CMSC「懐古」② 1984年CMSC全国大会

 

 

1984年8月4日、東北サファリパークで開催。

 

 

 同年4月にラリーアート社が設立され、CMSCユーザー支援活動はラリーアート社が一手に引き受けた。

 ラリーアートから荻昌孝ゼネラルマネージャーも出席。

 

 

 パリダカや海外ラリーで三菱ワークスチームが採用したラリーアートウエアも華々しくデビューした。

 

 

三菱のモータースポーツ活動を支える関連会社も大会に出席してくれた。

青木科学研究所の青木久治氏(現社長)は古くからCMSCでライセンス更新している。

 

 

参加した11支部の会長ら代表。今大会でCMSCキャップを作成配布した。

(後日会員人数分無償送付した) 

 

 

前回93年大会は10支部だったが、84年4月にCMSCの11番目の支部となるCMSC群馬が発足した。

群馬三菱自動車が全面的にバックアップ、荒井信介会長以下群馬三菱自動車の社員を中心に結成された。

 

 

夜の懇親会。CMSC会員のみならず翌日の東日本ダートラカーニバル参加選手も一緒だった。 

写真はないが恒例の東北サファリパーク名物“子牛の丸焼き”で盛り上がった。

 

 

 翌日8月5日は東北サファリパーク内にあるエビスサーキットで

「東日本ダートラカーニバル 84ラリーアートトライアルIN エビス」を本部、CMSC福島の共催で開催した。

 

 

 

 大会会長は外川一雄CMSC会長。

 

 

三菱自工望月修(中)もCMSC会員だ。

 

 

 

CMSC選手をメインにした三菱車ワンメーク戦も行われた。

 

 

1978年三菱のワークス活動休止により三菱サラリーマンに徹していた篠塚建次郎がデモラン。

この時は1986年パリダカに篠塚参加プロジェクトが決まる1年前。

 

 

1982年パジェロ発売から三菱は国内パジェロレース活動を開始。

83年チャンピオンを獲得したドライバーの増岡浩も今大会にパジェロでデモラン、タイムを競った。

増岡この時24歳。この後篠塚の1年遅れの87年にパリダカデビューする。