2024年JAF全日本ダートトライアル選手権第3戦

「北海道ダートスペシャルin スナガワ」

 

『旅の途中』

 

5月21日(火)横浜の自宅を出発。27日(月)夜帰宅。

今回は砂川を通り越して、

学生時代自転車で走った道北の思い出の地を回りながら、帰りも寄り道。

道内を6泊7日1000キロ超の旅となりました。

 

 

 

 

羽田から新千歳空港までは飛行機です。

 

 荷物は全部で30kg。うちカメラ機材12kg。赤いのは寝袋。

 

 

新千歳空港からはレンタカー。トヨタの4ドアトールワゴン「スペイド」。

 

   

 

この車で6泊しましたが、

第1シートと第2シートクッション部がフルフラットになり、

寝るには楽でした。

 

 

朝は毎日メスティンでご飯を炊きました。

 

 

 

1  札幌の竹道雄康さん

 

竹道さんは全日本ラリー「ラリーカムイ」の主催クラブ、

アーク・オートクラブ・オブ・スポーツ(TEAM ARK)の代表。

JAFのモータースポーツ委員会のラリー部会長や

全日本ラリー選手権審査委員グループのリーダー(2017年?~21年)を務めていた時は、

ラリー現場でちょこちょこお会いしていましたが、

コロナ禍以降は会えず仕舞いでしたので、

ようやく5年ぶりに竹道さん地元の札幌でお会いすることができました。

聞けばその昔はCMSC札幌に籍を置いた時期もあったとのことでした。

 

 

 

 

2 札幌の若本英次さん宅弔問

 

2月に亡くなられた大学時代サークル(自転車部)の2年後輩・若本英次さん宅を弔問、

線香をあげてきました。札幌に行った時は声掛けして一緒に飲み食いしてきただけに残念。

弔問時の写真はありませんが、1971年大通り公園の噴水前で撮った写真を見つけました。

1971年大学4年生の時の北海道夏合宿で一緒でした。

若本さんは最上段左から3人目。小生は最上段右端。

 

 

 

今の噴水とは形が違うようです。

 

 

3 札幌夜景

 

時計台もテレビ塔も昼間はよく観光しますが、夜は久々でした。

 

札幌時計台  正式名称は「旧札幌農学校演武場」。

時計台は明治11年(1878)に札幌農学校の敷地のほぼ中央に演武場として建てられました。

 

昼間の写真

 

札幌テレビ塔 大通公園の東端に立つ高さ147.2mのタワー。

昭和32年(1957)に電波の受信・発信のポイントとして建設されました。

東側から撮影。

 

昼間の写真 西側から撮影

 

 

4 直線道路日本一

 

国道で一番長い直線道路は、国道12号線「美唄市光珠内町292」から

「滝川市新町6丁目」までの区間で、延長約29kmです。

29kmといわれても想像しにくいかもしれない。

例えば国道1号線ならば東京-横浜間がおよそ30kmです。

 

 

 

 

 

 

 

5 紋別

 

新千歳空港から350km走ってオホーツク海に到達しました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

紋別の港の岸壁で食事。

 

ツブ貝 醬油で煮つけました

 

生タラ 焼いて醬油たらしました。

 

 

6 紋別の鎌田豊さん

 

1994年CMSC道北を作った時の初代代表。

1997年から2001年までミラージュで5年連続全日本ラリー選手権4駆部門Bクラスチャンピオン。

電話が繫がらないので心配していましたが、ようやく会えました。元気でした。

今の住まいは「紙風船ラポール」 (サービス付き高齢者向け住宅)

〒094-0007. 北海道紋別市落石町5-4-13   0158-26-2800

出掛けるのがおっくうになってきたようです。みなさま是非励ましに行ってください。

 

 

 

 

 

 

7 興部駅跡(おこっぺ 紋別郡興部町)

 

北海道2泊目の地 道の駅おこっぺ

1971年8月稚内から自転車で一人旅の思い出の地。興部駅からは列車に乗って網走駅まで移動しました。

現在道の駅おこっぺが当時の列車の駅でした。1989年名寄本線が廃線、同時に廃駅。

 

 

 

 

 

当時のホーム付近に当時の名寄本線車両。

今はライダー向け無料の簡易宿泊施設になっていました。

 

 

 

 

 

8 北見枝幸駅跡(きたみえさし 枝幸郡枝幸町)

 

ここも53年前1971年学生の時、稚内から自転車で来て一晩厄介になった思い出の駅。

駅前の風呂屋に入って駅の待合室で寝ました。

1985年に廃線、駅舎も無くなりました。

駅跡は公園とバスターミナルになっていました。

 

 

 

 

 

 

「一級食堂」 当時からの建物。現在も営業中。

 

 

53年前の写真 左の2人は駅で出会って一晩行動を共にした人。

 

 

9 宗谷岬(稚内市)

 

日本最北端の地。53年ぶり2度目の到達。

 

 

 

 

 

53年前の写真 左の人は岬で出会って半日行動を共にした人

 

 

宗谷岬から北にわずか43kmの地にサハリン(旧樺太)があります。

間宮林蔵はここから樺太にわたりました。

 

10 白い道(稚内市)

 

約3㎞にわたり稚内の名産である“ホタテ”の貝殻を砕いて敷き詰めてできた道。

 

 

 

 

 

 

 

11 声問(こえとい)駅跡(稚内市)

 

53年前稚内駅から列車で3つ目駅声問駅で降りて自転車を組み、宗谷岬を目指しました。 

ホームが短く列車のフロアと面一ではなく下だったので、

バッグを下した後自転車の輪行袋を下ろそうとしたら列車のドアが閉まりかけ、

慌ててドアを抑えた苦い記憶があります。

1989年廃線廃駅。

今回行ってみたら駅跡を記すものは全くなく、

捜すのに地元の人に聞いてようやくたどり着きました。

声問駅跡周辺の廃線跡は、国道238号線のバイパスとして整備されて

立派な4車線道に生まれ変わっています。

 

旧駅構内付近 右は国道238号線のバイパス

 

旧駅前通り 

手前に駅舎がありました。 お店は今は一軒もありませんでした。

 

国道238号線のバイパス 

 

当時の駅舎

 

 

12 JR稚内駅(稚内市)

 

ここも思い出の地。53年ぶりにやってきました。

駅舎はすっかり変わり随分モダンになっていました。

 

 

 

日本最北端線路

 

改札

 

当時の駅舎の写真がありました。

53年前の1971年、自転車を輪行袋に詰めて上野駅から

特急夜行列車、青函連絡船、道内特急を乗り継いで翌日昼前に札幌駅へ。

更に乗り換えて稚内駅には2日目の夜到着。

待合室は追い出されたので、駅の軒下で寝ました。

 

 

北防波堤ドーム

北埠頭が旧樺太航路の発着場として使われていた時、

ここに通じる道路や鉄道への波のしぶきがかかるのを防ぐ目的で

 昭和6年から昭和11年にかけて建設されました。

 

 

 

 

 

 

 

<続く>