2022年JAF全日本ラリー選手権第1戦

「新城ラリー2022」

 

「旅の途中」

 

 

 ルート

 

 

1 小田原城 

(日本百名城 神奈川県小田原市)

 

3月16日(水)21時過ぎに横浜の自宅を出発。新城までは高速を使わず下道で、22時に小田原を通過。

せっかくなので小田原城の夜景の撮影に立ち寄りました。

住吉橋から先が閉ざされそこから先は入れず、天守は見ることができませんでした。

 

隅櫓(すみやぐら)

 

馬出門

 

住吉橋

 

 銅門(あかがねもん)

 

4年前の銅門

 

 

4年前の天守

 

 

2 道の駅箱根峠

 

 

23時半箱根到着直後突然の揺れ

。しかも意外と長い小刻みな揺れにとうとう脳梗塞の前兆かと思われましたが、

女房から電話があり本物の地震でした。そのまま車中泊。

 

 

 

 

 

朝飯

 

納豆は毎朝なので出かけてもこの「おかめ納豆」です。

 

 

3 山中城 (日本百名城 静岡県三島市  )

 

翌朝 日本百名城の山中城を攻城しました。散策滞在時間は2時間に及びました。

武田・今川領と国境を接する箱根西麓の尾根上、標高580mに築城された山城で、

天正年間には、豊臣軍が仕掛けた小田原攻めの舞台となりました。

北条氏にとっては西方防御の要であり、

築城技術を駆使した障子の桟(さん)のように見える「障子堀」が.特徴です。

 

鳥居は駒形諏訪神社

 

 

 

 

 

 

西の丸付近の障子堀

 

 

畝堀(西櫓付近)

 

 

本丸跡

 

 

西の丸跡

 

右の土手の上が御馬場曲輪(くるわ)

 

一の堀(畝堀)

 

遠くに富士山がかすんで見えました。

 

 

城の横を石畳が残る箱根旧街道が走っています。

 

駐車場に1972年生まれ=車歴50年のフェアレディZがいました。

オーナー(奥)は京都から来た人でこれから山中城を散策するとのことでした。

エボ1を所有したことがあるとのことでした。

 

 

4 静岡県庁(静岡市)

 

静岡県庁

 

加藤元章静岡県議会議員に面会、18年ぶりの再会を果たしました。

 

 

 

加藤さんは元三菱自工社員。

元CMSC本部会員でミラージュカップにドライバーとして活躍しました。写真は1987年加藤さん24歳。

その日も議会でお忙しい中時間を割いてくれて、しばし思い出話とモータースポーツ談義に花を咲かせました。

 

 

選挙運動中の加藤元章さん 

加藤さんは2004年政治家を目指して退職。

沼津市議を経て2019年から静岡県議会議員と言う経歴です。

 

 

 

5 駿府城 

(日本百名城 静岡県静岡市)

 

面会終了後 その足で駿府城の家康公にご挨拶しました。

 

 

 

 

 

 駿府城天守跡  

駿府城は嘉永12年(1635)城下の火事で天守、御殿が焼失。

天守は以後再建されませんでした。

 

 

二の丸水路

 

 

 

 東御門

 

 

 

お伊勢参りに行く途中の弥次さん喜多さんに出会い、

折角来たのだからゆっくりしていけと言われ、つい長話をしてしまいました

 

 

 

6 思い出の沼津市牛臥海岸我入道海岸

 

加藤元章さんの今の住まいは沼津市。小生も沼津市には浅からずご縁があります。

思い出を辿るため面会の前に沼津市我入道に立ち寄りました。

 

幼稚園の頃我牛臥海岸で海水浴をしたことがあります。

近くの日緬寺に家族で泊まった記憶があります。

 

現在の牛臥海岸。右の黒い山が牛臥山。

 

牛臥海岸での写真  左が小生。右が弟。

 

現在の日緬寺  

 

 

本堂  お寺の人に確認したところ本堂は70年前と同じだそうです。

 

 

  中学校の時は夏休みの臨海学校で、我入道海岸で泳いだことがあります。

 

もしかしたら泊まったのは大山巌(日露戦争の満洲軍総司令官)の

別荘(老朽により1994年解体)だったような気もします。

現在跡地は公園になっていました。

 

牛臥海岸 奥の緑の林が旧沼津御用邸

 

高校生の時は旧沼津御用邸(現在は沼津御用邸記念公園の隣にあった我が高校の臨海施設で、

ウニの発生の研究をしたことがあります。

 

 

7 旧東海道丸子宿 (鞠子宿 静岡県静岡市)

 

丸子宿は東海道53次、江戸から数えて20番目の宿場町。

ここでは、芭蕉が句を詠み、広重が描き、

十返舎一九が東海道中膝栗毛で書いた笑い話も残されています。

 

 

 

 


 

歌川広重が東海道五十三次で描いた浮世絵風景。

 

芭蕉句碑  「梅わかな 丸子の宿の とろろ汁」

 

十返舎一九東海道中膝栗毛碑  

「けんくハする 夫婦ハ口を とがらして 鳶とろゝに すべりこそすれ」

 

 

丸子宿の名物は「とろろ汁」。

今でも丁字屋の看板メニューですが、あいにく定休日でした。

 

 

8  浜名湖弁天神社(静岡県浜松市)

 

日が暮れてから北浜名湖と南浜名湖の間にある弁天島の弁天神社に到着。

 

社殿も真っ暗。

 

 

ここは南浜名湖面に浮かぶ赤鳥居が有名ですが、

馬場和三郎さんお薦めの赤鳥居越しに沈んでいく夕日という絶景には間に合いませんでした。

この鳥居は弁天神社の鳥居ではなく、観光シンボルタワーと称されています。

 

 

 

 

 

 

翌朝再度訪問して明るい鳥居を撮影しました。

 

 

9 新居関所(静岡県湖西市)

 

東海道の舞坂宿(静岡県浜松市西区)と新居宿(静岡県湖西市)の間にある関所。

江戸時代は今切関所と呼ばれていました。 

当時東海道を往来する通行人や江戸方面に向かう鉄砲を厳しく取り調べていました。

 

 あす弁天神社赤鳥居に戻るのでここで車中泊

 

 

 

 

 

江戸時代はすぐ横が浜名湖の岸で、新居と対岸の舞坂を結ぶ今切渡船の渡船場でした。

奥の屋敷=面番所は関所改めを行った中心となる建物で江戸時代末期に再建されたもの。

日本全国で唯一の現存する関所建物です。

 

面番所

 

新居関所大御門 

大御門は明け六つ(午前6時頃)に開き、暮れ六つ(午後6時頃)に閉されました。

と言うことは夜間通行禁止でした。

 

 

大御門の脇に高札場があります。

幕府や領主が決めた法度(はっと)や掟書(おきてがき)などを木の板札に書き、

人目のひくように高く掲げておく場所のこと。

 

トイレです

 

 

 

10 知波田駅(静岡県湖西市)

 

 

 

 

 知波田駅は天竜浜名湖鉄道・天竜浜名湖線(天浜線)の駅。

天浜線はJR東海道本線の掛川駅(静岡県掛川市)と

同じくJR東海道本線の新所原駅(静岡県湖西市)を結ぶ全長67キロの路線で、

元JR今は第三セクター会が運行。

 

どことなく変な駅だなと思っていたら、駅舎と歯科医院の建物が一緒になっていました。

 

 

 

 

 近くの浜名湖岸辺で水鳥を見ながら少し遅い朝ごはん。

朝ごはんを食べてから1時間走って新城ラリーのHQには18日10時30分到着。

メディア登録締め切りの30分前でした。