2024年JAF全日本ダートトライアル選手権第2戦

「DIRT-TRIAL in NASU」

 

『旅の途中』

 

 行き  横浜の自宅から丸和オートランド那須まで

 

 

 

九州佐賀県唐津の全日本ラリー選手権第2戦取材から帰ってきたばかりなのに、

3日後の4月18日(木)夜横浜の自宅を出発、

途中観光しながら友人と旧交を温め、丸和には20日(土)朝入りました。

 

 

1 足利 森高千里の唄「渡良瀬橋」の聖地巡礼

 

 

 

 

 

 

 

   渡良瀬橋北詰近くの電柱に設置された再生ボタンを押すと

森高千里の歌う渡良瀬橋が流れてきます。

「♪ 渡良瀬橋で見る夕陽を あなたはとても好きだったわ ~」

 

 

 八雲神社

 

  「♪ 八雲神社にお参りすると あなたのこと祈るわ」

足利には5か所「八雲神社がありますが、橋に一番近いのがこの神社。

 

足利総鎮守「総社八幡神社」

 

 

 

 

 

 

実は前日深夜に到着して駐車場で車中泊していました。

 

 

2番めに近いのは織姫神社石段の前にある八雲神社。

「通り5丁目八幡神社」と呼ばれています。

 

 

 

どちらが唄に出てく「八雲神社」かしら?

 

 

 「♪ 床屋の角にポツンとある公衆電話」

 

床屋の名前は尾沢理容店。

歌のおかげで公衆電話の撤去予定が中止になったそうです。

 

 

 

 

 

2 足利織姫神社

 

1,300年の歴史と伝統を誇る機業地足利の守護神が奉られており、

産業振興と縁結びの神様として足利市民に広く親しまれています。

 

 

 

 

 

正面の小山は浅間神社。その手前に渡良瀬川と渡良瀬橋が見えます。

 

 

 

 

3 足利の鶴貝勲さん

 

鶴貝さんは床屋さん。大学生のとき北海道で出会って以来の付き合い。

1年に1回散髪に行っていましたがコロナで行くのを自粛、

昨年4年ぶりに再会を果し散髪し、今年も散髪に行きました。

 

 

 

 

 

4 桐生の青木登さん土屋ほずみさん&上州名物ひもかわうどん

 

 昨年青木さんと上州名物「ひもかわうどん」を食べましたが、

もっと幅広のひもかわうどんがあるということだったので今年は再チャレンジしました。

「ふる川」は土日となると長蛇の行列の人気店。

平日の開店時刻11時ちょい前に行きましたが,すでに先客がいて我々は5番目でした。

「もりひもかわ」(800円)を注文。幅10㎝以上。

麺はツルツル、薄いのに強いコシともちもち感。

箸につまんで口に運ぶのがむつかしかったです。

 

 

 

 

 

 

 

5 上州名物焼きまんじゅう

 

小麦粉に麹を混ぜて発酵させてから蒸したまんじゅうを竹串に刺し、

黒砂糖や水飴で甘くした濃厚な味噌ダレを裏表に塗って火に掛け、焦げ目を付けたもの。

1串4個で税込200円でした。

 

 

 

 

 

 

 

 

6 小夜戸・大畑花桃街道(群馬県みどり市)

 

花桃の一種である「しだれ桃」が約2㎞の間に2,000本以上並ぶ街道。

地元の人々が育ててきたもので、4月上旬から中旬にかけて楽しめます。
1本の木に咲くしだれ桃は、白と桃色のどちらか一色だけですが、

なかには両方の色が混ざって咲く木もあります。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

7 わたらせ渓谷鉄道 神戸(ごうど)駅(群馬県みどり市)

 

構内に植えられた約300本の花桃が開花する沿線屈指の人気スポット。

残念ながらほぼ散った後でした。

わたらせ渓谷鉄道単線運行のため何カ所かの駅で入れ替えを行っています。 

そのうちの一つ神戸駅で小一時間待って上下線の列車が到着した時を撮影してみました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

8 わたらせ渓谷鉄道 足尾(あしお)駅(栃木県日光市)

 

