2022年JAF全日本ラリー選手権第8戦(最終戦)

「第49回MCSCラリーハイランドマスターズ2022」

 

旅の途中

 

 

 

行きは中山道(洗馬~福島)を散策.

ラリー当日はSSロケハンのついでに飛騨千光寺に参拝。

帰りは元全日本ラリードライバーの西尾雄次郎さんを1年ぶりに訪ねた。

 

 

 

1 西尾雄次郎さん (長野県木曽郡木曽町三岳)

 

西尾さんは1990年全日本ダートラA3クラスチャンピオン、

1998年には全日本ラリー4輪駆動部門Cクラスチャンピオン。

昨年のこの時期に訪れたので1年ぶりの再会。

 今年は全日本ラリー 第4戦TANGO、第6戦キロロに

JN1クラスにエントリーした愛弟子松岡孝典選手のサービスで現地に出動。

第5戦モントレーは松岡選手が直前練習で車を壊し不参加。

西尾さんも現地出動を取りやめたので、

取材に行った小生(TANGO キロロは取材に行かなかった)は西尾さんと再会し損なった。

 

 

 

 

 

5年ほど前に大阪のお店を畳んで御嶽山のふもとの山の中の、とある別荘地に移住。

春は山菜取り、秋はキノコ採り、その間は冬の暖房用の薪つくりと晴耕雨読の生活をしている。

 

 

日が暮れて到着したので昨年の写真をご参考まで添付。

 

 

 

 

2 中山道/信濃路 洗馬宿~本山宿(長野県塩尻市)

 

今回の旧中山道散策は中山道と善光寺道との分岐点からスタート

 

 

2-1 「中山道と善光寺道のわかされ」 (長野県塩尻市)

 

 「わかされ」とは長野県の方言で「分かれ道」のこと

 

 

 

 

 

 

 元々の分岐点 

 

 

 

2-2 洗馬(せば)宿 (長野県塩尻市)

 

中山道六十九次のうち、日本橋から31番目の宿場町。

北国西街道(別称:善光寺道)の起点。

木曽義仲の重臣今井兼平が馬を洗うと、馬がたちまち元気を回復した故事から「洗馬」と名づけられた。

 

 

JR洗馬駅

 

 

時刻表 1日11本×2(上・下) 運行

 

 

2-3 浮世絵「木曽海道六十九次」洗馬宿

 

歌川広重(安藤広重)と渓斎英泉2人の合作

浮世絵師葛飾北斎と渓斎英泉が描いた「木曽街道六十九次」浮世絵の洗馬宿(コピー)。

復元された「贄川関所」内にある観光案内所に飾られていた。

 

 

 

2-3  本山宿 (長野県塩尻市)

 

中山道32番目の宿場。そば切り発祥の地といわれる。

皇女和宮も文久元年(1861年)11月4日(旧暦)に泊まった。

花嫁行列が一つの宿を通過するのに4日かかった。

京都を出て中山道を約1カ月かけて江戸の到着。

第14代将軍徳川家茂の正室になった。

 

 

 

 

 

 

 

 

2-5 「是より南 木曽路」  

 

これより北は信濃路。

本山宿と贄川(にえかわ)宿の間の国道19号線沿いに建てられている。

今年新道のトンネルが開通してうっかりすると通り過ぎてしまう。

 

 

 

 

3 中山道/木曽路 贄川宿~奈良井宿 (長野県塩尻市)

 

3-1 贄川宿 (にえかわしゅく 長野県塩尻市)

 

木曽11宿の最北端の宿場町。

 

 

 

 

贄川関所 

北の出口に復元された。

女改めや中山道を通る木材の監視・統制の役割を果たした。

 

 

 

JR贄川駅

 

 

 

3-2 木曽平沢 (長野県塩尻市)

 

木曽平沢は伝統的建造物群保存地区 

木曽漆器の町 江戸時代から旅人の土産として人気だった。

 

 

 

 

3-3 芭蕉句碑

「送られつ をくりつはては 木曽の秋」

(塩尻市役所平澤支所敷地内)

 

芭蕉は1688年8月信州更科へ名月を見る旅に出た(更科紀行)。

途中木曽路を歩き、この俳句を詠んだ。

 

句は右側面に彫られている。

 

   

       石が大分風化している。              以前のどなたが撮った写真はもう少し読めた。

 

中部北陸自然歩道 

 

 

 

3-4 奈良井宿 (長野県塩尻市) 

 

中山道34番目の宿場。

中山道の難所の鳥居峠を控え、木曽11宿の中で最も栄えた宿場町。

 

 

 

 

 今も江戸時代の面影を残している伝統的建造物群保存地区 

 

 

 

