

風流の者しめや於久能の田植う多

ふうりゅうの はじめやおくの たうえうた

芭蕉は勿来の関ではなく白河の関を越えて陸奥の国に入りました。

《白河の関を越えて奥州路に入ると、折しも田植え時、人々の歌う田植え歌はひなびた情緒が深く、

これこそみちのくで味わう風流の第一歩です》

 

 

 

 

8 いわき湯本温泉さはこの湯(福島県いわき市)

 

源泉掛け流しの天然硫黄泉。

江戸末期の様式を再現した情緒あふれる純和風の建物。

「さはこ」は住所(いわき市常磐湯本町三函176-1)の三函(さはこ)から来ているようです。

同じ福島県の福島市飯坂温泉は鯖湖湯(さばこゆ)」。 

間違えやすいですね。 


 

 

 

 

八角形の形をした木の香り漂う檜風呂「幸福の湯」と、うたせ湯のある岩風呂「宝の湯」があり、
男女が日替わりで入浴できますが、前回8年前も「宝の湯」でした。

 

 

 

9 FUTABA Art District(福島県双葉町)

 

2011年の東日本大震災で発生した原子力災害で、

東京電力第一原子力発電所周辺一帯は立ち入り禁止地区になっていますが、

双葉町は2020年3月に立ち入り制限が解除され

、目下JR常磐線双葉駅前を中心にFUTABA Art Districtと呼ばれる

復興絵画プロジェクトが展開されています。
駅前に残った建物の壁などに、これまでの双葉町を想起させ、

今後の双葉町の再起を願う内容の巨大な壁画が描かれています。

 

 

 

 

 

 

 

 

双葉町役場新庁舎

福島県双葉町は2022年9月5日、

東京電力福島第一原発事故による避難指示が解除された

JR双葉駅前の町役場新庁舎で業務を開始しました。

町内に本庁舎機能が戻るのは約11年半ぶり。

町は全町避難により、町民が集団避難した川俣町、埼玉県のさいたま市と加須市に

役場機能を移し、2013(平成25)年6月からいわき市に置いていました。

 

 

 

 

 

 

10福島県復興祈念公園

 

国及び福島県では、東日本大震災で甚大な被害を受けた双葉町、

浪江町の両町にまたがるエリアにおいて、

2025(令和7)年度の完了を目指して復興祈念公園の本格的な建設工事を進めています。

岩手、宮城両県には既に同様の施設が開設されているのに対し、

福島県が遅れているのは原発事故の影響と思われます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

見晴台

最上階は標高11メートル。

最上部まで上り、さらに上を見上げた5メートルほど先には、

東日本大震災の時に浪江町と双葉町を襲った最大の津波高さである

16.5メートルの標示柱が設置されています

標高16.5mのこの高さまで盛土をして「追悼と鎮魂の丘」が整備される計画となっています。

 

 

 

 

 

 

≪後半に続く≫