CMSC兵庫・大阪・京都 表敬訪問
 
旅の途中 その3 大津
 
 

1 景山刺繍工業
 
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2月21日(日)大阪難波を後に、近鉄奈良線に乗り、大和西大寺で近鉄京都線に乗り換え2つ目の駅「高の原」でCMSC京都の岩井忠敏さん、中川茂成さんにお会いした後は、再び近鉄京都線に乗り、京都駅に到着。すぐJR東海道線に乗り変え2つ目の大津駅で下車。元全日本ラリー・ダートトライアルのドライバーだった景山陽彦さんが経営する景山刺繍工業の事務所・工場に向かいました。大きな窓と青淡色の窓枠のあるセンス良いおしゃれな建物が目に入ります。
②景山さんとは長い付き合いで、かれこれ30年になります。今では京都に行く際は必ず立ち寄り一献傾け、そのまま事務所に泊めてもらっています。左は従業員の川渕由美さん。
 
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③刺繍の機械は親の代からここで動き続けているそうです。実はラリーアートの難燃ワッペンもこの機械で作ってもらいました。
 
 
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なので、建屋の正面には2つの看板がぶら下がっています。音楽ホールは「奏美」といいます。
 
 
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⑦⑧景山さん事務所のすぐそばに昭和をにおわせる銭湯「御幸湯」があります。今回はよもやま話に花が咲き、気が付いたら営業終了の10時を過ぎてしまい、入りそこないました。
近くにはもう1軒これまたレトロな「小町湯」という銭湯があります。「小町湯」は今の代で商売をやめると聞きました。次回大津に来た時はまだ営業しているといいのですが。
 
 
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⑨一献の時景山さんは灘の酒“剣菱”を飲み過ぎたようですが、しっかりモータースポーツについて自己主張。今でも冬のスノードライブが大好きで、雪が降った1月17日は愛車エボ5を駆り比叡山まで走りに行ったそうです。「身についてしまった喜びや楽しみは自分の大切な人生の柱になってしまい、今更やめられません」と。昨年末も石川県の白山まで往復7時間かけてスノードライブに行って来たとのこと。
 
 
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⑩先日オークションで落札した純正フロントパイプ。1980円也!
⑪「一昨年手に入れたエボ5は次の冬まで夏眠に入りますが、 錆びたねじ、割れたボディー、壊れた部品を夏の間に手直しします」と。
「これから先、如何に楽しい人生を過ごすか」、今宵は有意義な一献になりました。
 
 
 

2 京阪電鉄
 
 
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①景山さん事務所近くに京阪電鉄の浜大津駅があります。
②浜大津駅に乗り入れる電車は道路上の軌道を走る併用軌道(路面電車)です。運良く石山坂本線を走るラッピング電車の「きかんしゃトーマス号」に会えました。
 

 
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③こちらは京津線の併用軌道区間。街なかの道路の上を4両編成の車が走るのは壮観というかひたすら驚きます。この先で専用軌道になり、終点の京都・御陵駅まで続きますが、そのまま地下鉄につながり太秦天神川駅まで乗り入れています。ただし地下鉄は京津線に乗り入れていないので、相互乗り入れではありません。
 
 
 
3 琵琶湖
 
 
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①浜大津駅のすぐ北には琵琶湖。右手後方は比叡山。
②イタリアGIOS(ジオス)社の自転車でサイクリングとしゃれ込みました。
 
 
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③GIOSはフランスの自転車競技・ツールドフランスで大活躍。ジオスブルーと呼ばれる青いイメージカラーが美しい。大津港に浮かぶ後ろの船は琵琶湖観光クルーズ船「ビアンカ」。総排水量1200トン。
④琵琶湖観光クルーズ船「ミシガン」は外輪船。 もっぱら琵琶湖大橋から南の南湖を周遊。総排水量1000トン。冬場料金は80分クルーズで2780円。
 
 
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⑤ミシガン号の模型。
⑥大津市の下水マンホールのふたにはミシガン号が描かれています。
 
 
 
 
4 義仲寺
 
 
 
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①②浜大津から東に行くと膳所という町。ここに木曽義仲が眠る義仲寺(ぎちゅうじ)があります。
木曽義仲=源義仲は鎌倉幕府初代将軍・源頼朝の従兄弟。平氏討伐の手柄を挙げるも、頼朝が送った源範頼・義経の軍勢により、粟津の戦いで討ち死にした悲劇の武将。義仲の墓の隣に松尾芭蕉の墓があります。芭蕉はこの寺にある無名庵を定宿にして度々訪れています。その縁もあって、遺言によって芭蕉はこの寺に葬られました。芭蕉は源義経や木曽義仲のように、大きな成功をした後天運に恵まれず滅んで行く者に対して深く心を寄せていたからと言われています。
 
 
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③入り口の説明板。
境内には「木曽殿と 背中合せの 寒さかな」という句碑がありますが、芭蕉が呼んだ句ではなく、芭蕉の弟子の島崎又玄(ゆうげん)が、無名庵に滞在中の芭蕉を訪ねたときに詠んだ句です。 あまりに芭蕉の墓石と義仲の墓石の様子を言い当てているので、勘違いするひとが多いそうです。
実は訪れた日は休業日で、残念ながら境内は拝観できませんでした。
 
 
 
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今回の「旅の途中」を大阪に戻します。
④御堂筋・南御堂前の側道と本道の間の緑地帯の中に「此付近芭蕉翁終焉ノ地ト伝フ」という銘の石碑が建っています。最寄り駅は地下鉄御堂筋線・地下鉄中央線「本町」。元禄7年(1694)10月、松尾芭蕉はその人生最後の旅路となった大阪で、体調を崩し、南御堂のそばにあったとされる花屋仁左衛門の離れ座敷にて、51年の生涯に幕を下ろしました。
芭蕉は生前、「骸(から)は木曽塚に送るべし」と遺言していたと言われています。この遺言により、近江の儀仲寺の木曽義仲の墓の隣に埋葬されました。
⑤南御堂は浄土真宗大谷派(東本願寺)難波別院 のこと。御堂筋は、南御堂と北御堂(浄土真宗本願寺派の本願寺津村別院)を繋ぐ道であることに由来しています。
 
 
 
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⑥⑦南御堂の庭に芭蕉辞世の句「 旅に病んで 夢は枯野を かけ廻る」の句碑があります 。
「かけ廻る」は「かけめぐる」と読むと習った気がしますが、石碑では「旅に病でゆめは枯野をかけまはる」と彫られているので 「かけまわわる」が正解なのか?疑問が残りました。
いずれにしても南御堂の2つの石碑を見て、大津の義仲寺に行く気になった次第です。