東京新宿で CMSC有志ミニ情報交換会

① 9月16日(金) CMSC秋田・柳舘義和さんの発声で、CMSC有志ミニ情報交換会を行いました。

② 東京や近郊に住むCMSC会員に声かけしましたが、時間が合わなかったり他用があったり先約があったりして、夕方6時30分新宿西口某レストランに集まったのは、柳舘さん、元CMSC埼玉・佐藤一彦さん、CMSC千葉・増田徹さんとCMSC本部・須賀の4名。
CMSCとしての活動経歴、近況などを語り合いながら、あっという間の3時間でした。


③④ 発端はCMSC秋田・柳舘義和さんと2012年2月新宿「思い出横丁」で一緒に飲んで(写真④)以来4年半経ち、柳舘さんから「そろそろ・・・」と誘いのメールが来たことからでした。CMSC秋田は1996年夏、CMSC21番目の支部として誕生。以来近藤隆行会長と柳舘事務局長の二人三脚でクラブ運営をしてきました。最近は会員も活動が鈍ったり離れて行ったり、毎年準加盟クラブ更新の苦労も並大抵ではないようです。柳舘さんはビル管理会社の秋田支店に勤務していましたが、6年前本社転勤の辞令。本社勤務は残業も増え激務故自分の時間がうまく作れず、モータースポーツはライセンスの更新はしているものの、競技出場までなかなか及びません。競技復活の希望を捨てずに持っていたCJ4Aラリー車は2年前に、やむを得ずオークションで北海道の人に売却してしまいました。でも、故郷を離れても今まで付き合ってきた仲間を大切にして、これからもCMSC秋田の会員を続け、これからも近藤会長とともにクラブを守っていくことを約束してくれました。


⑤⑥ 佐藤一彦さんは埼玉県さいたま市在住の水道施設管理会社社員で元CMSC埼玉所属。CMSC埼玉には1987年5月に発足と同時に入会。当初CMSC埼玉はミラージュカップレース中心の活動でしたが、1998年ミラージュカップ撤退を機に、土系の佐藤さんが会長に就任。以後しばらく会長職を続けてきましたが、WRCラリージャパン、APRCラリー北海道のオフィシャルボランティアに精を出す(写真⑥)ようになってから、会長職は2011年小山俊哉さんに交代。オフィシャルで出会った北海道の「モータースポーツクラブふらの」の人達と懇意になり、ライセンス更新もそちらに移すことに相成った次第です。とはいっても長い間CMSC埼玉の会員でしたので、今でもCMSC埼玉の会員とは元より各支部の会員とも仲良くしており、今回の声かけにも以前から柳舘さんとは付き合いがあったので、真っ先に反応してくれた次第です。今年も9月22日から始まるAPRCラリー北海道のオフィシャルに参加します。本部の小生も毎年取材に行きます。それにしても現地のSSで偶然乍ら毎年の如くお会いしているので、今年もどこかできっと出会うことでしょう。
写真⑥の説明は2015年APRCラリー北海道 「大会のひとコマと旅の途中」その2
をご参照ください。


⑦⑧ CMSC千葉の増田徹さんは今回4人の中で、一番の若手。と言っても43歳独身。千葉県我孫子市に住み、資格学校で教壇に立っています。愛車のエボ9では通勤していませんが、生徒の間では結婚せずモータースポーツ一筋が知れ渡っており、まるでクルマと結婚しているように見られています。モータースポーツとの出会い、きっかけは、1990年代後半WRCのトミ・マキネンら三菱チームの活躍に刺激され、ラリーにのめり込んでしまったことからでした。CMSC千葉には2005年に入会。その後ダートラに転向。2012年からは地区戦にステップアップ。成績は何故かN2クラス9位ばかり。今年は更に関東で開催される全日本戦(第1戦丸和、第6戦丸和)にも、身の丈をわきまえず(本人弁)出場しましたが、敢え無く撃沈。CMSCHPは成績に関わらず全選手走りを紹介しているので増田選手の走りも載っていますが、第6戦丸和では更に「大会のひとコマと旅の途中」その2のトップの写真(⑥の写真)に登場しています。

⑨ 情報交換もたけなわを過ぎて、隣のテーブルのエジプト人のメドハト君と仲良くなりました。今年4月に来日、来年3月まで1年間日本語を勉強中。イスラムなのでお酒を進めても断られました。その右は日本でできたガールフレンドのRINAさん。アラビア語は右から左に字を書くことを知らなかったとは。
というわけで、CMSCミ有志ニ情報交換会は国際交流にまで発展して、お開きとなりました。