2020年JAF全日本ジムカーナ選手権第8戦(今季4戦目 最終戦)

「SUPER GYMKHANA IN IOX-AROSA」

旅の途中

 

CMSC選手および各クラス結果  https://ameblo.jp/cmsc-yokohamasugar/entry-12637325820.html

大会のひとコマ  https://ameblo.jp/cmsc-yokohamasugar/entry-12637338985.html

CMSCHP    http://himaob7.kagebo-shi.com/CMSC/HP/index.html

 

 

 

1 自宅出発

 

11月6日(金)朝6時横浜の自宅を出発、高速を使わず下道で、富山県南砺市イオックスアローザモーターランドに向かいました。今年は3月京都コスモスパークでの全日本ダートラ取材後、8か月ぶりの取材遠征となりました。取材は日曜日のみで、金・土曜日は寄り道を楽しみました。

 

 

2 甲斐の猿橋(山梨県大月市)

 

 

「岩国の錦帯橋」「木曽の棧(かけはし)」と並ぶ日本三奇橋のひとつ。長さ30.9m、幅3.3m、高さ31m。橋脚を全く使わない特殊なもので、鋭くそびえたつ両岸から張り出した四層のはねぎによって支えられています。

谷が深いため橋脚ではなく横から張り出した「はね木」で支え、しかも腐食を防ぐため雨から守る屋根付きの構造が奇橋たる所以。

 

名勝 猿橋の解説。

 

 

  

左)猿橋から下流方向の眺め。下に見えるのは八ツ沢発電所一号水路橋、上に見える赤い橋は国道20号の新猿橋

右)猿橋から上流方向の眺め

 

 

3 大月追分(山梨県大月市)

 

国道20号線「大月橋東詰め交差点」 甲州街道から富士道が分かれる大月追分。

 

3基の道標があります。道標には右からそれぞれ「左 富士山道 右 甲州道中」、「左 ふじ道 右 甲州道中」、「左 富士街道 右 甲州街道」と刻まれています。江戸時代富士山信仰の巡礼者でにぎわったそうです。

石段は牛頭天王の祠。その左は常夜灯(文政13年(1830))

 

 

4 花咲一里塚跡 (山梨県大月市)

 

 

大月橋を渡って甲州街道(国道20号線)をしばらく行くと、左に花咲一里塚跡 があります。

江戸から24番目24里(約94.2キロメートル)を示すもの。かつて大月市内にあった一里塚中、その存在が確認される唯一のもの

徳本念仏塔、庚申塔、芭蕉句碑、馬頭観音、二十三夜塔などが並び、小公園風になっています。

 

芭蕉句碑は「しばらくは花の上なる月夜かな」

元禄4年(1691年)芭蕉48歳、吉野で詠んだ句。

 

 

5 甲斐善光寺(山梨県甲府市)

 

 

 

 

 

武田信玄公によって創建された甲斐の名刹。武田信玄公が川中島の合戦の折、信濃善光寺の焼失を恐れ、永禄元年(1558年)御本尊善光寺如来像等を奉遷したことに始まります。武田氏の滅亡以後も徳川家康らの手厚い保護を受けてきました。武田氏の滅亡以後も徳川家康らの手厚い保護を受けてきました。武田氏の滅亡以後も徳川家康らの手厚い保護を受けてきました。武田氏の滅亡以後も徳川家康らの手厚い保護を受けてきました。武田氏の滅亡以後も徳川家康らの手厚い保護を受けてきました。武田氏の滅亡以後も徳川家康らの手厚い保護を受けてきました。武田氏の滅亡以後も徳川家康らの手厚い保護を受けてきました。武田氏の滅亡以後も徳川家康らの手厚い保護を受けてきました。武田氏滅亡後も徳川家康らの手厚い保護を受けてきました。

 

 

  

金堂の左手に「芭蕉翁月影塚」がありました。

裏面 「月影や四門四宗もたゝ一つ
出典は『更科紀行』。貞亨5年(1688年)8月16日、芭蕉が長野の善光寺で詠んだ句。

 

 

6  躑躅が崎館跡(武田氏館跡)日本百名城 (山梨県甲府市)

 

