CMSC「懐古」① 1983年CMSC全国大会
私は1982年8月三菱自販と三菱自工の宣伝部門の統合により三菱自販の販売促進部から三菱自工宣伝部に転籍した。同時にCMSC支援担当を拝命し、1983年に全国大会の開催を手掛けた。以後開催された全国大会の写真を見ながらCMSCの変遷を振り返ってみることにする。(写真はCMSCジャーナルから抜粋)
第1回目のCMSC「懐古」は1983年全国大会。この時私は34歳。今から38年前。
私が担当して初めての全国大会を1983年7月30日福島県二本松市の東北サファリパークで開催。最盛期の1970年代は支部の数が20ほどあったが、オイルショック、排ガス規制・不正改造問題で1983年には10にまで減ってしまっていた。10の支部の交流と親睦を目的にCMSC活動の活性化を図ろうとした。
全国から10支部(札幌、帯広、青森、岩手、山形、福島、栃木、岐阜、島根、香川)の代表、本部合わせ47名が参加。ラリーアートは1984年4月に設立されたのでこの時はまだ存在せず、本部は外川一雄初代会長以下三菱自販自工(工販合併は84年10月)の社員で構成されていた。木全巌、篠塚建次郎、後にラリーアート社長を務める北根幸道、田口雅生も本部会員として参加。テストアンドサービスの益子治社長(当時)や宇賀神一男氏、青木科学研究所の青木久治氏(現社長)も本部会員として参加した。
会議は総会と称し、各支部の活動報告、三菱自動車の今後のモータースポーツ活動及びCMSC支援の説明、意見交換と活発な討議が続いた。
勿論私も宣伝部のCMSC担当であり、本部会員であるので出席し、CMSC支援内容を発表した
支援の第1弾が全国大会の開催で、第2弾はCMSC・Tシャツの作成。参加者に配ったのち各支部に会員数分無償支給した。
1983年当時の各支部の代表者も参加した。(帯広、島根は代理参加)
翌日はエビスサーキットで東日本ダートラチャンピオンシリーズ第5戦として「83ダイヤスタートライアルゑびす大会」をCMSC本部とCMSC福島の共催で開催、118台が参加した。
前日は「83ダイヤスタートライアルゑびす大会」の前夜祭が行われた。
以後の全国大会も①会議②懇親会③競技会の3部構成で開催された。
そしてCMSC支援第3弾として、その年の10月にCMSCの機関誌としてCMSCジャーナルの初号発行に繋がった。CMSCジャーナルは季刊ごとの発行で、支部会員の手元だけでなく販売会社の店頭にも置かれた。まだラリーアートジャーナルがなかった(1985年7月創刊)ので、CMSC選手の活躍だけでなく、三菱ワークスや三菱ユーザーの活躍もPRする役割を担った。