2021年JAF全日本ダートトライアル選手権第1戦

「FORTEC CUP 2021 in KYOTO」

 

旅の途中       

 

大会のひとコマは   https://ameblo.jp/cmsc-yokohamasugar/entry-12662999583.html

結 果  大会情報  http://team-fleet.com/

リザルト http://team-fleet.com/20210314result.pdf

シリーズポイント(JAFHP) 昨年http://jaf-sports.jp/competition/point/dirttrial.htm

CMSCホームページ  http://himaob7.kagebo-shi.com/CMSC/HP/index.html  

 

 

 

 

1 藤田屋のあんまき(愛知県知立市)

 

3月10日(水)20時30分に自宅を出発。(写真は昼間撮影)

 

 

途中道の駅「潮見坂」(静岡県湖西市)で車中泊。

翌朝知立市内国道1号線沿いにある藤田屋の8時開店に合わせて立ち寄り、あんまきを買った。

長時間運転していると疲労回復の為食べたくなる。

 

 

2 長久手古戦場 (愛知県長久手市)

 

天正12(1584)年「小牧長久手の戦い」で、天下統一を果たす前の豊臣秀吉と、

後に江戸幕府を開く徳川家康が唯一雌雄を決した決戦地。

長久手の戦いでは家康方が大勝し 秀吉方の多くの武将が戦死した。

 

 

現在は「長久手古戦場公園」となっているが、

その時に無残に命を落とした武将達の霊が今も成仏できずに彷徨っているという心霊スポットになっている。

 

 

  勝入塚(しょうにゅうづか) 池田恒興が戦死した場所

 

 

 庄九郎塚(しょうくろうづか) 池田之助が戦死した場所

 

 

 

武蔵塚 森長可(もりながよし 森蘭丸の兄)が戦死した場所

 

 

色金山(いろがねやま)歴史公園

白金山は「長久手の戦い」で徳川家康軍が陣を張り、軍議を開いたといわれる。

 

床几石(しょうぎいし) 軍議の際に家康が腰掛けたといわれる石。

 

展望テラス 戦国期の砦を再現した。

 

家康軍議の図

 

家康隊進軍の図

 

 

3 トヨタ博物館(愛知県長久手市)

 

長久手古戦場のすぐそにあったので、せっかくなのでちょっと寄り道。

 

 

 

 

 

 

入館料1200円払って館内を見学する時間がないのでパンフレットだけもらって、無料の箇所のみ見学した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

トヨタ・モデルAA(1936年)

 

スイフト9HP(1905年イギリス)

 

ローバー6HP(1907年イギリス)

 

藤原とうふ店号

 

 

4 株式会社ラック(LUCK) (愛知県長久手市)

 

 

博物館のすぐ近くにラックがあったので挨拶に立ち寄った。

会長は勝田照夫さん 社長は全日本ラリードライバーの勝田範彦さん。

残念ながら2人とも新城ラリーの準備などで留守だった。

 

 

 

5 小牧山城 続日本百名城 (愛知県小牧市)

 

 

 

織田信長が美濃攻めの拠点として築城し、後の小牧・長久手の戦いでは、徳川家康の陣城となった。

 

 

 

 

標高86mの小牧山頂上に本丸を築き、その周囲を三重の石垣で守りを固め、

中腹も削平して数多くの曲輪を構築している。

 

大手道

 

 

梅林

 

 

6 三重三菱自動車 志賀雅彦営業部長(三重県四日市市)

 

 

志賀雅彦さんは篠塚建次郎の1997年WRCラリーオーストラリア参戦に派遣された三菱販売会社のディーラーメカニック。ディーラーメカニック派遣は1993年から始まり志賀さんは5回生。1997年は私も出張で行き現地で顔を合わせていたので、今回再会となった次第。

販売会社ディーラーメカニック派遣は、販売会社サービススタッフの整備技術の向上や職場での士気高揚などを目的として、全国の販売会社の8000名を越すサービススタッフから書類審査、ドライビング審査、メンテナンス審査等(ラリーアートが担当)によりディーラーメカニック5名を選抜、サービスクルーとしてラリーに派遣するもので、現地で得た貴重な経験を、販売会社での日常業務で実践することで、顧客へのサービス品質向上を図ることができた。何よりも販売会社のサービススタッフの仕事へのモチベーションが上がったことが最大の収穫になった。

その後も販売会社ディーラーメカニック派遣は、ドライバーには篠塚建次郎、増岡浩、田口勝彦らが名を連ね、派遣するラリーも1993年から1996年の香港北京ラリー以外にも、WRC(オーストラリア、ジャパン)クロスカントリーラリー(バハ・イタリアなど)と多岐にわたり、2008年WRCラリージャパン(ランエボ10/ドライバー:田口勝彦)まで長く続いた。

 

 

7 伊賀上野城  (三重県伊賀市 日本百名城)

 

 

伊賀上野城は8度も主君を変えた戦国武将して知られる藤堂高虎が築城した。築城技術に長け、宇和島城今治城篠山城・津城伊賀上野城膳所城二条城などを築城し黒田孝高加藤清正とともに名人として知られる。

高虎の築城は、石垣を高く積み上げることとの設計に特徴があり、石垣の反りを重視する加藤清正と対比される。高虎が家康の信任が厚く、築城の名手でもあり、大坂・豊臣方との決戦に備えるための築城だった。

 

 

 高さ約30メートルの高石垣

 

 

