2021年JAFカップオールジャパンダートトライアル

「2021年JMRC全国オールスターダートトライアル in 中部」

 

旅の途中

 

CMSC選手結果 https://ameblo.jp/cmsc-yokohamasugar/entry-12710797106.html

大会のひとコマ https://ameblo.jp/cmsc-yokohamasugar/entry-12710799896.html

 

 

11月10日(水)20時40分横浜の自宅を出発。

25時30分塩尻、道の駅到着。そのままここで車中泊。

翌朝から「旅の途中」が始まる。

 

 

 

 

1 旧国鉄篠ノ井線廃線敷(長野県安曇野市)

 

旧国鉄篠ノ井線は明治35年に全通、長野県の南北を結び多くの人や物資を運搬してきた。

昭和45年に蒸気機関車が姿を消して電化され、昭和63年に新線が完成した事で86年間の役目を終えた。

 

 

 

 

 

 

 

漆久保トンネル

 

 

 

 

 

 

 

遊歩道

 

 

 

 

 

 

2 JR東日本 篠ノ井線聖高原駅(長野県東筑摩郡麻績村 おみむら)

 

昭和51(1976)年4月までは「麻績(おみ)」という駅名だった。

 

 

 

 

駅前に明治神宮があった。

 

 

神宮の周辺には歌人の歌碑、俳人の句碑が沢山建てられており、松尾芭蕉の句碑もあった。

その昔芭蕉は信濃更科の月を見るため この麻績村を通過した記録が残されている。

 

紅葉

 

 

3 善光寺街道

 

善光寺街道(ぜんこうじかいどう)とは、京阪や江戸から善光寺参拝に向かう道。

芭蕉は中山道・木曽路を経て善光寺街道・信濃更科を抜け、善光寺にお参りしたことを更科紀行に記している。

 

 

 

 

 

 

 

 

4 田毎の月 姨捨山(おばすてやま 長野県千曲市)

 

1500もの小さく不揃いな棚田が連続して広がる姥捨山の一帯は

平安時代から観月の名所として知られ、

特に小さな水田の一つ一つに月が映りこむ様子は“田毎の月”と呼ばれ、 

松尾芭蕉や歌川広重など文人墨客に愛されてきた。

 

 

 

 

 

 

長楽寺は別名月見寺と言う。

棚田千枚田に映る月を眺めて多くの俳人が沢山の句を残している。

その句碑が長楽寺を中心に数多く残されている。 

 

 

 

芭蕉翁面影塚 石碑の右わきに「おもかげや 姥ひとりなく 月の友」

 

 

5 川中島古戦場(長野県長野市)

 

川中島は越後国の上杉謙信と甲斐国の武田信玄が信濃国の領有を巡って5度にわたって戦った地。

永禄4年(1561年)、4度目の戦い(八幡原の戦い)で両雄が激突した地に八幡社が建てられている。

 

 

 

左)信玄 右)謙信

 

 

直戦地

 

第4次合戦図

 

三太刀七太刀乃跡

 

首塚

 

 

6 信濃善光寺(長野県長野市)

 

小生も牛にひかれて善光寺参り」した。

信心のない老婆が、さらしていた布を角にかけて走っていく牛を追いかけ、

ついに善光寺に至り、のち厚く信仰したという話から

思ってもいなかったことや他人の誘いによって、よいほうに導かれることのたとえ。

 

仲見世

 

山門

 

本堂

 

仁王門

 

善光寺大本願(仁王門手前左)

 

 

 

善光寺大本願に芭蕉句碑

月影や四門四宗もただ一つ

 

芭蕉が元禄元年(1688年)8月木曽路と更科の月見の旅を楽しんだ後、

善光寺に詣でてこの句を詠んだ。

善光寺は4つの仏教宗派の垣根を越えた寺院。

仏法は四門四宗とわかれていても澄みきった月のように帰するところは一つである。

 

 

7 小林一茶記念館(長野県上水内郡信濃町)

 

信濃町は俳人小林一茶が少年時代と50歳以降を過ごした場所。

1960(昭和35)年、一茶の墓のある小丸山に開館した。

2003(平成15)年4月新館となり、一茶の生涯と文学・一茶のふるさと・一茶顕彰などを展示し、

あわせて、一茶忌全国俳句大会や一茶講座などの、一茶や俳句に関する様々な学習活動を行っている。

 

 

 

 

 

 館内

 

一茶関連本

 

 

 一茶句碑

 

まだ読み切っていない。

一茶は生涯で2万句を詠んでいる。驚異的だ。芭蕉は2000句。

 

 

8 清水敏昭さん(新潟県上越市)

 

清水敏昭さんは2000年前後の WRC APRC JRCなど国内外ラリーの観戦仲間。

清水さんご自宅を訪ね、2014年全日本ダートラ野沢大会以来7年ぶりの再会となった。

 

 

 

 

 

お土産に妙高産こしひかり新米を頂いた。

 

 

9 道の駅あらい(新潟県妙高市)

 

清水さん宅を辞去後、ほど近い道の駅あらいで車中泊。

翌朝のんびりご飯を炊いて朝食。

 

 

 

 

 

 

 

10 鮫ヶ尾城 (続日本百名城 新潟県妙高市)

 

鮫ヶ尾城は天正6年(1578)上杉謙信の急死後の後継者争いである「御館の乱」の際に、

上杉景勝に敗れた上杉景虎が敗走して自刃して果てた城。

 

「御館の乱(おたてのらん)」

長尾家から養子になった上杉景勝と、

北条氏から養子になった上杉三郎景虎が争った戦い。

 

城内には150mを越える大きな竪堀や、往時を偲ばせる土塁、曲輪などの遺構を見ることができる。

 

 

南登城道

 

命の和泉 井戸跡

 

三の丸跡

 

大堀切

 

 

なめこ発見! 勿論天然 

 

本丸跡 遠くに虹。

 

 

 

11 高田城 (続日本百名城 新潟県上越市)

 

慶長19年(1614年)徳川家康の六男・松平忠輝の居城として築城された。

天守はなく、3重3階の三重櫓を建てて天守の代用とした。

すべての曲輪に土塁が採用され、石垣は築かれなかった。

 

 

 

 

 

 

 

本丸敷地内には中学校がある。

 

 

12 春日山城(日本百名城 新潟県上越市) 

 

戦国時代の名将・上杉謙信の居城。30分かけて攻城した。

 

 

謙信

 

千貫門跡 春日山城の古絵図に必ず描かれている門。

「千貫」は重さを表し、千貫(約2t)の鉄が使われていたとも言われている。

 

直江屋敷跡 上杉家の重臣直江兼続の屋敷跡

 

毘沙門堂跡 

 

再建された毘沙門堂 、毘沙門天像が祀られている  

 

6護摩堂 謙信が出陣に際し戦勝を祈願した

 

 

本丸跡

 

天守台跡 標高180mの山頂付近

 

 

頂上からの眺め

 

大井戸 本丸・天守台跡を西側に下りたところにある。

標高100m以上の高所にありながら、どんな渇水でも涸れることなく

、今も満々と水をたたえる不思議な井戸。

 

 

13 春日山神社(新潟県上越市) 

 

祭神は上杉謙信。

 

 

 

 

 

 

14 帰路

 

2日間北陸の無常の雨と寒さと風に祟れ、

しかも北陸は月曜日も雨模様なので当初帰りもぶらつく予定だったが、

JAFカップダートラ終了後は一目散に帰ることに変更した。

17時に会場を出発、下道で470キロをひたすら走り横浜の自宅には翌日よけ前3時に到着。

休憩も入れて所要時間は超ハイスピードの10時間だった。