2024年JAF全日本ダートトライアル選手権第1戦
「FORTEC CUP in KYOTO 」
『旅の途中』
帰り/コスモスパークから横浜の自宅まで
帰りも当然下道を2泊3日かけて観光と友人を訪ねて26日(火)23時帰着。
エボ10往復1100km 6泊7日車中泊の旅が終了しました。
次回は4月12~14日九州唐津で全日本ラリー第2戦取材です。
1 京都将軍塚(京都市東山区)
京都から大津に抜けるルートにあるので帰りも立ち寄りました。
雨が上がって夜景がきれいでした。
翌朝 またまた雨。ガスがかかって京都の街は真っ白でした。
2 坂本城址(滋賀県大津市)
坂本城は1571年の延暦寺焼き打ち直後、比叡山と湖南・湖西地方をおさえるために、
交通の要所である坂本の地に、織田信長の命により明智光秀が琵琶湖岸に築城。
安土城に次いで絢爛豪華な城であったといわれています。
1582年の本能寺の変の後、羽柴秀吉軍の攻撃により落城。
現在見るべき遺構がほとんど残っておらず、
この碑だけが坂本城址公園内ひっそりと立っているだけです。
琵琶湖の渇水時には湖中の石垣が姿をあらわしますが、普段は見ることができません。
光秀像 坂本城址公園内にあります。
坂本城内と思われる場所(今は住宅街の道路際)にも「坂本城址」の碑がありました。
明智塚
光秀の供養塚と伝わるこの塚は明智一族の悲運もあってか、
さわるとたたりがあると言われ、壊されることもなく現在に至っています。
3 中山道柏原宿(滋賀県米原市)
戸時代中山道60番目の宿として、たいそう賑わった宿場町です。
長さが1.5kmと近江国最大級の宿場であり、昔ながらのまちなみを残しています。
芭蕉は3回柏原宿を西から東に抜けています。
4 関ヶ原 徳川家康最初の陣地
5 岐阜県大垣市のプレジャー大橋渡さん
大橋さんは1週前の全日本ジムカーナ第2戦でBC3クラス優勝を果たしました。
6 愛知県小牧市の武山策彌さん
武山さんは今庄の全日本ダートラでは毎回主催者側として大会会長を務めていました。
今庄では毎回お会いしていますが、ゆっくり酒を酌み交わしたのは
3年前に約束が流れて今回が初めてでした。
7 小牧山城(日本百名城 愛知県小牧市)
翌朝小牧山を一緒に登り、武山さんに案内してもらう予定でしたが、あいにくの雨で辞退。
小生の単独登頂と相成りました。
小牧山城は永禄6(1563)年に清須から居城を移した織田信長によって築城されました。
山頂に石垣が築かれるなど、石を多用する画期的な城でした。
築城から4年後、永禄10(1567)年に信長が岐阜に居城を移したことで小牧山城は廃城。
小牧山城が廃城されて17年後、信長亡き後、
羽柴(豊臣)秀吉軍と織田信雄・徳川家康連合軍の間で小牧・長久手の戦いが起こり、
家康がこの地に本陣を置いたとされています。
小牧山城を前に両軍のにらみあいが続きましたが、
結局はここで戦いが行われることはありませんでした。
昨年から石垣発掘調査やら修復工事中で、この4日後に工事のフェンスが取れました。
8 岩崎城(愛知県日進市)
岩崎城は戦国時代丹羽氏清にはじまる丹羽氏の居城として知られています。
羽柴秀吉と徳川家康が戦った「小牧・長久手の戦い」では丹羽氏は徳川方に属し、
犬山方面から岡崎を目指した羽柴方池田郡の行軍「三河中入(なかいり)」を
阻止しようとして落城しました(岩崎城の戦い=長久手の戦いの緒戦)。
池田軍の進軍を止めたという点で徳川方に大きな功績を残した戦いでした。
本丸跡には現在は岩崎城址公園として整備され、模擬天守が建てられています
そもそもその城には天守がなかったのに作っちゃった場合や
別の場所に建てた場合は模擬天守といいます。
空堀
9 静岡の志賀雅彦さん
1年ぶりの再会。
志賀さんは1997年WRCラリーオーストラリアに
篠塚建次郎「三菱ランサ-ディーラーチーム」の
メカニック(当時は静岡三菱自動車社員)として参加しました。
昨年3月には三重県四日市でお会いしましたが、
当時勤務していた三重三菱自動車を退職して自宅のある静岡に戻ってきました。
篠塚建次郎氏を偲んで献杯!
≪完≫