2793 「躑躅が崎館跡(武田氏館跡)」

  

 

「躑躅が崎館(武田氏館)」は甲斐武田氏3代、信虎公・信玄公・勝頼公が60年余りにわたって国政を執った館(城)

 

 

 

 

神橋右側の堀

 

 

 

 

 神橋左側の堀

 

 

 

  

          旧大手門から見た堀                          大手虎口

 

 

 

西曲輪南枡形虎口

 

おまけの写真

 

 

 

 

7  武田神社 (山梨県甲府市)

 

 

 

 

 

武田神社は甲斐の国の名将、武田信玄公をお祀りしている神社。「躑躅が崎館跡(武田氏館跡)」に、1919(大正8)年に創建されました。境内には当時からの濠、土塁、石垣、古井戸等が残っています。

 

 

七五三参拝者で賑わっていました。

 

 

   

姫の井戸のお水

 

  

 さざれ石

 

 

武田水琴窟(すいきんくつ)

 

 

8 甲府城 日本百名城 (山梨県甲府市)

 

 

甲府城は、武田氏滅亡後、豊臣政権の重臣浅野長政・幸長親子らによって一条小山と呼ばれる丘陵地に築かれた平山城で、武田氏館に代わる城として築城されました。本丸や稲荷曲輪・数寄屋曲輪は野面積の石垣が残り天守台は江戸城・名古屋城・会津若山城につぐ巨大なもの。豊臣政権下では徳川氏を押さえる城として重視された城でしたが、江戸時代には、外敵の江戸侵攻を阻止する城として代々将軍家の子が城主となり引き続き重視されました。その後、1705年柳沢吉保が徳川親藩以外で初めて城主となって入城しました。

 

現在は、城跡の一部が「舞鶴城公園」「甲府市歴史公園」として開放されています。

 

 

天守台

 

天守台から富士山を望む

 

鉄門(くろがねもん)

 

遊亀橋

 

稲荷櫓 すぐ下が中央本線甲府駅

 

 

9 新府城 続日本百名城 (山梨県韮崎市)

 

 

 

新府城は、武田勝頼が天正9年(1581)2月頃から築城をはじめ、同年12月に躑躅ヶ崎館(史跡武田氏館跡・山梨県甲府市)から移り住んだ城。織田・徳川軍の侵攻に対抗するために、七里岩の断崖絶壁の上に築城されています。翌年の3月には、織田氏・徳川氏が包囲網を狭める中で、勝頼は岩殿城(山梨県大月市)を目指し、新府城に火をかけ廃城になったと伝わっています。勝頼の在城はわずか3か月足らずでした。

 

 

現在は、本丸があった付近に勝頼公を祀る藤武神社が建立されています。

 

本丸跡から八ヶ岳を望む

 

勝頼公霊社

 

2

 

 

 

 

東三の丸跡から富士山を望む。

 

 

 

10 小渕沢で友人と夕食 (山梨県北杜市)

夕食は北杜市に住む友人らと。

佐伯裕二氏(左から2人目)は、30年前御殿場で行われた4駆の祭典JJ(ジャパンフォーフォイラーズジャンボリー)で出あって以来のお付き合い。

榎本浩久氏(左)はつい最近FBで友達になりました。

中塚氏(右から2人目)は榎本氏の友人。何と小生の自宅のすぐ近く町田市鶴川にお住いでした。

この日は出張先の静岡県富士市から来てくれました。

 

   

 

佐伯氏は4駆専門誌「CURIOUS」(キュリアス)に30年前のJJの様子を寄稿して、懐かし写真がいっぱいでした。

 

 

近くの道の駅で車中泊。

 

翌朝榎本氏が見送りに来てくれました。

 

 

11 紅葉 (長野県富士見町 茅野市)

 

8日(土)は松尾芭蕉句碑を訪ねながら、ゆっくり山里の紅葉を楽しみました。

 

 

 

 

 

 

   

 

  

 

 

 

12 栃尾温泉荒神の湯 (岐阜県高山市)

 

 

 

紅葉を堪能した後は露天風呂で温まりました。

 

 

 

 途中通行止めが2か所。

安房峠はトンネルを通過。国道471号線の福地では温泉地内を迂回しました。