2017年JAF全日本ジムカーナ選手権第2戦


 オールジャパンジムカーナ イン エビス」


 
大会のひとコマと旅の途中


その1 大会前日 4月22日(土)



21日(金)夜、横浜の自宅を出発、東京都内を抜けて国道4号線を一路北へ。那須塩原から国道294号線に入り、途中那須町の道の駅で車の中で仮眠。さらに那須町から県道76号線へ。



1 義経街道
  


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①② 栃木県那須町から福島県白河市に抜ける県道76号線はその昔東山道と呼ばれ、源義経が治承4年(1180)4月に旗揚げした源頼朝に参陣するため、奥州平泉から鎌倉に急いだ、いわゆる義経街道であり、頼朝の大軍が奥州藤原の討伐を画し平泉を目指した道でもあります。



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③ 「追分明神」 県道76号線栃木県白河市と福島県那須町の県境に立つ神社。「奥の細道」の芭蕉も追分明神を訪ねていますが、義経街道から来たのではなく、旧奥州街道(現国道294号線)の県境(境の明神)を越えて福島県側から訪ねたとされています。
 



2 白河の関



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①②  白河の関は、鼠ヶ関・勿来関とともに、奥州三関の一つに数えられる関所で、奈良時代から平安時代頃に機能していた国境の関時代と共に関の機能は失われたが、歌人・西行や俳人・松尾芭蕉たちが当時を偲んで和歌や俳句にその名を残しています。
5729 白河神社の境内に、寛政12(1800)に白河藩主・松平定信が建造した「古関蹟」の碑が立っています。



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③ 隣接する白河関の森公園で松尾芭蕉と同行した曽良に会えました。
④ 像の下に芭蕉、曽良の句碑。
「風流の初やおくの田植うた(ふうりゅうのはじめやおくの たうえうた) 芭蕉
白河の関を越えると、歌いながら田植えをするという、実に趣きのある光景が目にとまった。これは、旅に出て最初の風流な味わいであることよ。「おく」は「みちのく」のことと思います。
「卯の花をかざしに関の晴着かな」 曽良  の関を通るとき、古人は冠を正し、衣装を改めたというが、私にはこのような用意もないので、せめて卯の花を髪にかざして関を通ることにしよう。





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⑤⑥ 辺りはサクラが満開。2週間ほど前に横浜のサクラを見て今日白河のサクラを見て、春を2度味わいなんだかすごく得した気分でした。



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⑦⑧ 枝垂れ桜、水仙も今が盛り。
 



3 日本百名城 白河小峰城



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①②③  阿武隈川と谷津田川の間に位置する、小峰ヶ岡という丘陵にあった平山城。
東北地方では珍しい総石垣造りの城で、盛岡城、若松城と共に「東北三名城」の1つにも数えられています。天明8年(1788年)11代将軍徳川家斉のもとで「寛政の改革」を取り仕切った松平定信(8代将軍吉宗の孫)も、改革の前には第12代白河藩主を務め、小峰城の城主でした。




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④⑤ 東日本大震災の影響で石垣が崩れたため改修中でした。


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⑥正門の前御門                    ⑦ 三層櫓の天守。






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⑧本丸御殿跡 サクラが満開。           ⑨裏門の桜之門跡
 




4 須賀川 円谷幸吉メモリアルホール



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①②③④ 昨年リオデジャネイロ・オリンピックが行われ、次は2020年東京で開催です。東京では1964年にもオリンピックが開催されましたが、マラソンで3位銅メダリストとなった円谷幸吉の故郷が須賀川です。須賀川市は円谷選手の偉業を後世に伝えるため須賀川アリーナのなかに「円谷幸吉メモリアルホール」を開設しています。


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           ⑤ 栄光の銅メダルは東京オリンピック陸上競技唯一のメダル。



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⑥ 一躍国民的ヒーローとなり、「次のオリンピックでは金メダルを」と期待されましたが、持病と怪我でその後思うように記録が出ず、父の教えを守り、決して後ろを振り向かず、走ることにいちずだった男が、走れないことを悟ったとき、人生のフィニッシュラインを駆け抜けていきました。
1986年小生がロンドンからリバプールに行く列車の中で、円谷を最後に抜いて2位になったヒートリーの娘さんに会ったことがあります。今回メモリアルホールに吸い寄せられたのも、どこか「ご縁」を感じました。
 



5 須賀川市芭蕉記念館




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①②③④ 奥の細道の旅の途中で、芭蕉は須賀川に8日間滞在しています。 須賀川市芭蕉記念館では、その足跡を中心に芭蕉ゆかりの銘書、掛軸など関係資料を展示しています。




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⑤ 記念館職員の高橋亜純さんがいろいろと説明してくれました。それにしても芭蕉をよく勉強されていました。
⑥ 俳句軒行灯(のきあんどん)。須賀川は芭蕉の時代以降も受け継がれている俳句のまち。俳句ポストが市内の景勝地に設置され、まちの道筋には俳句軒行灯が連なりを見せています。
 




6 須賀川 可伸庵跡




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           ①② 記念館の裏手には、僧可伸が住んでいた「可伸庵跡」。 




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③ 芭蕉句碑。「世の人乃みつけぬ花や軒の栗」  栗の木の下にある可伸の庵で、僧可伸のつましい生活と人柄に心を打たれて詠んだ句。
④ その説明の石碑。
 




7 須賀川 十念寺



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            ①② 十念寺は奥の細道で芭蕉が参拝しています。



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③ その十念寺に芭蕉句碑。「風流のはじめや奥の田うゑ唄 」は須賀川で白河の関を越えた感想を聞かれて詠んだ句。



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           ④ 十念寺は円谷家の菩提寺。円谷幸吉もここに眠っています。
 




8 須賀川 乙字ヶ滝(石河の滝)





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①②③ 乙字ケ滝は、落差は2~3mと小さいですが阿武隈川に架かる唯一の滝。日本の滝百選の一つにも選ばれています。名前の由来は水が乙字の形をして流れ落ちることに因んでいます。




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④ 「奥の細道 石河の滝」 と彫られた石碑。
⑤ 「五月雨の滝降りうづむ水(み)かさ哉」 元禄2年(1689年)4月29日(新暦6月16日)
松尾芭蕉が須賀川を立ち郡山への途次、この滝を訪れたとき、雨で川が増水しているさまを詠んだと言われる句。




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         ⑥ ここではサクラが散り初め。小腹がすいたので、「花より団子」。
 





9 東北サファリパーク/エビスサーキット




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① 4月22日(土)は全日本ジムカーナ選手権第2戦野公開練習日。結局エビスサーキットに着いたのは練習も終了した16時半。 エビスサーキットは東北サファリパーク内にあるのでゲートは一緒。CMSC全国大会開催の時から親しくさせて頂いた東北サファリパーク社員の小林光雄さんが温かく出迎えてくれました。



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② サファリパーク入場ゲート前にあるライダーハウス。今年ご厄介になりました。もともとは夜早朝エビスサーキットに来る、2輪ライダーや4輪ドラーバー向けに用意された無料休憩所。
③ 50畳はある相当広い板張りの部屋です。布団も常備されています。我々以外に何組か投宿者がいました。
 





10 岳温泉




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 エビスサーキット西コースに行き、メディア登録を済ませ、7キロ離れた名湯・岳温泉に向かいました。
② 岳温泉は標高が高いので、サクラも遅れて満開。




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③ 「岳の湯」は旅館兼日帰り温泉。どちらかというと銭湯という感じ。入浴料350円也。
④ お湯は相変わらず熱くて、長く入っていられませんでした。