2020年JAF全日本ラリー選手権第2戦

「新城ラリー2020」

旅の途中

 

 

 

CMSC選手および各クラス上位結果は

                 https://ameblo.jp/cmsc-yokohamasugar/entry-12583285754.html

大会のひとコマ        https://ameblo.jp/cmsc-yokohamasugar/entry-12583294207.html 

大会情報(主催者HP)   http://www.shinshiro-rally.jp/

        リザルト     http://www.shinshiro-rally.jp/_src/40777982/jrc_result.pdf?v=1578794589986 

JAFポイント情報(昨年) http://jaf-sports.jp/competition/point/rally.htm

JRCAHP           http://www.jrca.gr.jp/

     

CMSCHP          http://himaob7.kagebo-shi.com/CMSC/HP/index.html

 

 

 

3月12日(木)夜、愛知県新城を目指して横浜の自宅を出発。途中の道の駅で車中泊。

翌日は静岡県島田市の名所旧跡を訪ねてから、新城に向かいました。

 

 

1 島田宿大井川川越遺跡(静岡県島田市)

 

 

 

 

 

箱根八里は馬でも越すが 越すに越されぬ大井川

江戸時代、軍事上大井川には橋はなく渡船も禁止されていたので、旅人が大井川を渡るためには、人足に肩車をしてもらうか、輦台(れんだい)というみこしのような乗り物に乗り、担いでもらっていました。

その「川越し」の料金所(川会所)や、人足の待合所(番宿)などの風景を再現したのが、この遺跡です。

 

川越街並み

 

 

 

川合所 川越業務運営の役所 川越しの料金を決めたり川札を売ったりしたところ。旅人はここで川札を買います。

 

 

「川庄屋」は長官。「年行事」は経理。この二人が川合所を取り仕切っています。

 

大雨で水深が4尺5寸(1.4m)を超えると「川止め」になります。川越しができるのは明け六つ(午前6時頃)から暮れ六つ(午後6時頃)までの日中のみで夜間は禁止でした。

 

 

川札の値段は一眼浅い水深(股通)の時肩車(かたくま)で48文=1440円(1文30円)。

水深が深くなると高くなります。

 

大高欄蓮台=一番高い蓮台 74800円(川札52枚×@48文×30円) お殿様が利用したのでしょう。

 

川合所の前庭には松尾芭蕉の句碑。

「馬方は しらじ時雨の 大井川」 

芭蕉も大井川では何度も足止めを食らったそうです。

 

 

「札場」(ふだば)

 川越人足が客(旅人)から受け取った川札を現金に換えるところ。

2割の税金を差し引いた額が手取りとなりました。

 

 

 番宿(ばんやど) 川越人足の待合所

 

     

川越人足

 

 

 

2 諏訪原城 続日本百名城 (静岡県島田市)

 

 

 

諏訪原城は、武田信玄が徳川領であった遠江攻略の出城として築城した城です。城内に諏訪大明神を祀ったところから諏訪の名称がついたとされます。武田氏と徳川氏の間で激しい攻防が繰り広げられましたが、天正3年(1575)には落城して、徳川氏の城となりました。徳川氏時代には「牧野城」と呼ばれましたが、武田氏が滅亡後、廃城となります。諏訪原城は戦国期の山城の遺構を良く残す城で、遺構としては、甲州流築城術の特徴である丸馬出や三日月堀が残っております。

 

 

 パンフレット 

 

諏訪原城は舌状大地の先端に築かれた城です。現在は木々が生い茂っていますが、戦国時代の山城はほとんど木が無かったと思われるので、前方をかなり遠くまで見渡すことができたのでしょう。

 

 

 

大手南外堀

 

外堀

 

大手北外堀

 

 

二の曲輪中馬出

 

本曲輪 

 

 

 

3 旧東海道石畳金谷坂 (静岡県島田市)

 

 

 

 

 

いにしえの街道の面影を今に伝える金谷坂の石畳。

江戸時代、金谷坂は急坂なうえに「あおねば」と呼ばれる粘土層が露出しており、

雨が降るとぬかるみ大名行列や旅人は大変苦労しました。

そこで江戸時代末期、約400間(約720m)の石畳が「山石」を敷き詰めて造成されました。