水飲み場

 

 

御岳百草丸

街のあちこちに長野県製薬「御岳百草丸」のパッケージ広告。 

胃弱 胃のもたれ 二日酔いに効くと書かれている。「大田胃散」と同じ効用のようだ。

 

JR奈良井駅  

 

 

 

 

 

3-5 鳥居峠

 

 木曽街道薮原宿と奈良井宿を結ぶ約6キロは、標高1197メートルの鳥居峠越えをする山の道。

中山道屈指の難所だった。

この鳥居峠が日本海に流れる信濃川水系と太平洋に流れる木曽川水系の分水嶺。

松尾芭蕉も鳥居峠を越えて長野善光寺に参詣した(更科紀行)。

 

 

 

御嶽神社(御嶽遥拝所)  

「鳥居峠」より標高の高い、峠の最高地点。

御岳神社は、御嶽山に登る代わりにお参りすれば御利益があると信じられてきた場所。

 

 

 

4 中山道/木曽路 藪原宿~福島宿 (長野県木曽郡木祖村 ~ 木曽郡木曽町)

 

 

4-1     藪原宿 (長野県木曽郡木祖村)

 

中山道35番目の宿場

 

 

  

 

 

4-2    宮ノ越宿 (長野県木曽郡木曽町)

 

中山道36番目の宿場

 

 

 

 

JR宮ノ越駅

 

 

4-3  義仲館 (長野県木曽郡木曽町)

 

木曽の地で育った木曽義仲は、ここ宮ノ越で挙兵した。
栄華を誇った平家一門を京の都から追討し武士として初めて征夷大将軍となり朝日将軍と呼ばれるが、

後白河法皇らの政略に翻弄されたあげく逆賊の汚名を着せられ、
源義経に討たれ二度と木曽の地を踏むことはなかった。

「義仲の 寝覚めの山か 月悲し」 芭蕉 ( 越前今庄 燧ヶ城で詠んだ句)

 

 

 

義仲、巴御前の銅像

 

 

 巴淵

木曽川の深い淵 巴御前はここに住む龍神の化身だったとか。

 

 

 


 

 

 

4-4 徳音寺 (長野県木曽郡木曽町)

 

木曽義仲菩提寺

境内には義仲の霊廟や

巴御前、義仲の母小枝(さえ)御前、樋口兼光、今井兼平等木曽一族の墓がある。

 

鐘楼と山門が一体になった 「鐘楼門」

 

本堂

 

本堂前にある巴御前の騎馬像

 

義仲御霊廟  一族の位牌が安置されている

 

 

4-5  中山道中間点  (長野県木曽郡木曽町)

 

 江戸・京都双方から67里28町 (266キロ)に位置している

 

 

 

 

 

5 木曽福島~高山(長野県木曽郡木曽町~岐阜県高山市)

 

5-1     久藏峠 (長野県木曽郡木曽町) 

 

標高1280ⅿ。

木曽福島から高山に抜ける国道361号線上にある。

 

 

 

 2014年9月に噴火した御嶽山が目の前に大きく一望できる。

この突然の噴火により、

死者58名、行方不明者5名、負傷者61名という戦後最悪の火山災害となった。

 

 

5-2     長峰峠

 

国道361号線の長野県(木曽郡木曽町)と岐阜県(高山市)の県境。標高1350m

塩尻から高山に抜けるのは国道158号線安房峠(標高1790ⅿ)

または安房トンネル(標高1373m)のルートもある。

距離は長くなるが交通量が少なく勾配がゆるいと思われるこちらの361号ルートを選んだ。

ここを越えれば高山までは下る一方。

 

 

 

長峰峠茶屋 看板は有るが 今は営業していない。

 

 

 

 

6 飛騨千光寺 (岐阜県高山市)

 

14日(金)夕刻第1SS(千光寺)の撮影ポイント確認の為

SSフィニッシュ地点近くの千光寺に立ち寄りお参りした。

飛騨千光寺は「円空仏の寺」としてその名は広く知られている。

円空(1632-95)は各地の霊山を巡り、生涯で12万体の仏像を彫ったという。

円空は訪れた土地の山林の木を素材にして、あまり手数を掛けずに仏像を造った。

表面には何も塗らず、木を割った時の切断面、節(ふし)や鑿跡(のみあと)がそのまま見える像が多くある。

 

 

 

 

宝館

千光寺は「立木仁王像」「両面宿儺坐像」「三十三観音像」などを始めとして、

現在64体の円空仏を所蔵しており、すべて「円空仏寺宝館」で拝観することができる。

 

 

その他の境内各所に安置されている木彫りの仏像は現代になって彫られた「円空彫り」の仏像。

 


 

 

<完>