伊賀上野は松尾芭蕉が生まれ育った故郷。

 

天守閣東側に 芭蕉句碑 「さまざまの 事おもひ出す 桜哉」があった。

 

 

城がある上野公園の東口に「やまざとは まんざい遅し 梅花」

 

※伊賀上野には2018年7月全日本ダートラ第3戦コスモスに行く時に立ち寄っており、

芭蕉ゆかりの地、句碑巡りについては、CMSCブログ「旅の途中」に掲載しているのでご参照方。

https://ameblo.jp/cmsc-yokohamasugar/entry-12486113701.html

 

 

伊賀上野は忍者の里としても知られている。近鉄上野市駅は「忍者市駅」となった。

 

市内循環バス

 

サンピア伊賀の送迎バス

 

 

8 伊賀国分寺跡(三重県伊賀市)

 

 

 

 

天平13年(741年)、聖武天皇の詔(みことのり)で

全国に造られた国分寺(金光明四天王護国之寺)のひとつが伊賀市にある伊賀国分寺。

史跡公園となった敷地は築地跡と推測される東西220m、南北240m四方の土塁に囲まれていて、

金堂、中門、講堂と塔の跡が確認されている。

 

 

9 石清水八幡宮(京都府八幡市)

 

石清水八幡宮は日本三大八幡宮の一つ。

後の2つは福岡市東区箱崎にある筥崎宮(はこざきぐう)と、大分の宇佐神宮。

 

 

 

 

 

高良神社

徒然草第52段、仁和寺のある法師が山麓の極楽寺・高良神社などを本宮と勘違い

し山上まで上がらずに帰ってしまったという話は有名。

 

ケーブルカーだと3分で頂上に着くが、仁和寺の法師が登りそこなった参道を歩いて登った。

行きは裏参道で階段数は約700段。帰りは表参道から下山。往復約1時間。

 

三の鳥居 ここから先はほぼ平ら。


 南総門 折から結婚式の撮影に出会えた。

 

 

 

 

 本殿

 

 

10  勝龍寺城(京都市長岡京市)

 

勝竜寺城は、天正6年(1578)細川藤孝の子息・忠興と

明智光秀の娘・たま(のちの細川ガラシャ)が幸せな新婚時代を過ごした城。

本能寺の変の後、対決した「山崎の戦い」に敗れた光秀が最期の夜を過ごした城。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

元亀2年(1571)に細川藤孝が織田信長の意向を受け、

それまであった勝龍寺城をその後の城郭の標準となる瓦・石垣・天主を備えた、先駆的な城郭として造り替えた。

 

 

11 亀岡市 山田賢治さん  

 

3月14日コスモスパーク全日本ダートトライアル第1戦終了後その足で、

亀岡市に住む山田賢治さんと3年ぶりに再会。

山田さんは元全日本ジムカーナ選手。情報交換をしながら一緒に軽く飯を食べた。

 

 

12 山崎天王山(京都府乙訓郡大山崎町)

 

12日(金)は夕方から雨が降り出したので登頂を断念。コスモスパーク取材の翌日早朝に登頂した。

 

 

大事な大勝負や運命の分かれ目という意味で耳にする「天王山」。

明智光秀と羽柴(豊臣)秀吉が戦い、羽柴軍が勝った「山崎の戦い」の場所。

戦いの後、秀吉は天王山に山崎城を築き、

信長の後継者としての地位の確立と、残る敵柴田勝家との戦いに備えた。

勝家との戦い(賤ヶ岳の戦い)に勝利し、大阪城に移るまで秀吉はここに1年ほど滞在したが、

天正12年(1584)には不要となった城は取り壊された。

 

麓の観音寺から山頂まで片道約1時間

 

 

旗立松展望台

 

 

 

 

 

 「秀吉の道」という陶板画。堺屋太一氏の監修・解説、原画は日本画家の岩井弘氏。

屏風絵として描いたもので、ハイキングコースに沿って、

天王山の戦いの様子を時を追ってリアルに読み進めることができる。

 

 

13 京都三菱自動車 小林康社長 山崎裕康業務部長

 

15日(月)京都三菱自動車を表敬訪問。

 

小林康社長(左)と山崎裕康業務部長(右)が出迎えてくれた。

山崎さんはCMSC京都の会長も務めている。

前日の全日本ダートラ第1戦でCMSC京都・矢本裕之選手が惜しくもJD6クラス2位を報告。

 

 

14 大津市 景山陽彦さん

 

大津の景山陽彦さんは元全日本のラリー&ダートトライアルドライバー。 

1991年全日本ダートトライアルA3クラスチャンピオン。

試合こそ出ていないが、今でもエボ5でダート走行、雪路走行を楽しんでいる。

 

 

15 滋賀三菱自動車・水口店 山田晃博さん

 

大津からの帰路は国道1号線を行った。

途中甲賀市の国道1号線沿いにある滋賀三菱自動車の水口店に勤務する山田晃博さんに挨拶した。

1995年APRC香港北京ラリーに篠塚建次郎「三菱ランサ-ディーラーチーム」のメカニックとして参加。

彼は入社以来サービスマンだったが、7年前に配転、今は新車販売の営業課長。 

 

3月15日(月)16時に失礼して、

再び国道1号線~名古屋から国道23号線~国道1号線~沼津から国道246号線を経て、

横浜の自宅には16日(火)午前1時無事到着。

5泊(全て車中泊)7日、往復1200km全て下道の長旅だった。