足尾駅はかつて、足尾銅山の銅製品や原料輸送のための貨車を入換・留置しておくため、

広い構内に何本もの線路が敷かれていました。

現在も駅構内に国鉄足尾線時代の気動車や濃硫酸輸送に使われた古河工業のタンク車などが

保存されていて、往時を偲ばせます。

足尾銅山は1610年(慶長15年)備前楯山で初めて銅が発見されて以来、

江戸幕府直営の銅山として大いに栄えました。

大正期には人口3万8千人を超していましたが、

昭和48年(1973)の閉山後は人口減少の一途で、今は約1600人が暮らしています。

 

 

 

 

 

 

 

 

9  わたらせ渓谷鉄道 間藤(まとう)駅(栃木県日光市)

 

わたらせ渓谷鐵道の終着駅。

国鉄時代は1.9km先の足尾本山駅まで貨物専用の線路が伸びていましたが、

現在は廃線となっています 。

 

 

 

 

 

 

 

10 日光東照宮

 

元和3年(1617)、2代将軍徳川秀忠が、初代将軍家康の遺言により家康公を祭神として創建。

3代将軍家光が、莫大な費用をかけて寛永(1634~36)の大造替を行った。

杉の森林に包まれた荘厳な雰囲気が漂.います。

 明治元年(1869年)の神仏分離により、

日光は神社の東照宮・二荒山神社(ふたらさんじんじゃ)、

寺院の輪王寺の二社一寺の形式に分立しました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

11 日光山輪王寺

 

 

「三仏堂」日光山最大の規模を誇る木造建造物

 

大護摩堂

 

 

 

12 日光輪王寺大猷院だいじゅういん)

 

大猷院とは、徳川3代将軍家光公の諡号。

4代将軍家綱公が建立した家光公の霊廟であり、

家光公が敬愛した家康公を見守るような方角を向いています。

 

 

 

 

13 二荒山神社(ふたらさんじんじゃ)

 

関東の霊峰男体山(標高2486m)を御神体山として祀る神社で、

創建は1200年以上前に遡ります。

古くから下野国の一の宮としてうやまわれ、信仰を集めていました。

 

 

 

 

 

夫婦杉

 

 

 

 

 

14 東武鉄道日光駅(上)とJR日光駅(下)

 

両駅舎は100m程離れています。

 

 

東武日光駅前に、かつて日光駅前からいろは坂の馬返までを結んでいた

東武鉄道運営の路面電車「日光電車」が保存されていました。

1910年(明治43年)に開業、1968年(昭和43年)に廃止されました。

 

 

 

15 日光街道杉並木(栃木県日光市)

 

徳川家康・秀忠・家光の3代にわたって将軍家に仕えた松平正綱(まつだいらまさつな)が、

20年の歳月をかけて植樹。

家康の33回忌に参道並木として東照宮に寄進しました。

杉並木 全長37km。写真は今市の杉並木公園付近の杉並木。

植樹から400年近く経った現在でも高さ約30メートルにも成長した約12,500本のスギが

生い茂っています。

 

 

 

 

 

 

 

16 日光北街道玉生宿(たまにゅうしゅく)

 

日光今市で車中泊後矢板に向かう途中、

「玉生」(たまにゅう)と書かれた交差点で何気なく横道に反れたら、

そこは松尾芭蕉「奥の細道」 旅の途中の一宿の地でした。

335年後日光から偶然芭蕉と同じ道をたどって、

このゆかりの地に吸い寄せられたのも何か縁を感じました。

 

 

 

 

 

元禄2(1689)年旧暦4月2日、芭蕉は「那須の黒羽」に向けて日光を出立するも、

激しい雷雨に遭い、玉生宿(たまにゅうしゅく)の名主の家に泊めてもらいました。

現在、跡地に建てられているのがこの石碑。

 

芭蕉と弟子の曽良

 

 

芭蕉の「奥の細道」では

「遙かに一村を見かけて行くに、雨降り日暮れる。農家に一夜の宿を借りて・・・」

となっていますが、曽良の「随行日記」には玉生に泊まったと記されています。

 

 

 

帰り 丸和オートランド那須から横浜の自宅へ

 

帰りは、雨降る中どこにも寄らず、足つり予防に効くツムラ68番を飲んで、

下道200㎞を4時間30分ワンストップで無事帰宅しました。