2016年全日本ダートトライアル選手権第1戦
DIRT-TRIAL in  NASU

 
大会のひとコマと旅の途中 

その1 大会前日まで

 

1 足利氏ゆかりの地

 
3月18日(金)昼前に横浜の自宅を出発。下道でのんびりと、学生時代からの友人がいる足利市に向かいました。

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①足利市は室町幕府歴代将軍足利氏の発祥の地。せっかく来たので足利氏にまつわるゆかりの地を巡りました。


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②③室町幕府を開いた初代征夷大将軍、足利尊氏の石像を見つけました。
 

 
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④昨年2月京都めぐりの折、上京区の今出川通りと室町通りの交差点にある床屋さんの脇にある室町幕府痕跡を訪ねました。そこには「従是東北 足利将軍室町第跡」(この地点より東北は 室町幕府・足利将軍の邸宅跡であるという意味)という石碑が立っているだけでしたが、足利尊氏が鎌倉幕府を倒して鎌倉に幕府を置かずに京都に幕府を開いたのは何故か、歴史を掘り下げると様々な繋がりが分かり、面白いですね。



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⑤尊氏石造のある通りの正面に足利氏の氏寺として知られる鑁阿寺(ばんなじ)があります。左写真は室町時代の建立になる山門です。
⑥山門を抜けるとその先には1196年建立の本堂(右写真)があります。現在鑁阿寺があるこの場所は元々足利氏の邸宅だった所で、その一角に仏堂を建てたのがこの寺の始まりとされています。
寺の周囲が掘りで囲まれており「足利氏宅跡(鑁阿寺)」が日本100名城の一つとは意外な発見でした。


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鑁阿寺の東に隣接して、日本で最も古い学校として知られる足利学校があります。平安時代初期、もしくは鎌倉時代に創設されたと伝えられる中世の高等教育機関。室町時代 から戦国時代にかけて、関東における事実上の最高学府で、儒学や易学を中心に教育を行っていました。
⑦入徳門 足利学校の入り口。
⑧足利学校も元は足利氏の邸宅だったらしく、学校の周囲は掘りで囲まれていました。
 
 


2 渡良瀬橋
 

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①②足利市内の渡良瀬川にかかる渡良瀬橋。歌手の森高千里が「渡良瀬橋」を歌ってヒットしたことで一躍脚光を浴び、歌の中では、夕日のきれいなロマンチックな橋として描かれています。〽渡良瀬橋で見る夕日をあなたはとても好きだったわ~  森高千里が自ら足利市を訪れて作詞、1993年に発表された曲。その後この曲を松浦亜弥がカバーして歌っていました。



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③渡良瀬川。河原に降りると北風がとても冷たくて風邪を引きそうでした。「渡良瀬橋」の詞に「夕日がきれいな街」と謳われていますが、その日は残念ながら夕日は見られませんでした。


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④「渡良瀬橋」の歌詞に登場する「床屋の角にポツンとある公衆電話」。
⑤間違いない証拠にボックスの中には「森高千里さんからのメーッセージ」がありました。利用者の減少によりNTT東日本が撤去対象としていましたが、市側の要望で撤去が回避されたという経緯がありました
 
 
 
3 ヘアーサロン ツルガイ

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①②足利市には学生時代に知り合った友人の鶴貝勲さんがいます。床屋さん「ヘアーサロン ツルガイ」をやっており、年1回丸和の全日本ダートラに合わせて、横浜から足利まで散髪に行きます。
 

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③④散髪後はいつものごとく一献と相成り、北海道網走駅で出会って、その後青森駅で偶然再会した当時を思い出しながら四方山話に夜も更けるのを忘れるほどでした。いつもそのまま鶴貝邸で就寝。今年は7月にも丸和で全日本ダートラがあり、その時もお邪魔する約束をしました。


 
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⑤以前女房が「ツルガイ理容室」をモチーフにステンドグラスで作った電気スタンドを鶴貝さんにプレゼント。気に入って頂いており、毎夜灯してくれていました。
 
 
  
 
4 元CMSC栃木事務局

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①3月19日()早朝足利の鶴貝邸を出発、9時に栃木県小山市にある自動車修理工場「東北整機」を訪問。社長の町田徹雄さん()は今からさかのぼること20年前まで、長年弟の俊英さんと二人三脚でCMSC栃木の事務局を務めてくれました。
②当時ラリーアートが毎年CMSCに配布した「三菱モータースポーツ写真集」が、工場事務所に大事に保管されていました。本部黒河清人さん()が貴重品を譲り受けて大喜び。



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③その後も俊英さんとは毎年、丸和ダートラの際に寄り道して小山市内で情報交換を続けていましたが、残念ながら2013年秋に亡くなりました。奥様から「主人はいつもお会いするのを楽しみにしていました」と言われていたので、春のお彼岸に来たのも御縁と、仏壇に御線香を上げさせてもらいました。写真は2011年3月撮影。右が町田俊英さん。中がスーパー耐久シリーズで監督として活躍のCMSC栃木会長の川口法行さん。
 
 
 
 
              5 奥塩原新湯温泉共同湯 中の湯


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①②3月19日()公開練習終了後、奥塩原新湯温泉の共同湯「中の湯」に行ってきました。噴煙がもうもうと上がる「硫黄山」のすぐ下にある3か所の共同浴場のひとつです
下流の塩原温泉にも露天の共同湯がいくつかありますが透明泉であるのに対して、奥塩原温泉は白濁した硫黄泉なので、温泉に浸かった印象が一段と強く感じます。
 
 
 
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③中の湯のすぐ上には「温泉神社」。硫黄山の脇なの硫黄の匂い漂う階段を上ると神社本殿があります。
④去年は写真の「むじなの湯」に入ったので、今年は「中の湯」に行きました。次回は混浴の「寺の湯」にしたいと思います。